第132話 鬼謀と神算


カートは早速龍形掌リュウケイショウの秘伝書を開いた。


案の定、アンの国の言葉で記されている。


当たり前だよな、と思いながらペラペラとめくっていくと、言葉では説明しづらいであろう鍛錬方法や手の形が図解で説明してある部分がちらほらある。


海騎カイキから習った基礎を思い出し、気付くと鍛錬を始めていた。


しばらくすると、突如として建物が大きくきしみ始めた。


木造の建物がギシギシと悲鳴を上げる。


カートは“それ”が何なのかわかっているため狼狽えたりはしないが、ただ「迷惑だな」と感じていた。



ぬあああああああああっ!!



隣室から悲鳴が聞こえる。達した瞬間まで丸わかりなのが殊更鬱陶しい。


宿の外には避難した人々の話し声がざわざわと聞こえる。


揺れが収まってしばらくすると、フェラクリウスがカートの部屋を訪ねて来た。


「起きていたか、カート。

 そろそろ発つぞ」


「ああ、準備しておくから、その前におちんこのシミ洗って来いよ」


「そうだな」


フェラクリウスの超人的生理現象への対応もすっかり慣れたものである。


宿を出た瞬間、目立つえんじ色が目に入った。


「おっす、お二人さん。久しぶりー!」


「風俗大好きヘルスメン!!」


外で待っていたのは、あの“赤い友人”であった。


「いやー、久々の長期休暇を貰ってね。

 特別報奨金もガッポリ頂いちゃったから、

 風俗巡りで忙しくてね。

 この二週間で4キロ痩せちゃったよ」


「お前の体型で4キロはまずいだろ…」


曰く、安い風俗をたくさん回るのが最高の贅沢だという。


ガリガリに痩せ細り頬もこけているが、肌はつややかで目はキラキラと輝いている。


健康的なのか不健康なのか。ただ、名前はヘルスメンである。


「また、お二方に同行しようと思ってね」


「ああ、ヘルスメン…。その事なんだが…」


昨日、カートとフェラクリウスは二人で話し合った。


これからの旅をどうするか。


聞けば、互いの意見は一致していた。


内側カートキリアに帰る。


アンの国全土を見て回ったわけではないが、一旦“操氣術”という技術を持ち帰ろうという事になった。


つまり、二人はこの後再び“山断ちの退路”を通ってアンの国を離れる。


わざわざ駆けつけてくれたヘルスメンには悪いが、ここでお別れとなる…と思ったのだが。


「うん、だと思ったよ」


ヘルスメンはあっけらかんとして二人の決定を受け入れていた。


「だから、俺もついて行くよ。

 ほら、俺、千里眼だからね。

 内側に行くのも任務のうちだもの」


「お前、軍人の前で堂々とスパイ活動を宣言するなよ…」


カートが呆れてため息を吐く。


「スパイじゃないよお、ただの情報共有。

 お互いのためじゃない?」


ヘラヘラ笑いながら、ヘルスメンは馴れ馴れしく強引にカートと肩を組んだ。


相変わらずの体臭に。カートが顔をしかめる。


「また故郷を離れる事になって、寂しくないのか?」


フェラクリウスがヘルスメンを気遣う。


「全然?俺ァこの国じゃ差別の対象だからさ。

 むしろ内側の方が居心地がいいまであるのよ。

 向こうには友達もいっぱいいるしね」


やれやれと頭を掻くカート。こいつの処遇をどうするべきか。


国家の機密を狙う諜報員であれば入国させるわけにはいかないが、ヘルスメンにそんな意図が本当にあるのか。


いや、こればっかりは疑わしいだけでも罪となる。


彼を見逃したいのは個人的な感情にすぎない。


「これからもおにーさんにとって有用な情報屋でいるからさ。

 見逃してよ。Win-Winの関係でいよ?」


「…まぁ、俺はいいよ。

 でも言っとくが俺以外の人間に捕まったら処刑されるかもしれんぞ。

 そこまでは俺も庇ってやれないからな」


「そのときはちんちんの旦那に助けてもらうよ!」


ヘルスメンはちっとも悪びれずに答えた。




馬車に揺られ、街道を行く。


西には巨大な“神壁しんぺき”が立ちふさがっている。“山断ちの退路”はまだまだ先だ。


「結局アンの国に滞在していたのは、ほんの半月程度だったな」


フェラクリウスにとっても、カートにとっても。非常に密度の濃い時間だった。


出会いと別れ、新たな技術との邂逅と既存の技術の発展。そして死闘。


「次はもっとゆっくりしていったらいいよ」と言って、ヘルスメンが笑う。


それが出来ればいいが。カートは東の方角へ視線を向ける。


地平線の果てにはまだまだ見知らぬ大地が広がっているのだ。


「でもやっぱ凄いね、ちんちんの旦那は。

 たった半月の間にアンの面倒ごとを

 三件も解決しちゃったんだから」


ヘルスメンの何気ない一言に、カートの脳裏に一つの疑問が浮かび上がった。



…偶然なのか?



フェラクリウスの死闘の数々は、超越者にしか解決できない問題だったはずだ。


いや、跋虎バッコ春梅シュンメイに至っては並の超越者では太刀打ちできない程の強者であろう。



鸞龍ランリュウは全てわかった上で、フェラクリウスを利用し事態を処理したのではないか。



跳虎チョウコの所在については千里眼の情報で確認していた。


ならば跋虎バッコが近くにいる事も把握していたはずだ。


フェラクリウスの義侠心を利用し、跳虎チョウコを討伐させる。


跳虎チョウコを討ち取った強者を狙ってやってきた跋虎バッコも続けて返り討ちにさせる。


結果アンの兵を消耗せず、一人の超越者によって二つの問題をいっぺんに解決出来た。


敬龍館ケイリュウカンのときもそうだ。


春梅シュンメイが師匠を殺したのには彼女なりの理由があった。


鸞龍ランリュウがそれに気付いていれば、事件の発生は予期できたのではないか。


そして鸞龍ランリュウの命を狙う春梅シュンメイを、フェラクリウスの手で始末させた…。


そもそも春梅シュンメイとの決着がついた後、やってきたのはアンの医療部隊のみ。


もしフェラクリウスが敗れていれば彼らも全員春梅シュンメイに殺されていただろう。


そんなミスを犯すか?


到着したタイミングも、隊員の編成も不自然だ。


華蝉カセンたちは敬龍館ケイリュウカンで何が起こるかを事前に知っていたのではないか。


虐殺事件が発生し、犯人がフェラクリウスによって倒される事まで。


そして、決着がついたことを確認してから現れた。


事前に何が起こるかわかっていれば、烏が事細かに状況を説明する必要などない。


ただ合図を送るだけでいい。



全て結果論。


たまたま賽の目がアンの国にいいように転がっただけかもしれない。


だが、あの男ならば偶然すら仕組む事が可能だったのではないか。


いや、全てが仕込みでなかったとしても、偶然を利用しながら…


「カート」


疑心暗鬼の迷宮に迷い込もうとしていたカートを引き戻すように、フェラクリウスが呼びかけた。


「偶然だ。

 こんな事まで全てを予見できたら

 そいつはもう人間じゃねえ」


やはり、フェラクリウスも同じ疑念を抱いていたのだろう。


だが、彼は既に結論を出している。


「裏でどんな思惑が渦巻いていようが、

 俺は俺の意志で戦ってきた。

 それによる責任は、俺自身が背負うしかない。

 その覚悟が無ければ、自分の命なんて懸けられん」


そうだ。


フェラクリウスの意志が、覚悟が、アンの人々を守った。


この男が救ったのだ。


それで十分だった。


もしこれら全てが仕組まれていたのだとしても……。


仕組まれているのだとしたら、俺がこのタイミングで気付く事まで予定調和に含まれているはずだ。


自らに疑いをかけるような真似をするか?信頼を失うような疑惑を、何のために?


だから、これはただの思い過ごし。


そう自分に言い聞かせるも、カートは鸞龍ランリュウという底知れぬ男に対し畏怖の念を抱かざるを得なかった。

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勇者フェラクリウス ~性欲無双の男~ パイオ2 @PieO2

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