Chapter.6 ✿ 縦じゃなくて横!
息が詰まるかと思った。
でもそれは、恐怖を伴う溺れるような感覚なんかじゃなくて。
感動や幸せを
幼いころから気管支喘息を患っていて、そんなアタシが声を使う仕事につきたいなんて思ったのは、検査入院の病室のなかで見ていたアニメの影響だと思う。
i-Stella、アイドルを描いた青春モノのアニメ。
アイステの7話は東紫亜というキャラクターのメイン回で、アタシはその話がすごく好きで、何度もタブレットで見直していたのを覚えてる。
耳にはめたイヤホンから流れる彼女の声に勇気づけられた。
その声の一音、一音を大事に聞き漏らさないように。そんなことしなくてもすべての台詞を空で言えるくらいに聴き込んで。
それでもなお聴き返した。
『歌、踊り、可愛さ――求められるすべての付加価値でもって、最高のパフォーマンスを届けたいの』
東紫亜が、その声の金切る一歩手前の叫びが好きだった。
聞くたびに心臓が跳ねる感覚があった。
それは、喘息の発作とは違う、幸福な息のつまりだった。
声優っていう仕事を知ったのは、そのエンドロールで『水無月藍里』の名前を見たからだ。
いまも言える。
アタシは、彼女に憧れてる。
――じゃあ、やっぱり、一緒に入りますか。……藍里先輩
だからかな。
そんな言葉を口にした瞬間、それが自分自身の言った言葉だというのに。
呼吸ができなくなるくらい、息がつまった。喉が渇く。
口腔内のすべての水分が蒸発したみたいに、水が欲しくなる。
「アタシが良いって言うまでは、藍里は待機! いいですね?」
アタシが藍里に憧れてるなんて、悟られないようについてる虚勢も簡単に剥がれてしまいそうなくらい、心臓が高鳴ってるのがわかった。
きっと意味のないこととわかりながら、脱衣所で吸入器を口にする。
気持ちを落ち着かせる。
なんてことはない。
女の子同士。相手が憧れの存在かどうかなんてカンケイない。
だけど、さすがに慣れ始めた浴室を見ておもった。
思ったより、狭いって。
―――――――― Chapter.6 ✿ 縦じゃなくて横! ――――――――
「おまたせ、入っていいわよ」
「やっとね、じゃあ失礼して……、うっわ。ふたりだと結構狭いね」
絵梨からの許可を待って、服を脱いで。
一瞬迷ったうえで、タオルを巻いて浴室に入ることにした。
ボディソープに瑞々しい匂いが鼻をつく。
湯気の白さと、ユニットバスの壁パネルが同化してより白を濃くしてる。
そんななか、湯船につかる絵梨の髪の蜂蜜いろだけが、綺麗に映えて見えた。
「絵梨、綺麗な髪してるよね」
「え? なにいきなり! ……こっちくるまえに染めてきたから」
「ふーん、じゃあ前までは黒髪だったの?」
「純日本人の両親のもとで生まれましたからね。そういう藍里はハーフ? なんてことないわよね」
「うん、同じ。青のメッシュは、キャラづくり」
ふーん、と彼女の興味なさそうな返事。
浴室のモヤに目が慣れてきたのか、絵梨の表情までしっかりとわかるようになってきた。華奢というよりは、痩せすぎなんじゃないかなって思うくらいの体型。
「じろじろ見ないでもらえます?」
「あー、ごめん。てか、私も身体洗うから、できればあまり見ないでくれると嬉しいなー、みたいな」
「見ませんよ。腹たってくるし」
「なんで!」
「……胸、写真で見るより大きい」
「私、いつそんな写真撮られたの」
「4年前くらい前のG'zのなかの雑誌グラビアで脱いでたじゃん」
4年前……アイステの仕事がノッてるときの頃かー。ぜんぜん覚えてない!
いや、脱いだって言っても多分そんな際どいものじゃないだろうし。
そういえば、あの頃から私ぜったい太ってるよね。
お腹を触ってみる。
――
「あの……ほんとあんまり見ないで、とくにお腹」
「だから見ないってば!」
海綿スポンジで泡を立てて、身体を洗う。この際、絵梨のことは気にしないことにする。シャワーに手を伸ばそうとしたタイミングで彼女が差し出してくれる。
やっぱりしっかり見てるよね。とか思うけど気にしないでおく。
恥ずかしい。ただただ、恥ずかしい。
「絵梨がさきに入った理由、よーくわかったわ」
身体を洗うとき、シャンプーを髪につけるとき。
無防備にならざるを得ないそのすべての所作が、気になってしまう。
おなじ裸であっても、湯船という水のベールに隠しているだけ絵梨はずるい。
しっかり、胸元は隠してますし。
「ねえ藍里」
「……え? なに?」
泡を流すシャワーの音に掻き消えそうなくらいのか細い声。
「水無月藍里って本名? じゃないよね」
「あー、うん。藍里はそうだけど、水無月は違うよ。絵梨はどうなの? あ、無理に言わなくていいからね」
「ううん、アタシが振った話題だし気にしないで、アタシはまだデビューもしてないし、本名なんだよね」
「そうなんだ、なにか考えてる名前とかあるの? まー、勝手に決めていいもんでもないかー」
「一応、好きに決めていいって。ホルモン絵梨とかじゃダメだろうけど」
「なにそれ、ウケる。で、なにか考えてるの?」
「……水無月、あ、ほら。一応姉妹って設定でやってるし……」
湯船に顔を半分つけて、そのまま溺れてしまいそうなくらい沈んでいく絵梨。
多分恥ずかしいことを言ってるって、自覚しての行動で。
それを受けた私自身、同じくらいの感覚を共有していた。
シャワーの水煙のおかげで、お湯の熱による頬の紅潮のおかげで、全部が多い隠せてよかった。って思う。
「んー、ほんとにいいの? てか、そんなことされっちゃったらさ」
――私、まだ辞められなくなっちゃうじゃん
「……ダメかな」
「ううん、ダメじゃない、でも決めるのはまだじっくりでいいんじゃないかな。大事なことだから、ね? さて、お風呂入っていい?」
「あ、じゃあアタシ出る……」
「なに言ってんの。ほら、一緒に入るんでしょ! ほら、詰めてつめて」
肌が触れ合う感覚が、こそばゆい。
でも、それ以上に今は嬉しい気持ちが強くて、少しだけ大胆でオープンな気持ちでいられる気がした。
先輩もいたし、後輩もいる。同期と呼べる子も、ライバルだった子もいた。でも、どこか距離を置いてた私がいるし。
10年間の活動のなかで、ずっと一人な気がしていた。
水のない月を泳ぐように、誰もいないなか、土煙を浴びているような気持ちだった。
でも、今は。
この瞬間は彼女が隣にいる。絵梨とのいまは、少し冷めてきた湯船の感覚と似て。
ぬるま湯くらいがちょうどいい。
「いや、あの、入らないから! ふたりは無理!」
「 縦じゃなくて横になったら入るって、直列じゃなくて並列になれば!」
「電池じゃないんだから! ああ、もう。わかったから触らないで、てか誰かさんの胸あたってる。貧乳への当てつけ?」
「当てつけてやるーうりゃー。なんてね、ほら。横なら入ったでしょ」
「……入ったけど。なんか出荷されるウインナーの気分」
「なにそれ、ウケる」
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