今年の夏は、きっと雨になる。
西奈 りゆ
第1話
「ちょっと! まだ食べてないじゃん!」
夜8時。やっと仕事から帰ってドアを開けたわたしは、テーブルを指さして言った。
ラップを被った胡麻和えと、イワシの煮物と、「みそ汁はナベにあるよ」のメモまで、そのまんまだった。
電気がついた寝室で、
どうせと思ってゴミ箱を見たら、カップラーメンの空箱。
「ほんと、信じらんない。作ったわたしの身になってよね」
泰樹は、いつもそうだ。
わたしたちの帰宅時間はまちまちで、一緒に住み始めたとき、どんなに簡単なものでもいいから、料理は分担しようということになっていた。
泰樹が「俺も一人暮らしのときは、自炊してた」なんていうから。
甘かった。味じゃない、わたしがだ。
もともと別々の家で育った、他人同士。きみだってそうだったってことに、一緒に住んで初めて気がついたんだっけ。懐かしいよね。
わたしの家は、祖父が糖尿病で、父も予備軍ということもあり、小さい時から和食中心の食卓だった。野菜はもとより、肉よりは魚のほうが食卓によく上るような、そんな家。そのせいもあってか、わたしは昔から油ものが苦手で、焼き肉なんかも苦手だった。
一方、泰樹のほうは、男ばかりの3人兄弟ということもあってか、とにかく派手で大味な料理が多かったらしい。野菜はともかく魚を食べるのはほんとうに時々で、たまに食べるとしても刺身くらいだったという話を同棲前に聞いて、「それ、不健康でしょ。将来心配だよ」と笑ってみせても、かなり先行きに不安を感じたのを覚えている。
そんな泰樹の「自炊」の腕は、まあ、そうだよね、というものだった。
もはやオイスターソース色に染まりかけている、もやしとキャベツの炒め物。たまーに、冷蔵庫に眠っていたにんじんが、ざっくざくに切られて入っていたり。
端どころか底がこげた目玉焼きはまあ、ご
これはペヤングですか?と言いたくなる、申し訳程度にキャベツが入った焼きそばは、放っておくと常連メニューになる。一度「茶色のシェフ」とあきれて名付けたら、怒るどころか気に入ってしまい、ほんとうに「茶色のシェフ」になってしまった。
別にわたしも和食以外無理!というほどの人間ではないけど、どちらかというと濃い味のものは週に2回くらいでいいというような人間だ。
そのうち「分担」は、料理と片付け、その他を空いているそれぞれが、その都度担当する、というかたちに落ち着いた。
2人で暮らし始めたとき、きみは二人で買い物に行くたびに、「野菜とか魚って、値段高いのに食べるとこ少ないじゃん・・・・・・」とか、ぶつくさ言っていたけど、「じゃあ、あんたが作れば!」と一度本気で睨んだの、効いたんでしょ?
面と向かって謝られたわけじゃないけど、それから言わなくなったもんね。
惚れたほうが負け、ということかな?
もしそうなら、そのままでいてほしい。なんてね。
ただ、泰樹には依然、困ったくせがあった。
夕ご飯には早すぎる、けれど小腹が空いたというとき、「ごめん、つい・・・・・・」と買い置きを食べてしまう。
適当に買ったお菓子とか、余っていたコロッケとか、カップラーメンとか。
運動部の中高生か!と、何度ツッコミを入れても変わらないので、ある日わたしもけっこう本気で怒って、しばらく険悪になった。
2年過ぎた今になればもう思い出になっているんだけど、同棲なんて、そういうあるあるの積み重ねで、なんとなくうまくいく。
きみが「ちょっと出かけてる」ってラインしてくるとき、歩き回ってまた夕ご飯が食べれるようにしてるって、わたしは知ってる。
一緒に住むことがいろいろうまくいかない場合もあるけど、幸い、わたしたちはうまくやっていけた。
「もう! 先、食べちゃうからね!」
返事も待たず、5月の気温で汗ばんだ服を着替えて、席に着く。
適当にテレビをつけると、地元のローカル番組が、町のテーマパークの取材をしていた。特におもしろいわけでもないけど、今はそのほうがいい。そんな気分だった。
クーラーがついているから、にじんだ汗はすぐ引いた。
疲れてめんどうだったので、ご飯だけ温めて、イワシもおみそ汁も、そのまま食べることにした。いただきますと手を合わせて。
涙が出た。
たぶん今回は、手を合わせたのが、いけなかった。
油断した。なんていうこともないことがきっかけで、わたしの記憶の倉庫は、いつも不意打ちの記憶を引っぺがす。
わたしには、けっこうそういうところがある。
不意に脈絡なく、高校時代のいやなこととか、先輩からの叱責とか、大きなミスをしたときの気持ちを思い出してしまって、ずん、と暗い穴にはまってしまう。
そんなとききみは、なぜか見当違いなものばっかり買ってくる。
栄養ドリンクとか、シュークリームと白玉団子とか、たい焼きとか、たこ焼きとか。
だからわたしは、どこかで安心して、悲しむことができた。
ねえ、今、きみは何をしようとしてくれているんだろうね?
・・・・・・なんてね。
知ってるよ。そんなこと。
最初から、きみが食べないことなんて、知ってる。
空箱なんて、さっさと捨てないといけないなんてことも、知ってる。
笑顔のきみが、でもあきれた顔をもうしてくれないのも、知ってる。
きみがもういないなんてこと、もう知ってる。
あの日、きみに何が起きたかなんて、見ず知らずの人から聞かされて、もうずっとずっと繰り返して、記憶の底で、また記憶をずっと掘ってるんだよ。
ねえ、じつは野菜も魚も苦手だっていうから、頑張ったよ? 頑張ったんだよ?
これは美味いって言ってくれて、意外と好き嫌いがあるきみは、魚はこればっかり食べるようになってくれたよね?
写真の中のきみは、ずっと笑顔のくせに、もうそれを上書きしてくれない。
わたしに指輪をくれたきみ。
今年の夏は、きっと雨になる。
今年の夏は、きっと雨になる。 西奈 りゆ @mizukase_riyu
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