人事倫理の依存と機能麻痺
内務省衛生局人事倫理課
『人事倫理は、人々が善悪の判断を正常に保つために必要な倫理の綜合である』
善悪の判断の基準つけるのはとても難しい。
片方からは正義と捉えられることでも、
別の視点から見るとそれは悪と捉えられることができてしまうからね。
ロールズの正義論について少し話をしよう。
無知のベールという概念がある。
これは、自己の出生、地位そして資産などの自己の立場について、
明確に示すことができない状態のことを言うんだ。
彼、ロールズは、
この状態の人々が公平な正義とは何かを議論した時、
最終的に行き着いた結果を正義としているんだ。
だがおかしいとは思わないかい?
たとえ自己の社会的立場についての知識が何もない状態であったとしても、
そこに自己同一性はあるわけだ。
だからそこには安全網を張って機会均等な社会福祉に努める者もいれば、
リスクテイカーでそれを否定する者だって少なからず出てくるはずだ。
こう見ると、
善悪の判断なんてものは自己同一性がある限り難しいように思えてしまうね。
だが簡単な方法が一つある。
みんなで基準を決めるという行為自体をやめれば良いんだ。
つまり、独裁者が基準である、とすることでこれは解決できる。
内務省衛生局人事倫理課、通称「人倫課」が正にそれなんだ。
二〇三〇年一月一日、内務省が日本に再設されて以来、
民衆の人事倫理衛生、つまりは民衆がどれだけ心が清らかか
その基準は衛生局人事倫理課に握られていた。
人倫課は民衆の人事倫理衛生状態の調査と向上を目指す課。
そう君たちは学校で習っただろう?
だからつい数年前の学校の教育指針には、道徳の時間が毎週3時間設けられていたわけだしね。
だがその実はどうだろう?
ミルグラム実験というものがある。
平凡な心情を持つ人間でも一定条件下に晒されることで、
誰でも権威者の冷酷非道な命令に従う人間になるのだろうか。
そういった実験だ。
この実験によって示されたことは、
人々のほとんどは権威者の命令に従い、
残酷な行いができてしまう。
そんな悲しい結果だった。
人はみな本質的な意味の犬になれる。
『三銃士』で有名な大デュマの格言でこういうものがある。
「猫は貴族で嘆称する。一方、犬は卑俗で、彼らは媚び
民衆は当時犬だった。
飼い主に「お手」を調教されるように、
人倫課からは人倫課の望む『人事倫理衛生』を強要されていた。
ところで、
先ほどから僕はこの人倫課について常に過去形を用いていたのだけれど、
君たちは気づいてくれたかな。
虚構の菊 雨湯うゆ🐋𓈒𓏸 @tukubane_1279
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