繋ぐ糸の色を教えて/美しい町
秋色
The beautiful Town
雑誌の手作りコーナーに載っていた虹色の手作りマフラーの作り方。それを見て、作ってみようと思った。それは高校生活初めての秋の事。十一月が目の前に迫り、風が冷たく感じる朝もあるので、小さなマフラーがあればなぁと思っていた頃の事。
近所に手芸の先生が住んでいるから大丈夫。先生と言っても、土曜日の午後、材料代とお菓子代を持ち寄り、みんなで何かを作る会だ。それは子どものいない夫婦二人だけの家。奥さんのカスミ先生が手芸教室を催している。
雑誌に載っていたのは、針で編むのではなく、厚紙を使って織っていくやり方のマフラー。カスミ先生に指導してもらいながら進めていくうち、みるみる出来上がっていく。ミルク色の縦糸にまず同じミルク色の横糸を少し織り合わせてから、違う色を織りまぜていく。まずは作り方の写真通りに淡いピンク。
先生は言う。
「ピンクはペンの色に使われているような単純なピンクより、サクラ色のような他の色の混じったピンクが縦糸に合うわ」
先生おすすめのピンクの毛糸の玉は、何だかくすんだ感じでぱっとしないと思っていたけど、実際に使ってみると、本当によく合っていた。
ここは平穏で、世界一美しい町。
整然と並んだ家々は、どれも同じ規格、同じ壁と屋根の色になっている。
三才の時に一家でここへ越して来て以来、ずっとこの町が大好きだ。欲しい物は何でもここにある。パパもママも、ちょっと生意気な弟も大好きで、ご近所さんとも仲良しで。そして手芸教室のカスミ先生は、いつも完ぺきな物を作り上げる。
いつも何にでも満足できた。ただ一つの挫折を除いては。
その前の年、高校受験に失敗していた。小学校と中学校は近くの教育大学付属の学校に通っていた。その教育大学付属は中学までしかない。そこから、ちょっと背伸びしないと入れそうにない高校に行こうとし、やっぱり無理だった。
素敵な制服、賢そうでオシャレな生徒達。全て自分とは違う世界のものになった。
その代わりに入った県立高校は、同級生が、上級生が、何だか怖い。これまでの小中学校にはいなかったようなタイプの生徒、ワイルドな感じというのか、単にざっくばらんな感じなのか、そういう生徒が多かった。
中学までなら「言ったでしょ?」とか、「言ったじゃない」と返ってきた会話も「言うとろーが」とか、「言ったっちゃ」と返ってくるし。
ストレスフルな一週間を終えた土曜日の午後は、高校生活の事を忘れたくて、手芸教室へ行く。
「ピンクの後は、写真だと薄紫になっているけど、先生はどの糸がいいと思いますか?」
「そうね、あまり薄くなりすぎない藤色がいいと思うわ。これなんかどう?」
「それだとちょっと暗くならないかな?」
「この方がぼやけて見えないのよ。そういえば
「悪いと言えば悪いかも。今日、学校で、私が当番で音楽室の片付けをしている間に、勝手に二月の駅伝大会の選手が決められてたんですよ」
「選手に選ばれなかったの?」
「それが選ばれたからサイアクなんです!」
「走るの、苦手なの?」
「分からないけど……たぶん苦手です」
長距離走なんて走った事がなかった。苦手というより、かったるそうで好きでない。テレビで駅伝大会の様子を見ているだけでも、息苦しくなってくる。
それに本格的に駅伝の練習をするとなれば、しばらく土曜日の午後の手芸教室にも行けない。マフラーはこの冬完成しないまま、来年の冬に持ち越しが決定だ。
翌週、練習のために校庭に行くと、すでに選手に選ばれている、自分以外の生徒達が集まっていた。やる気なさを見抜かれたような、白い目を感じる。
「今日はまず、二キロメートルを自分のペースで走ってみなさい」という担当教師の言葉。
校門を出て、高校と隣の公園と工場の周囲を一周して帰って来るコース。
もう三分の一位で息が苦しくなってくる。
校庭に戻ると、苦しそうなのは自分だけで、他の運動部の生徒達は余裕の表情だ。同じクラスの陸上部の男子、鍵野ユウマと同じタイミングで水飲み場に着いたので、思い切って訊いてみた。
「どうやったらそんな余裕で、息が切れずに走れるの?」と。
でも、「そんなん、自分で考えればいーやん」と冷たい一言。ここは、この学校は極寒の地だ。
とりあえず自分で考えた手立ては、自分と同じ、細身の体型の女子の選手を見つけ、どう走っているかを観察する事だ。ちょうど同じような体型の生徒がいた。同じクラスの古河ヒトミさん。陸上部だし、大人しそうなので、後について走っても文句を言われそうにない。
私が二週に渡って観察していて気付いた事。一つ目は、ヒトミさんは駅伝の練習の前に、家から持ってきたおにぎりを食べている事。そう言えば、お昼ごはんのお弁当にもおにぎりが入っている。
そして走る時には、背筋を伸ばし、同じ呼吸のリズムで走っている。
私はママに頼んで普段のお弁当におにぎりを入れてもらうようにした。土曜日にはママの仕事が早出なので、自分でおにぎりを作った。
駅伝の練習の時には、古河ヒトミさんの後を同じようなフォームで、呼吸のリズムも真似て走った。そんな私を周りの子はストーカーを見るような、ちょっとヒキ気味な目で見ていたけど。
慣れてくると、走っている周辺の景色にも目が行くようになった。
高校の周辺は、私の住んでいる町とは色合いが違う。工場が多いし、そこで働く人達の行く食堂や洋服店、雑貨屋がある。
前を走るヒトミさんは、工場の敷地の横を走る時、いつも工場の中をチラ見するのに気が付いた。ここはお菓子の工場。ここで作られるお菓子に興味があるのかな。
そして二月の駅伝大会の日は、あっという間に訪れた。仕事のため、両親は来れない。いや、元々、高校の駅伝大会なんて家族は見に来ないだろう。平日だし。私もヒサンな結果は見られたくなかったし。
でも当日、意外にも走れた自分に驚いていた。自分の前にヒトミさんもいないのに、いつものピンと背筋の伸びたフォームを思い出しながら、落ち着いていつもの呼吸のリズムで走った。真冬の、晴れているのに、ぱりんとした空気の中を。
結果、今までで一番良い記録を出せ、先生から褒められた。家族に見られても良かったな、と少し思った。高校の駅伝大会に家族は来ないと思っていたけど、陸上部員達の家族の姿はポツポツ見られた。
古河ヒトミさんが私を呼び止めた。そして袋詰めのお菓子を渡した。
「これ、ウチの母さんの差し入れなんやけど……」
「え? こんなに? いいの?」
「母さんの勤めとる工場のお菓子やけ、遠慮せんでいいよ。ね~?」
「そうよ。ちょっと欠けたのとかは商品にならないから、もらって帰れるの。味は全然変わらないし、出来立てだから」
ヒトミさんの隣には、優しそうな女の人が立っている。あ、だからいつも工場の横を通る時にチラ見していたんだな、と納得。
「同じ陸上部? 初めまして、よね?」と訊かれた。
「あ、同じクラスの山下柚愛さん。陸上部じゃないけど」
ヒトミさんが紹介する。
「そう。でも陸上部に見えた。きれいな走り方」
「お手本が良かったんです」とヒトミさんを見た。ヒトミさんも照れ笑いしているように見えた。いつも無愛想な小麦色の小さな顔に笑顔が浮かぶのを初めて見た。
「いつの間にこんな仲良しが出来てたん」ヒトミさんのお母さんはうれしそうだった。
ふと後ろを見ると、大家族がいた。鍵野ユウマの家族だ。みんな、同じような瓜実顔に細く涼し気な眼をして、ユウマと話をしている。
妹に弟に両親だろうか。兄弟に囲まれて、すごくニコニコしている。普段は目付きが険しく、可愛げがないのに。ユウマはこちらに気が付くとやって来て笑いかけた。それにもビックリしたけど、急に褒め始めたのにもビックリした。
「山下さー、結構やるな~。今日、走るの見て見直したけ」
「鍵野君のアドバイスが良かったんだよ。これ、いやみでなく、マジだからね」
ユウマは笑うと細い眼がいっそう細くなって、意外とかわいい。首に巻いたタオルのライム色が眩しかった。
****
やっと駅伝大会が終わった。これでマフラー作りも再開できる。私は手芸の先生とバスで三十分かけて、ショッピングモールにある手芸用品店に行った。先生は、定期的にこの手芸用品店に行き、材料を買い揃える。たまに私もお供していた。
その帰りのバスの中で、つり革につかまり、二人で窓の外を見ていた。
外はもう夜の帳が下り、星が瞬いている。バスは、私の高校のある町、ささやかな賑わいを見せる町へと入った。チェーン店のイタリアンレストランの前に、自転車に乗ったウーバーイーツの配達員姿の鍵野君の姿を見つけた。そう言えば、最近、教室で話すようになった彼から、週末の夜バイトをしていると聞いたっけ、と思い出した。
「私もバイト、始めようかな」
何気なく言った一言に、隣の先生は眉を潜めた。
「まだしなくていいんじゃない?」
「え?」
「ほら、高校もこの辺りで、ゴミゴミしていて、柚愛ちゃんが影響されちゃいそうで心配なのよ。ほら、あんな風に……」先生は鍵野君を私の知り合いとも知らずに、目で追いながら言った。「ガラの悪そうな若い子とは関わらないで生きてね。私達とは違う世界よ」
その言葉に、胸の何処かでちっぽけなネコが尻尾を踏まれたように悲鳴をあげる声を聞いた。美しい町を遠ざかる自分の姿が見える気がした。
その日、家に帰り、自分の部屋で作りかけのマフラーを広げてみた。
もう、手芸教室に行くのはよそう。心の中でそう決めた。でも次に繋ぐ糸の色をどう決めようか。もう先生にアドバイスをもらえないのなら?
いつかのユウマの言葉を思い出していた。
「そんなん、自分で考えればいーやん」
そうだ。いつかのタオルのようなライム色にしてみようかな。うん、あの眩しい色の糸を探そう。
〈Fin〉
繋ぐ糸の色を教えて/美しい町 秋色 @autumn-hue
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