第3話 実父には疎まれ義母には虐げられ義妹には軽視される令嬢は家を出る

 現在の応接室。


 トレーシーを、父、義母、義妹、元婚約者が揃って意地の悪そうなニヤニヤ笑いを浮かべて見ている。


 彼らが自分の事をどう思っているのか。


 言われるまでもなく、トレーシーは知っていた。


 それでも言わせてハッキリさせておいた方がいいだろう。


 彼女は賢くも口を噤み、彼らの出方を待った。


 最初に口を開いたのは、父であるマックスだ。


「この家にお前の居場所はもうない」


「分かっておりますわ、お父さま」


「もう出て行くしかないわね、トレーシー」


「ええ、そうですわね。お義母さま」


 よく晴れた日の、少し遅めの午後。


 日はまだ高く、移動するには問題がない。


「そうすることにいたしますわ」


「お義姉さま。姿を見て頂きたいので。には、ぜひ出席してくださいましね」


「ああ。そうだな、エリザベス。まぁ、出席してくれなくてもいいけど」


 別れの言葉には、今までの関係性が凝縮されていた。


 ソレに対して感じる所も思う所もさしてないトレーシーは美しいカーテシーをとると応接室にを後にした。



◆◆◆



 決断したトレーシーの行動は早かった。


「お嬢さま、考え直していただけませんか?」


 家令のセバスチャンが人の良さげな白い眉を下げてトレーシーに懇願する。


 細身で背の高い高齢の家令は古くから屋敷に仕えている最古参の使用人だ。


「もう決めたのよ、セバスチャン。私は家を出るわ」


「ですが、お嬢さま。ここはトレーシーさまの物なのですよ?」


「構わないわ。私は気にしてないから心配しないで。あなた達も、悪いようにはしないから大丈夫よ」


「それは心配してはおりませんが……大奥さまに申し訳なくて……」


「大丈夫よ、曾祖母ひいおばあさまなら分かって下さるわ」


「あ……そのような話し合いが事前に?」


「ふふ。どうでしょうね?」


「……」


 古くから屋敷に仕える家令は、かつての女主人を思い浮かべた。


 彼女なら、ダウジャン伯爵家にとって最も利益のある選択をしたことだろう。


 それは、彼女が育てたトレーシーにしても同じだ。


 だからといって、その決断に賛成できるかと言ったら否だ。


 高齢の使用人は、トレーシーの決断に戸惑う。


 戸惑いながらも、使用人如きが口出しすべきでない事柄であることはわきまえていた。


 ましてや、生前のかくしゃくたる夫人と目前の年若い令嬢との間に何らかの決め事があったのなら口出しする必要など無い。


 しかし、生まれた時から仕えている令嬢の行く末が心配でならないのは事実だ。


「お嬢さまは、どうなされるのです?」


「ふふふ。相変わらず心配性ね、セバスチャン。私は魔法省勤めのエリートよ? 忙しい職場だもの。王城に寝泊まりできる自分の部屋くらいあるわ」


「それは良い事ですが、それだけでは……」


「荷物は収納魔法で何とかなるし。住む場所もあって仕事もあるのよ。私の稼ぎは割と良いし、自分の事は自分で出来る。しかも、贅沢にも興味はないのですもの。なんとかやっていけるわ。それに元々、女性は爵位を継ぐことは出来ないのだから。今までと大して違わないわよ」


「あぁ、でも……しかし……年頃の令嬢が、護衛も、侍女も、いないような暮らしをなさるなど……私は心配です」


「そうねぇ……私は魔法が使えるし。王城は国で一番セキュリティがしっかりしている場所なのだから、心配は要らないと思うけど……そんなにセバスチャンが気になるのなら、セイデスに相談してみるわね」


「そうして下さいまし」


「なるべくセバスチャン達に迷惑をかけないように事を収めるつもりよ。だから、そんな顔しないで?」


「ですが、お屋敷を離れてしまわれたら……お会い出来る機会も減って寂しくなってしまいます」


「ふふ。またすぐに遊びに来るわよ」


「住む、と、遊びに来る、では大きな違いがありますよ。お嬢さま」


「まぁまぁ。何とかなるわよ。少なくとも今より悪くなることはないから心配しないで」


「お嬢さま……」


 春の終わりと夏の始まりが重なり合う中途半端な時期のある日。


 突然の引っ越しに動じることもなくトレーシーは、ご先祖さまの肖像画に見送られ、広い敷地のなかにある住み慣れた堅牢で趣のある屋敷を後にした。

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