Chapter.8 ✿ 全力で、命を吹き込むだけ
先日の喧嘩のあとから絵梨とはお互いにぎくしゃくした心持ちのまま、予定の配信日をむかえてしまった。
そもそも喧嘩なんていうものじゃない、あれは私に問題があったのは明白で。
だから酔いが冷めて、冷静な頭で絵梨には謝ったのだけど。
それ以降、どこか距離を感じてしまっていた。
――今日の放送、台本は用意してたけど、内容を変更して歌枠にしない?
そう絵梨が持ちかけたのは、朝になってのことだった。
理由を聞いても、なんとなく。という素っ気ないものだった。そういう態度も言い方も彼女らしいといえば、そうなのだけど。
歌枠とは、その名の通りに配信者がカラオケ音源を流しながら、歌を披露する配信のことで、そういった配信は今後もやっていくつもりでいたし、事務所からもそれ相応の機材や音源ももらってる。
だから、断る理由もなくて、私はそれを了承した。
なにより放送の構成も企画もすべてをリードしているのは絵梨で、私はそれに従うことでここまで続けられているようなチャンネルだから。
―――――――― Chapter.8 ✿ 全力で、命を吹き込むだけ ―――――――
「……さすがに取り付けるのには慣れたものだけど、すごいよねこの環境」
モニターディスプレイに取り付けられたウェブカム。
ヘッドマウント型のVRディスプレイをはめて、トラッカーと呼ばれるセンサーのデバイスを手と腰に。
そうすることで、演者の上半身の動きと表情を読み取ることができる。
その一挙手一投足はリアルタイムで設定されたモーションキャプチャーのアニメーションを動かすトリガーになる。
初めてのときは、絵梨に手伝ってもらいながらキャラクターとの連動を確認して「動いてる!」なんて言い合ってたっけ。
まだそんなに前のことでもないのに、どこか昔のことみたいに感じる。
誰かに強く予定通りの放送を強制されてるものでもないし、だから現状を思えば延期することもできるものだったが、それを私たちが選択しなかったのはある種のプロ意識の表れだったのかもしれない。
たぶん、絵梨はそう。
でも私は、そうじゃないかな。
なにか打開策が見つからないままの現状を変えたかったからなんだ。
それでも変わらなかったら? 考えたくはないけど、それこそプロ意識という点でみれば、ここを区切りにして、役を降りるべきではないかとすら、考えなくもない。
✿
「あー、歌った~気持ちよかった! あたしね! アイステだと紫亜推しだったの! だからかんっぺきだったでしょ??」
――コメント欄:元のあいりんの声より可愛い系でよかったよ~
――コメント欄:もかちゃん、かわゆ
――コメント欄:収益化してたらスパチャしてたんだけどなー!
「もか、すっごく可愛かったよ! アイステいいよね、私もずっとアイステ好きだったから、わかる。でも……どうしようかな、こんなに、もかが上手く歌われちゃったら、私なに歌えばいいか迷うじゃん」
迷う理由はふたつ。
一つは、契約内容として『水無月藍里』として出した歌を披露するのは禁止されていること。まぁ、さすがに歌うとわかっちゃうかもしれないしね。
じゃあなんで絵梨が私の持ち曲を歌ってるのって思うわけだけど。
しかも上手だし……可愛いし。
『――水無月藍里。そんな、覚悟もなしに……これまでよくやってこれたわよね』
もう一つの理由。
それは、絵梨に対して……ううん、うぬぼれかもしれないけど、私の……水無月藍里のファンだった子へ、ちゃんと届くようなものにしたいから。
幻滅させちゃったかもしれないけど、私にできることは声を出して、歌を届けるくらいしかできないから。
なんて、ね。
そんなこと考えているなんて思ってないんだろうね、絵梨は。
「ここあお姉ちゃーん? 目泳いでるよ~? 歌得意でしょ。緊張しないで、ほらほら~」
モデリングされた彼女のキャラクター『もか』が身体を揺らしたり、手をぱたぱたさせて、私が曲を選ぶのを待っている。
――コメント欄:魔法少女はるかのOPとか歌ってほしー、あいりんつなぎで!
――コメント欄:アイステぜったい似合うと思う!
――コメント欄:あ、わかるわかる、ココアちゃんは水無月藍里の地声っぽいんだよな、ラジオのときにそっくり
「あ! ごめんね。いろいろ決めるのに迷っちゃって! うーん、アイステか~。好きだけど、アイステつづきもあれだしねー」
本気で悩みはじめたときに、並ぶコメントのリクエスト曲の中から目についたのは、かつての後輩で、いまや売れっ子になった声優の名前。
「……実花の、曲……。リク頂いているノイタミナ枠のアニメ、青春レモネードED、橘実花の『レモネード』歌いますね!」
――コメント欄:通なチョイス!
――コメント欄:みかちゃんの曲、しっとり系じゃん
コメントを目にしながら、再生されるイントロを耳にしながら、軽く息を吸う。
ED曲らしいゆっくりとしたテンポ、乾いたピアノの音に4つ打ちのビート。
身体を揺らしてリズムをとる。
私と同期されたモデリングもまた、おなじように揺れている。
そこにマイクがあって、演じるべきキャラクターがいる。
その事実と向き合い続けてきた、自覚ならある。
――だから私はただ、全力で、命を吹き込むだけだ
水のない月を泳ぐ - 声優歴10年の私と女子高生の共同Vtuber生活 - 甘夏 @labor_crow
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