第2話 実母に死なれたトレーシー・ダウジャン伯爵令嬢は曾祖母に育てられた
二十年前。
トレーシーはダウジャン伯爵家の唯ひとりの令嬢として、この世に生を受けた。
彼女の誕生をダウジャン家は喜んだが、ダウジャン伯爵家が豊かであったならトレーシーが生まれることはなかった。
母が令嬢として適齢期を迎えた頃、ダウジャン家は伯爵家といっても名前だけのものだったのだ。
領地は貧しく、これといって手掛けている商売も無い。
当時の経済状況は、あっさりと表現して『火の車』という所である。
なぜなら剛腕の曾祖父を早くに亡くし、後を引き継いだ祖父には領地経営の手腕も商才も無かったからだ。
子供は娘が一人だけ。
しかも、後にトレーシーの母となる跡取り娘は健康にすら恵まれてはいなかったのである。
病弱な一人娘を抱えたダウジャン伯爵家は、ひとりの男を婿に迎えた。
それがトレーシーの父であるマックスだ。
マックスは平民の生まれだが、マックスウィン商会という豊かな商家に生まれた。
次男であり商才に長けた彼を、先代のダウジャン伯爵が娘の婿に迎えたのだ。
子爵家の養子にしてまで婿に迎えた男にダウジャン伯爵家が期待したのは金だった。
ところが、このマックスという男。
金は稼げるが派手好みで稼いだ分だけ使ってしまう人物なのである。
見てくれだけは立派だが中身がペラッペラなマックスが、トレーシーの曾祖母は最初から嫌いだった。
縁談そのものを止めたかったのだが、先代ダウジャン伯爵が自分の母の意見を聞き入れることはなかった。
自分の父であるトレーシーの曽祖父への対抗心もあったのかもしれない。
曾祖母の意見は祖父の反発を買うばかりで聞き入れられることはなかった。
世間も祖父の意見に賛成してマックスを受け入れた。
当時は女性の立場など無いに等しい時代だったからだ。
女性が爵位を継ぐことも無ければ発言力も弱い時代のこと。
曾祖母が嫌ったくらいでマックスを追い出すことが叶うはずもない。
曾祖母は気に入らない男であっても、孫娘の婿として受け入れるしかなかった。
マックスの方はといえば、未来を案じてアレコレと口を出してくる曾祖母を疎ましく思っていた。
トレーシーが生まれる前から問題のある家庭であったが、そこに更なる悲劇が重なっていく。
体の弱かったトレーシーの母が、出産に耐えられずに儚く散ったのだ。
血縁者は皆、嘆き悲しんだ。
なかでも曾祖母の悲しみは深く、それを埋め合わせるようにトレーシーを愛した。
それが幸いしたのか。
先代ダウジャン伯爵が亡くなり、その夫人も亡くなった後も、トレーシーの曾祖母だけは生き長らえたのだった。
トレーシーは母とは違って幸いにも元気な子供ではあったが、女性である。
この国において、女性の幸せは男次第。
彼女は愛するひ孫の行く末を案じていた。
老い先短い自分も含め、トレーシーの味方はあまりにも少ない。
曾祖母にとっては、ひ孫の父親さえ敵と思えた。
父親であるマックスが、すぐに再婚を望んだからだ。
曾祖母が強く反対したことにより、マックスの速やかな再婚は叶わなかった。
結果としてマックスの再婚は、曾祖母が亡くなる時まで待たされることになる。
それが十年前だ。
曾祖母は命が尽きる前の十年を使い、トレーシーをしっかりと仕込んだ。
マックスにとっては面白くない事ではあったが、娘に関心がなく婿として揉め事は避けたい気持ちもあり、曾祖母の好きにさせていた。
そして、自分は自分の好きにした。
曾祖母が亡くなって男爵令嬢であるローラと再婚を決める頃には、エリザベスという娘が既にいたのである。
形式上エリザベスは義妹となっているが、実際にはトレーシーと片親が同じであった。
曾祖母が亡くなった後、トレーシーは自分を疎んじる父と義母の手により育てられる事となる。
結果として自分の意思を持った優秀な女性となったトレーシーは、伯爵令嬢としては少し毛色の違ったタイプに育った。
片親だけ血の繋がった姉妹の仲が良ければ、ここまで歪むことはなかったかもしれない。
幸か不幸かこの姉妹、元々の性格が全く合わなかった。
義母ローラと同じく貴族女性とは貴族男性に媚びを売る生き物との考えが骨の髄まで染み込んでいるエリザベスと、曾祖母に伯爵家後継者として仕込まれたトレーシーの相性は最悪だった。
お金を湯水のように使って飾り立てるエリザベスをトレーシーは気に入らないし、勉強が出来て自分の意見もハッキリ言えるトレーシーがエリザベスは苦手だった。
後継者でありながら家族の中でひとり浮く。
それがトレーシーという伯爵令嬢にどう影響したか。
婚約者を義妹に取られてダウジャン伯爵家も奪われるという結末を迎えた……かのように見える状況にあっても全く気にしない、いけしゃあしゃあとした伯爵令嬢。
そんな女性を作り上げることになったのである。
(
トレーシー・ダウジャン伯爵令嬢は少々のためらいを残しつつも我が道を行くことを決めたのであった。
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