第18話 君たちはどう生きるか
九州北部も梅雨明けが発表され、日本全土が梅雨明けした。それはつまり日本全国で夏本番が始まったと言う事だ。連日の暑さに俺は気が遠くなっている。色々対策はしているものの、それを上回る暑さ……冬生まれは夏に弱いって本当だと思う。
さて、夏と言えば夏映画。この夏も話題作が盛り沢山で、劇場派の俺は今週も新しい映画を観に劇場に向かっていた。週に一度の安い日に……。
そんな日の夜、サワと雑談をしていると突然彼女から話題を振られる。
『今話題の映画見た?』
『ミッションインポッシブル? 観た観た』
『いや……』
『あ、実写版リトルマーメイドは観てないで』
『いや……』
彼女からの返信の歯切れが悪い。つまりタイトルはハッキリ覚えていないのだろう。このパターンだと俺が正解するまでタイトルを挙げていくしかない。一種の連想クイズだ。
そこで、俺はこの夏に観た映画のタイトルをどんどん挙げてみる事にする
『インディジョーンズ? 観たけど?』
『ああもう違う違う、鳥のやつ!』
俺が不正解ばかりしたせいで、サワはキレ気味にヒントをくれた。その『鳥のやつ』と言う事ですぐに正解に辿り着く。この夏の俺が観そうな映画で鳥が出てくるとなると、該当する映画はひとつしかないからだ。
『ああ、『君たちはどう生きるか』ね』
『それそれ! 見た?』
『観たで。あ、迷ってんの?』
『そうなんだよー。何も情報もなくて判断出来ないし、感想が賛否両論みたいじゃん』
『まぁ不安になる気持ちも分からんでもないわな』
『面白かった?』
今夏封切られたジブリ映画『君たちはどう生きるか』。現在大ヒット上映中だ。この映画は事前に一切情報を公開しないと言う広告戦略が取られ、映画の上映前に分かっていたのは映画の元ネタが『君たちはどう生きるか』である事と、謎の鳥が描かれたポスターだけ。
この『映画を観るまで内容が分からない』戦略はネタバレの嫌な人には受けていたものの、少しでも内容を知らないと観る気にもならない人には受けが悪い。サワもその1人であり、俺に内容を聞いてきたと言う訳だ。
内容を気にすると言う事は、観る気はあるって事なのだろう。俺は公式の戦略を尊重して、ネタバレにならないように慎重に言葉を選んだ。
『少なくとも、観て後悔はせんかったで』
『何それ? 答えになってなーい!』
『でも面白いかどうかなんて個人差があるからなあ』
『それは分かってるから。正直なところどうなんよ?』
どうやら抽象的な答えでは満足出来なかったようだ。彼女が欲しいのは正直な評価であり、俺視点での評価。そこまで分かった以上、俺は一度深呼吸をして心を落ち着かせると、すっと指を動かした。
『おもろかったで』
『そっかー。なるほど』
『でもサワが観ても面白いかどうかは分からんよ』
『それはこっちが見て判断するって。話の合う人が面白かったって言うなら、私も面白いと感じると思うんだよ。つまり、タケルが面白かったなら私も楽しめるはず』
『なるほど、そう言うアレね』
俺はサワの言う理論に納得する。話の合う人は感性が似ているから、好みもう合う事が多いって言うのは一理あるだろう。
これで話も落ち着いたし、次の話題に移るのかと思ったら、当然そんな事はなかった。
『で、どう言う映画なのこれ。あの鳥は映画に出てくんの?』
『公式が情報を制限しとるしなあ……』
『いいじゃん別に。もう公開始まってんだし。もうバレてるよ色々』
『んじゃあ、ネタバレにならない程度の事なら……』
公式が情報公開していないのもあって、俺は映画の内容については余り話したくはない。けれど、もうググっただけで大体のネタバレ情報には出会ってしまうだろう。俺に映画の内容を聞いてきたと言う事は、彼女は今までネタバレ情報に触れていないと言う事だ。
そこまできっちり決まり事を守っているならと、俺はネタバレに配慮しながら質問に答える事にした。
『せやで、あの鳥は出てくるよ』
『あの鳥ってなんなん?』
『アオサギや』
『ほおお』
サワは俺の答えに興奮している。情報を得られたのがよっぽど嬉しかったのだろう。俺はこれからどんどん質問攻めになる予感を胸に、調子に乗って余計なネタバレをしないようにグッと心を引き締める。
『結局どう言う話なの?』
『舞台は戦中で、主人公の少年が成長する話』
『話のもとになった『君たちはどう生きるか』の要素って映画にも出てくる?』
『出てくるで。詳細は秘密やけど』
『へぇ~』
サワは俺の解説、と言うか説明に聞き入っている。ネット上の反応だから見入ってると言う方が正しいか。雰囲気的にいい感じになってきたような気がしたので、改めて聞いてみる。
『面白そうな気になってきた?』
『まだ分かんない。で、ファンタジー要素とかある? 宮崎映画と言えばやっぱそこは大事っしょ』
『むっちゃファンタジーやで』
『じゃあ見る!』
どうやら彼女は宮崎映画にファンタジーを求めていたらしい。まぁ確かに今までの監督映画には全てファンタジー要素があった。一番シリアスに作られたであろう『風立ちぬ』ですらファンタジー要素がたっぷりあったのだから、最新作にそれがない訳がないわな。
かなり観たい方に天秤が傾いたであろうサワは、ここで素朴な疑問をぶつけてきた。
『でも何で賛否両論、しかもアンチな意見の方が目立つ感じになってんの?』
『それはな、そう言う人らが今までの宮崎映画と同じものをこの映画に求めたからだと思うんや』
『違うの?』
『少なくとも、子供が観て楽しめる作品ではないかもなあ』
『主人公少年なのに?』
『この映画は様々な場面転換があるんやけど、その展開になるのに説明が足りないんや。分かりやすく言うと、テレビシリーズ作品の総集編みたいな感じやね』
『物語の隙間を観客が脳内で補完しないといけない系?』
『そそ。だからそう言う知識の応用の出来ないお子様には厳しいと思うわ。親が質問攻めに合う映画やね。でも物語の把握が難しいから親も困ってしまうって言う……』
ジブリ、特に宮崎映画は今でも一般的には『となりのトトロ』のイメージが強く、親はそう言うのを求めてしまう傾向にある。けれど、『君たちはどう生きるか』は説明不足で観客の事をあまり考えていない。本当に分かり辛い作品だ。
単純に楽しい映画だと思ったら違うものが出された訳だから、アンチな意見になるのも仕方ないとも言える。甘口カレーを頼んだら激辛が出てきたのだ。文句のひとつも言いたくなるのも人情だろう。
そんな感じで不評の理由を自分なりに分析したところ、画面の向こう側から全く失望していない雰囲気の返事が返ってきた。
『じゃあ私は大丈夫かな。分かったふりして楽しむのも好きだもん』
『ところで、サワは宮崎映画は好きなん?』
『好きだけど。何、急に?』
『この映画は宮崎映画好きなら楽しめる作りになっとるんや。逆に言うと、そこまで好きやない人には向かないかなって』
『それは、宮崎映画好きな人に向けたサービス的な展開があるって事かな』
『そう言う事』
『なるほど、俄然興味が出てきたよ』
俺が映画の特徴のひとつをやんわりと伝えたところ、サワは確実に映画を観に行く感じになってきたようだ。もうこれ以上背中を押す必要はないだろう。俺は自分の推し事に満足する。
あんまりしつこいと逆効果になりかねないので、後は流れに任せようと思っていると、彼女からテーマ的な事について追求されてしまった。
『で、映画を見終わって『君たちはどう生きるか』って考えた?』
『いやあ、特には。そもそも、映画って基本『君たちはどう生きるか』って問いかけて来るもんちゃうかな? そう言う意味ではタイトルが普遍的なメッセージすぎるんよな』
『あ~』
『だからこの映画、タイトルが合ってない気がするんや。『君たちはどう生きるか』はキャッチコピーで良かったんやないんかなぁ?』
そう、俺は正直このタイトルはミスマッチだと思っていた。このタイトルのせいで観る気をなくした人もいるのではないだろうか。この映画はタイトルで損をしている。多くの人に見てもらおうと思ったなら、こんな説教臭いタイトルより作品の内容に合うタイトルにした方がいいはずだ。
俺がタイトルについて強く主張すると、彼女側から解像度の高い答えが返ってくる。
『元ネタがそれだからリスペクトしたんでしょ』
『でも原作そのままのアニメ化やないんやから変えてええやん。原作のキャラが出てくる訳でもないんやから』
『それを言うなら風立ちぬだって同じじゃん。原作を参考にして原作のタイトルを使ってる』
『あ、確かに。じゃあアレは宮崎映画の作風なんやなあ』
彼女の指摘に、俺は目からウロコがポロポロと落ちる。このスタイルでタイトルを付けたのは今作が初めてじゃなかった。ハッキリと元ネタのある作品は、全てその元ネタのタイトルにしている。
その法則でタイトルを付けるなら、そりゃあ今作もあのタイトルしかありえない。俺は自分の考えの浅さを反省した。
最後の最後に解釈違いで失敗したものの、俺のプレゼンはしっかりサワに刺さったようだ。
『取り敢えず今度の安い日に見に行くよ。有難う』
『映画、楽しめるとええな』
こうして、1人の女性を映画館に運ばせる事に成功した俺は満足感に満たされる。布教に成功した宣教師もこんな気分なのだろうか。契約が取れた営業マンと言う喩えの方がしっくり来るか。
大抵の劇場にはレディスーデイとか安い日が設定されている。次のその日に彼女は『君たちはどう生きるか』を観に行く事にするのだろう。次にこの映画の話をする時は、ネタバレありの深い考察雑談になるかも知れない。
俺は彼女からの深い話にも対応出来るように、ネットの考察動画やら2回目以降の鑑賞をスケジュールに組み込んだのだった。
真夜中のフリートーク(仮) にゃべ♪ @nyabech2016
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