最悪な再会(栄秀治)

真の担任・栄の番外編です。



■一章 呪われた少女

■番外編 最悪な再会(栄秀治)


「養護教諭の先生、退職なさるそうですよ〜」


 隣の席の笠松かさまつが、のんびりとした口調で言ったのを聞いて、栄は少し驚いた顔で「そうなんですか」と返した。


(そうか、あの先生退職されるのか……)


 件の養護教諭の先生と言えば、眼鏡をかけたほんわかした印象の年配の女性だ。


 栄自身、受け持った生徒が保健室に行く際や行事の際、養護教諭には何度もお世話になっている。


「じゃあ、来年度からは新しい先生が来るんですね」


 栄の何の気無しに発した言葉に、笠松が「そうですね〜」とまた気の抜けた返事を返す。


 年が明けたばかりの教員室には生徒は居らず、教職員のみが各々の仕事を片付けている。


 栄は目の前の山積みになった書類を見ながら、正月呆けで眠い頭を軽く振った。


 因みに、隣の席の笠松は眠いからではなく、いつもこのようなのんびりとした口調なので、通常運転だ。


 その笠松が、ペンを唇に当てて上を向きながら言う。


「どんな先生でしょうね〜」

「まあ、養護教諭の先生って癒し系が多いですし、そんな感じじゃないですか」

「えー、イケメンがいいなあ」

「男性ってあんまりいらっしゃらないですね」

「ちぇっ」


 教職員にあるまじき態度で唇を尖らせて、笠松がボールペンでこつこつと書類を軽くノックした。


 笠松の態度が緩いのはいつもの事なので、栄は特に気にした様子もなく新しい養護教諭を想像してみる。


 栄とて、関わりを持つ事の多い養護教諭に美人を望む気持ちは勿論ある。

 けれど、最早職場に出会いを期待する気持ちは年を経る毎に目減りしてきている。


 正直、新しい養護教諭が女性でも男性でも何でも良かった。


 ただ、連携が取れて問題を起こさない人物であるのが一番だ。

 独身生活も三十が近くなれば、希望も薄れていくものだった。


 栄は特別ルックスに自信があるわけではない。

 けれど、職業的にも清潔感は心掛けている。安月給とはいえ腐っても公務員だ。


 それにしても何故、彼女が出来ないのか。


 それは彼の持つ類稀な運の悪さのせいもある。


 旅行の類は全て雨。

 海に行けば友人が溺れかけ、雪の日は遭難しかける。

 初めての彼女は家庭教師に奪われ、受験の日に電車が停まった時はもう何もかも終わったと思った。


 極め付けは高校時代、特異な人物に目を付けられたーーと、そこまで考えて、栄は頭を振って思考を追い出した。


「栄先生どうしたんですか〜? 突然ヘドバンなんて始めて〜」

「い、いえ……ヘドバンってなんですか?」

「ヘッドバンキングの略ですよ〜」

「はあ」


 ヘッドバンキングも分からなかったが、適当に頷く。


 笠松は相変わらずにこにこして、書類を捲った。

 態度が緩く、頭髪が派手でも、そのせいで教頭から目を付けられても、笑顔だけは絶やさない所が彼女の美点だ。


 高校時代の事は、考えるだけで目眩がする。


 栄は現実逃避からも逃避して、一周回って目の前の減らない書類の山を見た。


 例え、養護教諭が変わった所で、栄には大きな変化もないだろう。

 精々、来年受け持つ事になる生徒が問題を起こして、まだ見ぬ養護教諭に迷惑をかける事だけは避けなければならない。


 その為に、新年度も気を引き締めていかないと。


 そう考え、養護教諭の件は頭の片隅に追いやって、取り敢えず目の前の書類に手をつけた。





 四月。


 式典らしくきちんとスーツで職員室に脚を踏み入れた栄は、口を開いた締まらない顔のまま固まった。


 視線の先、養護教諭の為の新しいデスクの前で、よく見知った人物が荷物を整理していたのだ。


 栄は思わず掌で口元を力強く覆い、ビタン!と音を立ててドアの裏側に隠れて、相手に目撃されるのを避けた。


 色素の薄い柔らかな癖毛、その垂れ目がちな甘い瞳、いつも薄く笑みを刷いた唇。

 周囲の人間が男女問わず視線を釘付けにしているその光景には余りにも見覚えがある。


 高校二年の卒業式の日、泣いて別れを喜んだ一つ歳上の先輩がそこにいた。


「えー、オホン。……本日から養護教諭として着任なさった、呼続先生です」

「初めまして。呼続左京と申します。これから目井澤高校の一員として、生徒のケアに努めます。よろしくお願いいたします」


 校長の言葉に、ニコリ、と柔らかく目を細めて微笑んだ美貌を見て、周囲の人間が思わずほぉっと息を吐いたのがわかった。


(どうか気付かれませんように……お願いします……神様……)


 栄は言葉を失い、冷や汗をかいて真っ青の顔で呼続の顔を見る。

 普段は初詣くらいしか神社に行かない癖に、人生で初めて真剣に神頼みをした。


「!ーー」


 目を泳がせる栄と呼続の視線が、パチリと一瞬交わった。

 

 呼続がヘーゼルの瞳を軽く瞠ったのが離れていてもわかった。


 栄は慌てて視線を逸らしたが、もう全て遅い。

 そもそも、同じ学校に勤める以上、今後も気付かれないようにするのは無理な話だった。


 自分の席に戻るように言われた呼続は、真っ直ぐに栄に向かって歩いた。


 気品さえ感じるその歩行に、周囲の人間が男女問わず見惚れている。

 栄はその光景を見ずともわかった。高校での二年間、飽きる程見てきた光景だからだ。


 呼続は柔和な微笑を、親しげに綻ばせて口を開く。


「栄くん……失礼、今は栄先生ですね。まさか新しく赴任した先でお会いできるなんて、思ってもみませんでした」

「えっ栄先生、呼続先生とお知り合いなんですか〜?」


 栄が否定を口に出す前に、笠松が割って入って呼続に話しかけた。


 笠松は完全に呼続をロックオンしたようで、チラチラと栄に視線を寄越している。

 紹介して欲しいのだろうが、栄はそれよりもどうやって呼続の視界から消えるかばかり考えていた。


「栄先生とは、高校が同じだったんです。僕が二年で、彼が一年の時から卒業するまでとても親しくしていて」

「えー! それで職場で再会なんて、運命的じゃないですかぁ!」


 栄は歯を食いしばって直ぐにでも出そうになる暴言を耐えた。

 しかし、呼続に未だ暴言など吐けた事がない。


 親しく、と彼は言ったが、栄から見た印象とは違う。


(使いっ走りにしてた、の間違いだろ!)


 彼は何かにつけ、他の生徒やしつこいストーカーの対処を栄に丸投げし、あれやこれやと栄を巻き込んでは、学校内の問題に首を突っ込んでいったのだ。


 その数々の出来事が走馬灯のように脳裏を巡り、栄は目を回しそうになった。


 呼続は笠松の言葉に何か思う所があったのか、暫く考え込んでいた。


 そして、にっこり、と毒すら思わせる程艶やかに笑ったのだ。


「運命的……確かにそうですね。栄先生、やっぱり君と僕の縁は繋がっているみたいですね」


(ぎゃあ!!)


 久しぶりに聞いたセリフに、栄はぞぞっと怖気が走るのがわかった。


ーー『縁』。


 呼続の言うこのセリフに、栄はどれだけ振り回された事だろうか。


「はは、は……呼続先生、うちのクラスの生徒に何かあった時は、よろしくお願いします……」


 にこにこと笑みを浮かべる呼続を前に、 乾いた笑いを浮かべて、栄はそう言った。

 

栄先生が呼続先生に怯えている理由でした。

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【SS】呼続左京の心霊調査録【番外編】 水飴くすり @synr1741

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