Chapter.5 ✿ お風呂一緒に入りますか…先輩
「なにこれ、見たことないジャケット」
ベッドに横付けしたサイドテーブル。上にはノートパソコンとスピーカー。
そこに隣接するように用意したラックに積まれた数枚のCD。
お気に入りのアーティストのものもあるけど、時々聞きたくなるような私自身が歌ってきたもの、声優友達の出したもの。
そういった中からいくつかピックアップして。
――うわー……ナルシストっぽい
なんて、並べてるときになってルームウェアに着替えたばかりの絵梨にダメ出しされたけど。
そんな絵梨が私の背後から手を伸ばしたのが、その一枚のCDだった。
たしか、アイステの1期と2期のアニメ放送の間くらいのイベントで出したユニット曲のやつ。
「あー、イベント限定配布のCDだから。あー……興味ないかもだけど、いる?」
「うん、いる……」
へー……意外。
ぜったい、いらないって言われると思ってた。
思わず振り向いた私に、目を細めながら、「なに?」と気怠げな声が返ってきた。
初めて会ったときと変わらない威圧感のある言葉だけど、その格好がピンク色のセットアップで。似合ってはいるけど、その態度と裏腹な可愛さに笑ってしまう。
「いや、私のCDとか興味あったのかなって」
「アイステは! 人気だったし、アタシも勉強に……見てたし。だから、これ」
絵梨がサイドテーブルから取り出したのは、油性のボールペンだった。
つまり、そういうことだ。
「ん? え? まじ?」
「ダメなんだ?」
「いや、いいけど、サインくらい」
「じゃあお願いね」との言葉に仕方なく応えてあげることにする。
キャップを口にくわえて、ペン先を露わにする。
キュ、キュ、とプラスティックを上を小気味よく筆が走る。
水無月の漢字と、あいりの平仮名。
あとは……ちょっと工夫をして崩した感じにして。
「手慣れてるね」
「でしょ?」
「ありがと、でもサインに猫とかハートとかは描かなくてもよかったかな」
「悪かったわね、これでも可愛いって言われてたんだから!」
―――――――― Chapter.5 ✿ お風呂一緒に入りますか。……先輩 ――――――
「味噌買ってなかった?」
「二段目」
「塩と砂糖は?」
「キッチン下の棚にあるでしょ」
「ねえ、キャベツは」
「野菜室に決まってるじゃない! てか、もういいよアタシやるから」
料理番は5日交代。理由は使いかけの食材がわからなくなるのが嫌だから。
らしい。
それで何年も一人暮らしをしてきた社会人を差し置いて
初めてのキッチンに、苦戦していた。
絵梨は最近の子にしてはなんでも好き嫌いなく食べるし、むしろ野菜のバランスとかにうるさいくらいで。だから、汁物と煮物と……っていう、田舎のお婆ちゃんを思い出す料理を作っているわけ。
「いいの。高校生に毎回作らせるわけにいかないわよ、それに今日ずっと絵梨スマホ見てるし、忙しそうだから」
「べつに、大したことしてないし」
Vtuberとしてのアカウントでも見ているのかな、って思って私は料理を置いて、絵梨のいるダイニングテーブルまで顔をだす。
「どれどれ〜」
「ちょっと、包丁もって近づかないで。危ないわね」
「あ、ごめん。キャベツ切ってて……って、なにこれフリマアプリ?」
「うん、この前のCD出してみてるんだけど、ぜんぜん売れそうになくて」
この前の……CD?
思い出したのは久しぶりに私が傑作のサインを描いたあれだ。
「ばかやろー!」
だからサインをせがんだのかこの子。
てゆか……そう遠くないうちに絵梨のほうが売れっ子になるんだろうなって思うけど。……可愛いし。声もキレイだし。
アカウントの管理も全部、絵梨任せだし。
なにより、オカルトみたいなことを言うのもなんだけど、オーラが違うってわかる。
「まぁまぁ、収益入るまでアタシたち、じり貧じゃない」
「一緒にしないで、私はこれでも本職があるし……今月末でまたひとつサ終するけど。って、ふーん結構売れてるじゃない。……サイン入りグッズ」
定期的にエゴサはするけど、こうやって自身のグッズが売られているのはあまり見たことがなかった。だけど、売れてるのは関連商品ばかりで……。
「うん、菜々さんとか実花さんとかは人気みたい」
「あー……あはは。菜々と実花ね」
後輩が目に浮かぶ。美人な菜々と、可愛くて人気の実花。
ああ、そういえば来週から実花がメインキャストやっている地上波アニメがあるんだっけ。
あれ、最近私アニメの仕事ってあったっけ――
考え始めるとガチ凹みしそうな気分で、包丁をもつ手がぶらりと落ちる。
「でも、藍里のだって値下げの連絡とかは来たりしてるから!」
「――それって喜んでいいの?」
「ファンがいるってことじゃん! 一人でもいれば十分でしょっ、って待って、なんか焦げくさくない?」
「……あ、鍋の火かけっぱなしだったんだ」
✿ ✿
「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
料理の出来は、及第点だと思いたい。
絵梨の手元のお皿がすべて綺麗に空になっているのが、彼女の育ちによるもので無理してのことでなければ。たぶん。
「――どうだった?」
「ん? なにが」
「いや、だから、味とか」
「里芋の煮付け焦げてたけど、それ以外は良かったんじゃないの。てか、作ってもらって文句言うほどアタシ育ち悪くないし」
育ちによるものでした。
「さて、アタシお風呂入ってくるけど」
「あ、待って! 今日は先いい?」
明日は久しぶりの本職の用事で街まででなければいけない。
郊外にあるマンションへの引っ越しもあって、いつもより早くに起きなければいけない。だから、体調を整えるためにも先に風呂に浸かって、身体を休めたいと思ったのだ。
「……新作の本届いたからすぐ読みたかったのに」
「絶対長くなるやつでしょ、無理無理、絵梨お願い!」
「んー……別にいいけど……でもコンタクトもいまはずしちゃったし、化粧も落としたいんだけど。てかー、一緒に入ったらいいんじゃないの? なんてね」
「え? ……え?」
心臓が、跳ねる。
私のなかの何かが。どきどきとするそれが鼓動だと気づいたのは少ししてからだった。
たぶん、いまの私は馬鹿みたいに口を開いたまま固まっていると思う。
思うけど、身体が動けないままだ。たぶん頭もあんまり動けてない。
待って、待って。
私は一体なにに戸惑ってる?
「……へ? 藍里、いや、冗談なんだ、けど」
「あ。うん……知ってる。知ってるけど、じゃあ……えっと、先、入ってきたら、どう?」
もうすでに服を半分たくし上げ、その細い腰から、へそまでを露わにしたままの絵梨の姿を見ながら、私は辛うじてそう返す。
別に女の子の身体なんて、24歳を女の子と位置づけるなら見慣れてる。この緊張はたぶん、もっと違う。百合営業にあてられた? そんなわけない。
これまでも、百合キャラの相手役くらいなら演じてきた。
だから、そんなこと。……ない。
「あー……明日って、そういえば……。ううん、ごめん藍里、アタシがわがまま言っただけ、ラジオの収録だったよね、たしか」
「うん、そうだけど」
「じゃあ、先いいよ。ごめんね、服着直すね」
華奢ですらりとした体つきに、まだ未成熟な胸をスポーツブラで隠しただけの姿。そんな絵梨が冷房で寒そうにしている。
いけない気持ちとかそんなの抜きにして、私が……大人がここで無理言うのは違うって思った。
「ううん、絵梨、さき入ってきていいよ」
「だめ! だって、藍里は大事なお仕事があるんでしょ!!」
強い言葉と透き通る声。
単なる言い争いのなかに、仕事が絡むだけでこうも、説得力が増すなんて困る。
「でも……」
「……じゃあ、やっぱり、一緒に入りますか。……藍里先輩」
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