Chapter.3 ✿ もしかして二人で使えってこと?
オートロックのエントランスの扉と防犯カメラ。
最低限のセキュリティが備わっていることを確認し、そのことに安堵しつつ鍵を開ける。入居する部屋がある7Fまではエレベーターで向かった。
そして玄関からリビングへと向かう。途中廊下から枝分かれした先にあるバスルームやトイレの位置にも目を向ける。
間取りは二人で住むということもあり広々として感じられる。
電子レンジや冷蔵庫といった最低限の家具家電は用意されているようだった。
「なんか、綺麗だけど普通の部屋ね」
ここで新生活が始まるのか、と感慨に耽る間もなくプロデューサーの言っていた通り、事務所からのバイク便に、私物の詰まった宅配便、機材を含めた大型の配達便などがつぎつぎに届いた。
手始めに、受け取ったバイク便で届いた封書を開けることにした。ダイニングテーブルの椅子へ腰掛けて、頬杖をつきながら眺めていく。
「いつも思うけど……こういうのの文字小さいなー。んー、と」
Vtuber活動においては声優事務所【atelier.K】ではなく、Vtuber事務所【P2P】所属とすること。転居、住居費、光熱費は【P2P】が負担。
「それは昨日メールで見てたから良いんだけど……Vtuberとしての収益化までは無給……か。収益の20%が私の給料になる……噂には聞いてたけど結構シビア。声優としての給料なかったらやってけないね、これ。――来月にもまたアプリひとつ、サ終決まってるんだけど、ね」
誰もいない殺風景な部屋で、私の独り言だけが響き渡る。
このまま一人きりなら……気分転換にもなるし、いい引越なんだけど。
「……。んん? 新人声優:高瀬絵梨(バーチャルアイドル『もか』)と百合ユニットを組んでもらいます。住居は同居とする。設定上、姉妹百合関係であることを通していただきます――なにこれ!」
契約書の最後の行に目を向ける。
【声優、水無月藍里としての活動は伏せ、バーチャルアイドル『ここあ』として活動していただきます】
イチからっていうより……ゼロからのスタート、なのね。崖っぷち声優だし、私のネームバリューはむしろ余計ってこと。ね。
―――――――― Chapter.3 ✿ もしかして二人で使えってこと? ―――――――
書面をもとの封書へと戻して立ち上がった。自分んの送った分くらいは片付け始めとこうかな。
ダンボールの一つを運び出し、荷ほどきを始める。
急遽決まった転居とはいえ、思い出の品くらいは持ってきたかったという思いから届けたもの。いままでに届いたファンレター、出演したアニメやライブのDVDやCD。アイステの……東紫亜のキャラクターグッズ。
「アイステのグッズ……? だいぶ昔のアニメじゃない」
耳に入ったのは、透き通るような声だった。
突然の声がけに私が振り向いた先に、キャップ姿のうえ、サングラスをかけた少女がいた。明らかに不審者じみた組み合わせではあるが、すぐに彼女が例の問題児であることに気がついたためそれほどの驚きはなかった。
それ以上に思い出を『昔のアニメ』という言葉で片付けられたことのほうが気に触る。
「べつに、いいでしょ。自分の部屋に……置くものなんだから」
その子は、ふーん、と興味半分の返事をかえしながら部屋の中をあちこちと覗いて回る。
「風呂は、ここか。トイレはこっちね。空気もいいし、匂いはちょっと薬品臭いかな。まー、清掃のときのだから換気しとけばいっか。まぁ、悪くない部屋じゃない」
声に合わせキッチンの辺りからファンの回る機械音が鳴り出す。おそらく少女がレンジフードの紐を引いたのだろう。
そしてリビングへ戻ってくるやいなや、椅子をひいて我がもの顔に座った。
実際には彼女にとっても今日から自宅にあたるのでそれは当然な権利なわけだけど。その態度には、やりづらさを感じてしまう。
せめてサングラスくらいとって挨拶からでしょ、まずは。なんて、社会人としての常識を叩き込みたくなる。
そんな私の心象を見透かしてか、少女はサングラスをとってから私を見た。
どんな憎たらしい顔をしているのか、とさえ思っていたが事前の情報にあったようにまだ十代の少女らしい、あどけない表情だった。
「いちおー、これから一緒に住むことになるんだし、挨拶しとくね。アタシは高瀬絵梨」
そう言って、絵梨は満面な笑みを見せる。
……可愛い子。さすがにコンテスト受賞者、見た目もいいわけだ。目、おっきいし。
心のなかで褒めたその目も、すぐさま半瞳程度にまで細められ、私をきつく睨みつけるような目つきのものへと変わる。
「もうどうせ事務所から聞いてるだろうけど、デビュー前にクビになってヤバいやつ扱いされてる声優の卵」
聞いてるけど、そんな言い方されたらなんて言えば良いかわかんないじゃない。
なるべく大人な対応をしなければと、しどろもどろになりつつも営業スマイルで挨拶を返そうとした。
「あー……うん、絵梨ちゃんのことはちょっとは聞いてるけど。えっと私は――」
「水無月藍里でしょ。アイステの東紫亜役の。あとの出演作は……ごめん、思いつかないわ」
知っててこの態度か……!
「あはは、最近の子は知らないよね。そろそろ私も辞めちゃおうかなーってくらいの立ち位置だからさ、まー気軽に接して……」
「自虐っぽく笑うのやめなよ。カッコ悪い、そういうの声から伝わってくるから。それと、ちゃん付けはやめて。――アタシ、あなたのこと藍里”さん”なんて言うつもりないし。契約じゃ、そういうカンケイ? らしいし。いいよね。藍里」
異論ははなから認めるつもりのなさそうな口ぶりでそう言うと、絵梨は間取り図を手に、さきに決まっている互いの部屋の位置を確認しはじめた。
「たしか居間を挟んで真向かいに部屋があるはずだから……北側がアタシのだよね。ここかー。うん、いい感じの部屋! まー、離れてるのはいいよね、プライバシー考慮してていいじゃん」
その点に関しては私にとっても同意するところで、絵梨の行動に合わせるように私もまた自分へと割り当てられた部屋を見にいくことにする。
まだなにもない部屋。大きな窓からは初夏の日差しが入り真新しく張り替えられた白の壁紙をより白くみせていた。Vtuberをするにあたってのパソコンや機材類といったデスク周りのものはまだリビングに積まれている。
しかし、家具家電付きであるなら無くてはいけないものがない。
「ちょっといい? なんでアタシの部屋にベッドないの?」
まさにその無いものの正体を絵梨が口にする。
「私の部屋にもないんだけど」
絵梨が今一度間取り図を見直す。
「もう一部屋あったんだった、客間かなにかと思ってたんだけど……うーん」
そう言いながらとぼとぼと移動する絵梨の後ろを、私もまたついていく。
玄関から居間までの廊下の間にその部屋はあった。
「ここが寝室……? これダブルベッド? いや、クイーンサイズくらいの大きさじゃん。なに、もしかして二人で使えってこと?」
「……え?」
「ちょっと、見てくる!」
なにを? と思った矢先に、絵梨は寝室を飛び出して居間へと戻っていく。
おそらく彼女の私物のキャリーバックを開けているのだろう。ジッパーを荒々しく開ける音が聞こえる。
「あった。見てこれ!」
急いで戻ってきた絵梨がそう言って指さしたのは、手にした契約書の一文だった。
契約書の条項には『水無月藍里/高瀬絵梨 両名の同居*が条件』とあり、その中略にはこう記されていた。
【※寝室を共にすること】と。
「ええええええ」
思わず荒らげた口を咄嗟に抑えた。
そんな私を横目に、さらに目を細めた絵梨が口を開いた。
「……藍里、嫌なんだ?」
「ううん、嫌とかじゃないけど……びっくりしちゃって」
「そ。アタシはめちゃくちゃ嫌なんだけどね。――でも、契約じゃ仕方ないから」
私も嫌だよ、めちゃくちゃ!! そう返したくなるのをぐっと堪える。
大人だから、なのか。先輩だからなのかは、私自身わからないけれど。たぶん、ただ波風がたつのは好きじゃないからなのかもしれない、とも思った。
本当は、向かい風に立ち向かうくらいの気概じゃなきゃ、生き残れない世界にいるのだけど。
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