第4話 魔法省勤めのエリートであるトレーシー・ダウジャン伯爵令嬢

 トレーシーは馬車に揺れながら外の景色を眺めていた。


(この通い慣れた道も今日で見納めかもしれないわ)


 午後の遅い時刻ではあるが、夕暮れまでには時間がある。


 木とレンガで出来た建物が建ち並ぶ街。


 目的地に向かって行き交う人々。


 軒先に所狭しと並ぶ商品に呼び込みの声。


 活気のある王都の姿がはっきりと見て取れた。


 トレーシーの住むハグリア王国は、豊かで栄えている国である。


 気候は温暖で自然豊か。


 魔法エネルギーに満ちているのに瘴気は少ない。


 農業も工業も盛んではあるが、なかでも魔法は特別だ。


 ここハグリア王国は、魔法で栄えている国でもある。


 魔法エネルギーは、満ちているだけでは役に立たない。


 そのため、魔法エネルギーを活用するための関連事業も盛んに行われているのだ。


 なかでも魔法陣に魔道具、魔法薬などの開発は肝心かなめの事業となっていた。


 国が先頭を切って盛り上げている主力産業だ。


 魔法省が、その一切を仕切っている。


 そこでは特許を管理したり他国との交渉を進めたりといった事務的な仕事も行われているが、研究開発についても力を入れている。


 優秀な者を集め、役立つ魔道具や稼げる魔法薬などの開発に取り組んでいるのだ。


 魔法の扱いは特殊であり、開発をするためには知識だけでは足りない。


 魔法を使う能力があることも必要だ。


 国民の殆どは魔法を使うことができるが、開発に関わるには並大抵の力では足りない。


 魔法を使う能力は、体内に保持している魔力量にも大きく左右される。


 沢山の魔力を体内に持っている者の方が、魔法を巧みに操ることが出来るのだ。


 トレーシーは魔力量の多いタイプなので、もともと適した能力を備えている。


 しかも学年一位を取り続けるほど頭脳明晰。


 優秀な研究開発者として注目されるのは当然の流れである。


 昨今、女性の地位向上が叫ばれていることもあり、トレーシーは丁度良い人材でもあったのだ。


 そのため女性でありながらエリート揃いの魔法省に研究開発者として採用された。


 もともと国を挙げての事業に関わる魔法省にはエリートたちが揃っている。


 その魔法省のなかでも、研究開発部はエリート中のエリートが集められているのだ。


 トレーシーは、その一員である。


 ダウジャン伯爵家の面々からは価値を認められていないトレーシーであったが、国からの評価は高かった。


(家族は、私の価値を認めてはくれなかったけれど……もっと沢山の優秀な人たちが私の価値を認めてくれたわ)


 だからといって、彼女が幸運か、と、聞かれればそうとも言えない。


 女性も積極的に登用されるようになったのは、つい最近の事だ。


 魔力量も多く、頭も良くて、伯爵令嬢という身分も備えているトレーシーは採用するのにちょうど良い女性である。


(まぁ、たまたま都合に合う人材が私だった、というだけのような気もするけれど)


 都合よく使われているだけと言ってしまえばそれまでだ。


 優秀な女性を重用ちょうようしたいだけならば、平民だって構わない筈だ。


 わざわざ伯爵令嬢であり、跡取り娘とも言えるトレーシーを選んだということは能力だけの問題ではないであろう。


(女性の地位向上を目指すため、と、国から言われてしまえば協力するしかないし。もっとも。私が国から大事にされること、そのものが、あの人たちにとっては面白くなかったのでしょうね。だからって……私に拒否権がないのは分かっていることでしょう?)


 女性の立場が弱く、能力を活かす以前の状態だった時代は終わりつつある。


 また女性の地位向上に伴い、爵位継承権が認められる日も近いのではないか、と、見られてもいる。


 しかし、トレーシーの代には間に合いそうにもない。


 そこだけを見れば、トレーシーは不運だ。


 でも彼女は焦る必要がなかった。


 抜け道は、いつだって用意されているからだ。


「まぁ、私一人で対処しなきゃいけないってわけでもないものね。そこは上手にやらなきゃ」


 令嬢として乗るのは最後となったダウジャン伯爵家の馬車内で、トレーシーは溜息を吐いた。


 考えた所で仕方ない。


 世の中にはなるようにしかならない事だってあるのだ。


 彼女は生まれた時に母を亡くしている。


 それをもって、世の中にはなるようにしかならない事があるのだと、教え込まれたような気がしていた。


 放っておかれようと、捨てられようと、いけしゃあしゃあと乗り越えなければやっていられない。


 それは諦めなのか、生き残るための知恵なのか。


 彼女自身にも分からない。


(ああ、王城が見えて来たわ)


 トレーシーは見慣れた城が視界に姿を現すと、ほっとして全身の力を抜いた。


 国力を現すような立派な造りの城は、その見た目を裏切らない厳重なセキュリティによって守られている。


 そこが職場であるトレーシーにとって。


 王城は、どこよりも安全な場所だ。


 ダウジャン伯爵家の馬車が王城に着くと、彼女は慣れた様子で一人降りた。


 職場まで護衛が付いて来ないのはいつもの事だ。


 だが今日は、護衛も御者も、何か言いたげな顔をしていた。


「ご苦労さま。またね」


 トレーシーは笑顔を浮かべ、護衛と御者に軽い調子で別れを告げる。


 護衛と御者は、クシャリと表情を崩して頭を下げた。


 ダウジャン伯爵家の使用人たちは総じて、この年若い令嬢に同情的だ。


 また彼女が屋敷を後にする事で、自分たちの立場も危ういと感じていた。


 令嬢への同情と将来に対する漠然とした不安を抱え、泣くまではいかないが切なげな表情を浮かべた護衛と御者は、彼女の背中が城の中に消えていくのを黙って見送っていた。

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