Extra round⑫ 人生が再度変わった日

季節は秋。過ごしやすい秋晴れの中、俺は少しだけ雲が漂う青空を見上げつつ、タキシード姿のまま深呼吸する。気管を通して秋が肺の中に広がる感覚に襲われた。


披露宴会場の入口のほうから招待客の皆さんの声がする。結婚披露宴自体は何度か出席したことがあるものの、いざ自分たちが主役になると緊張感がまるで違う。


新婦の遥は支度中だし、すでに支度が終わった俺はやることもなく、とりあえず会場控室から繋がる庭に出て外の空気を吸っていた。


暇を持て余している時は大体、察したかのごとく腐れ縁のゴリラがやってくるのだが、やはりというかなんというか、タイミング悪く控室の扉が『バーン!』と音を立て、勢い良く開いた。おいゴリラ、ドア壊れるよ。


「……ノックくらいしろよな」

「あら失礼。これでいいかしら?」


紋付の袴を履いたカブが、衝撃で未だに揺れている扉をコンコンと手で叩く。ノックは部屋に入る前にやるもんだって教わらなかったのかこのゴリラは。


大体袴ってなんだよ。いや別に上半身裸とかじゃないからいいんだけどさ。目立つよ?


「暇そうね俊。招待客の皆さん、だいぶ到着してるわよ?」

「ああ。もう間もなくだな。ちょっと遥のドレスのサイズを微調整してるらしくてよ……」

「あらそう。白鳥ちゃんは大丈夫なの?先週仕事休んだみたいだけど」

「持ち直したみたいだよ。風邪かと思ったんだけどね。準備も忙しかったし、疲れが溜まってたんじゃないか」


先週遥が体調不良を訴えて仕事を休んだ時は焦った。俺もトレーニングは休めないから、彼女は数日だけ実家に戻って療養したのだが、こういう時に彼女の実家が近いのはありがたい。何せ彼女の実家は職場の目の前。ウチからも200mほどしか離れていない。


「フフ、いよいよねぇ。アナタの結婚披露宴。結婚式も感慨深かったけれど、披露宴も感慨深いわ……」

「俺としちゃカブ一家御一行様が何もトラブルを起こさずにおとなしくしてくれればそれでいいよ……」

「あーら失礼しちゃうわ。パパと殴り合いなんかしないから大丈夫よ」


しそうだから言ってるんだよ。披露宴の最中、あの顔面凶器が俺のところまで来て、首根っこ掴んで「このバカ野郎!」って叫んでくる未来が見えるもん。


さすがに首根っこ掴まれることはなかったが、披露宴でも会長に「バカ野郎」と言われるという俺の予想は当たった。


来賓の挨拶を会長に頼んだ時点で嫌な予感はしていたが、「この未熟者が、こんなかわいく、気立てのいい白鳥ちゃんを妻に迎えるなど大変もったいないのであります。おい俊このバカ野郎!白鳥ちゃんを大切にしなかったら承知しねぇからな!」なんて叫ぶもんだから、招待客みんな引いていた。披露宴の司会を頼んだ古舘も引いていた。


「あはは……さすが剛さんだねぇ……」と引きつった笑みを浮かべる遥を改めて見る。白いウェディングドレスは彼女の白い肌に完璧にマッチしていて、少しだけ露わになっている胸元が大人っぽさを引き立てていた。


試着やら何やらで何度もドレス姿を見てきたのに、本番の今日、ドレス姿の彼女はそれまで以上に輝いていた。カブが控室を尋ねてきた直後に準備が終わった新婦が隣の控室から出てきたのだが、あまりの美しさに俺とカブは息を呑んでしまったほど。


美しさに俺が声を出せないでいると、ゴリラが「白鳥ちゃん……綺麗よ……」なんて俺より先に感想を言う。いや、それは俺がまず言うセリフなんだよ。遥もこれには苦笑していた。


そのゴリラだけでなく、姉、そして夏に世界王者になったばかりの明と、俺を含めて世界チャンプが4人もいる会場内は、ボクシング関係者だけでなく、俺と遥の友人たち、そして家族も参加し豪勢な宴となった。


各テーブルにキャンドルサービスをして回っていると、久々に会う友人もいたりしてつい話が弾んだ。


ただ歌舞家のテーブルにやってきた際、同じにされた明が隣の会長に説教されているのを見て、一緒のテーブルにしたのがなんだか申し訳なくなった。どうも百合子との交際に関しての説教らしい。


付き合ってこちらも5年半も経つのに、なかなか関係が進まないことに対して会長が業を煮やしているらしく、「男だったら責任を取れ!今すぐここで言え!」なんて怒声を飛ばしていた。人の披露宴会場でプロポーズする人、そうそういないと思うよ会長。


卓と井上さんはもう少し落ち着いたら入籍なんていう話も出ているらしい。卓は教師になっても相変わらずロシアの話ばかりしているが、さすがに人に物を教える立場になったのか、少し落ち着いたような気がする。


「やや!薬師寺氏!タキシード姿が似合っておりますな!シベリア準特急エピソード77で、セルゲイが恋人にプロポーズするために100円ショップでタキシードを買った姿を思い出しますぞ!」


前言撤回。この男も何にも変わっていない。


セルゲイ、100円ショップにタキシード買いに行ったの?むしろ何の素材で作ればタキシードを100円で売れるのか、そもそもロシアに100ショップなんていうシロモノがあるのか、つい考えてしまう。


新郎友人代表の挨拶に立ったカブが大泣きしてしまい、新婦友人代表挨拶に立った井上さんも大泣きしてしまい、披露宴は感動的な空気に包まれる。


カブの挨拶の時は何とか涙をこらえた俺だったが、その後の巌さんが泣きながら挨拶しているのを見て、もうダメだった。


涙を流す巌さんが「遥を……孫娘を頼む……!」と手を差し出したのに対し、俺も涙をこぼしながら頷き握手した瞬間、会場は大きな拍手に包まれた。




祝福ムード一色の披露宴も終盤。新郎新婦がそれぞれ両親に記念品を渡して、後は退場するだけという時だった。急に司会の古舘が少しだけ遥のほうを見る。


「……これで新郎新婦退場となるでしたが、急遽、新婦の遥さんから強い要望がありまして、ここで一言、新婦の遥さんからご挨拶をいただきます」


何それ聞いてないんだけど。プランでは後は退場する予定だったから、壇上のテーブルから立ち上がりかけた俺は思わず遥のほうを見る。彼女はニッコリ微笑むと、ドレス姿のまま立ち上がり、披露宴会場の係の女性からマイクを受け取った。


「……俊くん。6年半前、私はひょんなことから俊くんにもらいました。あの日、私の人生が変わりました。それまでクラスメイトの優しい男の子という認識だったあなたが、その日を境に『私の好きな人』に変わったんです。……色々なところに行きましたね。初デートの日は鮮明に覚えています。合宿と称した旅行で三重に行った日、インターハイで京都に行った日、神奈川で全国制覇をしたあの日、そして北海道への修学旅行……。全て、色鮮やかな思い出として私の心の中に残っています」


静寂に包まれた会場に、彼女の透き通った声がマイクを通して響き渡る。彼女を助けたあの日、俺の人生も変わった。好きな人と付き合える喜びを味わった。


少し目尻に涙を溜めながら、ニッコリ微笑んでいる遥を見ながら、俺もこの6年半を思い出し、少しもらい泣きしそうになる。


「……俊くん、私に色々な思い出をありがとう。これからも、をよろしくね……?」


そう言って微笑んだ彼女に俺は一歩近づいた。みんなの前だけれど、目の前の大切な人をしっかりと抱きしめたかった。


……ん?


「は、遥……。今、『これからも私たちをよろしくね』って言った……?」


マイクを通さない俺の言葉は、目の前の席に座っていた会長たち数人にしか聞こえなかったと思う。彼女の言葉が聞こえて察したのか、優子ちゃんが両手で口を押さえていた。


「……うん、言ったよ。来年の春、私たちに家族が増えるんだ……!」


遥の目尻から涙がこぼれ落ちる。しかし彼女は悲しくて泣いているのではない。まるで満開のコスモスの花のような笑顔でこちらを見つめていた。


俺が思わず抱きしめると同時に、何が起きているのか察した会場内から大きな拍手の音が響き渡る。


「遥、俺……」

「もう、そんなに泣かないの、パパ……」

「……ママだってめちゃくちゃ泣いてるよ?」


俺たちはお互い泣き顔見つめ合い、再度、優しい抱擁を交わした。すぐ近くで腐れ縁のゴリラが声を上げて泣いていた。






「カブのおじさん、泣いてる顔もこわーい!パパもママも今と違ってわかーい!」

「こーら優!私はまだ30歳!まだ若いです!」

「……33歳のくせに」

「……翔、なんか言ったかしら?」

「な、なんにも言ってないよママ!」

「あなたたち、今夜の夕食、そんなにいらないのね……?」


キッチンで夕食を作っていた妻が、リビングにいる男の子と女の子に向かって笑顔で凄んだ。双子は思わずひぃっ!と言って自分たちの母親から目を逸らす。


遥、相手はまだ小学4年生だよ……。さりげなく3歳もサバ読んだ妻に、俺は内心苦笑した。


「……あら俊くん、今心の中で何か言わなかった?」

「い、言ってないよ遥……!今日も可愛いなぁとは思ったけど!」

「あら嬉しい!俊くんのハンバーグだけ量を倍にしてあげなきゃ!」


心の中まで読めるようになり始めた妻が少し怖い。優子ちゃんの教育によるものだろうか。


リビングでは双子の男の子と女の子、翔と優が「私たちもハンバーグ倍がいいー」なんて言ってブーブー言っている。


優のその姿はまるで小さい頃の遥を彷彿とさせていた。性格は人懐こく唯ちゃんに近い。翔は翔で最近俺によく似ていると言われる。性格は好奇心旺盛で、俺と違ってチキンとは遠い存在だけれど。


白い3階建ての家のリビングで、俺は黒い高級感あるソファに座りながら、子どもたちと披露宴のDVDを観ていた。あの披露宴からもう10年。当時遥のお腹の中にいた子どもたちは大きくなり、最近は生意気になりつつある。


夕陽が射し込むリビングにはハンバーグのいい匂いが漂ってきた。


「ママぁ、いい匂い!」


遥にとても良く似た優が満面の笑みを浮かべ、そんな娘に対して「もう少し待ってねぇ」と、エプロン姿の遥が優しく声をかける。たぶんこういうのを幸せって言うんだろうなぁ。


「どうしたの俊くん、ニヤニヤしちゃって。変なのー」

「なんでもないよ遥。……あのさ、遥、今幸せ?」

「もう、突然変なこと聞くんだから。変な俊くん。幸せに決まってるでしょ?」


そう言ってニッコリと笑った遥がかわい過ぎて、俺の顔は思わず熱くなってしまう。


「あ、パパのお顔が真っ赤だ!」

「ホント、仲いいね、パパとママは……」


10歳の子どもに冷静に指摘された遥の顔も真っ赤になっている。たぶん今、俺の顔も彼女と同じくらい真っ赤なのだろう。


雲一つない窓の外も、同じように真っ赤に染まっていた。季節は5月。彼女を助けてから16年の月日が経とうとしていた。

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腐れ縁のオネエの策略でちょっとドジな美少女と付き合った話 土管 @do-can

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