【SS】呼続左京の心霊調査録【番外編】

水飴くすり

1.呪われた少女番外編

新しい生活(東浦悟)

■一章 呪われた少女

■番外編 新しい生活(東浦悟)


「悟ー!! 遅刻するよ!!」


 朝から母親の怒り狂ったような声で起こされて、悟はぼんやりと意識を浮上させた。


 時計を見て、常より随分早い時間に起こされた事に驚く。

 そして、その理由を即座に理解して大声を上げた。


「……起きたー!!」


 返答はなく、悟は直ぐ様布団から出て立ち上がる。


 目を開けるまでに時間がかかるだけで、一度目を開ければ直ぐに覚醒できる所は悟の美点だ。

 毎朝悟を起こす事になる母親が聞いたら直ぐ様拳骨が飛んでくるだろうが。


 寝巻きにしているTシャツのまま一階に降りると、母親が調理済みらしい朝食を食卓に運んでいた。


「おはよ〜」

「あんたは本当に寝汚いな! 今日入学式なんでしょ! ご飯食べる時間あるの!?」

「ぜってー食べる」


 悟が答えると、母親は大袈裟な溜め息を吐いて素早くおたまで味噌汁を掬った。


 十六歳になったばかりの食欲旺盛の健康男児が、半日とはいえ一度食事を抜いたらどうなるか。

 式の最中、腹の虫が鳴き続けるに違いない。

 幸い、悟は食べるスピードが早いので時間には間に合うだろう。


「お母さん、悟が朝ごはん食べないなんて有り得ないでしょ。いっつもゾウかってくらい食べるんだから」


 悟が食卓に着くと、目の前に座った姉ーー奈穂がスマホを弄りながらそう言った。

 大学生の姉は髪色も派手で、ネイルもごちゃごちゃとしている。

 ネイルなんて、ペンを持つ時に邪魔にならないのかと思う程長い。


 悟は初めこそ姉の変化に驚いたものの、今では見慣れたものだ。


 悟は箸を掴みながら、呆れを滲ませた声で一言言った。


「姉ちゃん、ゾウはないっしょ」

「ゾウじゃん。トイレも長いし。あんたの後入るの本当ヤなんだけど」

「ちょっと! 朝から辞めてよ!」

「ははは、ごめーん」


 母親が悲鳴のような声を上げても、奈穂はどこ吹く風で笑っている。

 悟は女同士の会話になるべく混ざらないように、渡された茶碗の中身を素早く口に入れた。


「悟、今日入学式なんでしょ?」

「おん。その後クラスでなんか話きいて今日終わり。多分だけど」

「ふぅん」


 奈穂はニヤニヤと笑っており、スマホを弄るのも辞めて悟を見た。

 その視線の意味がわからず、悟は引き攣った笑みを浮かべる。


「え、なんスかね」

「べっつに〜。目井澤ってさ、毎年レベル高いじゃん? もしかしたら今日、悟にもついに春が来ちゃうかな〜?」


 奈穂はそう言って、珈琲を一口飲んで尚も声を出して笑った。


(……出た。恋バナ)


 女というものは何故こうも恋の話が好きなのだろうか。

 悟は呆れた雰囲気を出さないように無言で味噌汁を口に含む。


「俺、野球で頭いっぱいだからなぁ」

「あーもう。野球馬鹿。つまんないなぁ」


 悟の言葉に、奈穂は唇を尖らせて言葉通り詰まらなさそうにスマホを弄り始めた。


 何故、弟であるというだけで姉に娯楽ーー悟の恋愛事情など、姉にとっては娯楽なのだーーを提供しなければならないのか。


 少しばかり不満に思いながらも、悟はそれ以上何も言わずに素早く食事を終わらせた。

 早く準備して出発しなければ、入学式で遅刻は洒落にならない。母はとっくに準備を終わらせており、ジャケットを羽織れば終わりのようだ。


 悟は「ごちそうさま!」と勢いよく言うと、姉の前でも気にせず慌ててブレザーに着替えた。


「行ってきます!」

「いってきます〜。奈穂ちゃん、出掛けないなら掃除しておいてね」

「でかけまーす」

「まったく……」


 母の催促に、奈穂は何も考えてなさそうな顔でシンプルに返すと、ひらひらと手を振りながら「いってらっしゃーい」と気怠げに言った。





 入学式には様々な生徒とその親が集まっており、流石の悟も少しばかり緊張した。

 クラスはB組で、当たり前だが周りは知らない生徒ばかりだ。


 母親と別れ、講堂に集まった時には人の多さに圧倒された。


 中学とは違い、他の市、或いは県からも生徒が集まってきている。どこか、周りも様子を伺っているような気がする。


 試合前とはまた違う緊張を感じながらも、悟はきょろきょろと辺りを見回した。


 男女で綺麗に整理された列に、特別目立つ女子がいた。


 長い黒髪を背中までさらりと下ろし、真新しい制服を着崩さずに着ているその横顔は、アイドルかと思う程整っている。


 公立高校にアイドルなどいないだろうと思いながらも、悟はその雰囲気、オーラに圧倒された。


 パイプ椅子に軽く背中を預けて座っているだけで、何故他とこんなにも違うのだろうか。


 同じ列に並んで座っているという事は、彼女は同じクラスなのだろう。


『悟にもついに春が来ちゃうかな〜?』


 ふざけた調子の姉の声が脳内で再生された。慌てて頭を振ってそれを追い出す。


(俺は、野球に青春を捧げるんだ……!)


 脳内で拳を握り直した。

 けれど。

 もし自分に彼女ができるのだとしたら、ああいうおとなしそうな子が良いな、と思った。


 悟も年頃の男子だ。想像するのは自由だろう。


 間違っても自身の姉のような、汚い言葉を朝から連発したり、キツイ物言いの女子ではなく、優しく柔らかな雰囲気の女子が良い。


(いや、まあ。あの子ってわけじゃなくて)


 誰に言うでもなく、言い訳するようにそう思う。


 それにしても、美人な子だ。あの子にしか目が行かなくなる。

 周囲の男子も女子も、チラチラとその女の子を気にしているのを感じた。


 特に美しいものに目がない生徒などは、コソコソと噂話を前後でしているようだ。


 当の本人は、何も気付いていないのか、日常茶飯事なのか、薄く笑みを刷いて真っ直ぐに前を見ている。


 その時、悟は周囲がサワサワと騒めいている事に気付いた。それも、嫌な空気だ。


 中学の時も時折こういう空気を感じた。


 それは、誰かが雑なイジリをした時だったり、女子が泣いた時だったりしたが、悟は余りこの空気が得意じゃなかった。


 元凶は少し離れた席の男子だった。


「アイツブスだな〜」


 前の方で、聞こえよがしにそう言っているのがわかった。

 同じクラスではない、隣の列の男子の塊からだ。


 視線を凝らしてよく見ると、一人の男子がB組の列の女子の一人を指差していた。

 話しかけられている方は迷惑そうだが、初対面だからか何と言えばわからないという雰囲気で曖昧に笑っている。


「見ろよあれ、前が超美人だから比べられてかわいそー」


 どうやら、先程悟が注目していた女子の、後ろの席の女子の事を言っているようだ。

 悟からは、その女子の顔は見えない。けれど、明らかに嫌な雰囲気だ。

 周囲の人間も、入学式という場で様子を伺っているようだ。

 ちらちらとその女子や、比べられた前の女子の顔を見ている。


「人生嫌にならないのかなー。ブスってほんと、可哀想だわ〜。生きてる意味あんの?レベル」


 余りの言い草に、悪く言われている方の女子が、後ろから見てもわかるくらい顔を伏せた。

 多少気が強い女子でも泣いてしまうような、下劣な悪口だ。


 カッとなった悟が、顰めっ面で「やめろよ」と声を出そうとした時だった。


「うっっせー。あんたなんかブスの上に不潔だろが。悪口言いすぎて口臭いよ」


 小さいけれど、よく通る声が真横から聞こえた。


 驚いてそちらを見ると、小動物のような小柄でくりくりの目をした女子が、真っ直ぐに悪口を言っていた男子を見ていた。


 物凄く気分が悪そうな顔をして向こうを睨みつけており、それに気づいた男子は顔を真っ赤にして黙り込んだ。


 何か言いたいけれど、何も言えないという顔をしている。

 声が大きい自覚がなかったのか、直ぐに悔しそうに顔を伏せた。


 女子はそれを見るとフンと鼻で笑って、真っ直ぐ前を見た。


 その視線の先の、先程まで俯いていた女子が恐る恐る後ろを振り返って、潤んだ目でその子を見た。


 悟はその一連の流れを見て、二の腕に鳥肌を立てた。ゾクゾクと高揚感が走り、自然、口角が上がる。


「……かっけーじゃん」


 悟の口から、思わず小さく声が出た。

 隣の女子は真っ直ぐ前を向いていた視線を意外そうにこちらに向けて、ぱちりと大きな目を瞬いた。


「だろっ?」

「!!」


 そうして、ニカッと歯を見せて笑った。


 特別顔が良い訳でも、何か唯ならぬオーラを感じる訳でもない。クラスに二人は居そうな平凡な容姿だ。


 それなのに、この場にいる誰よりも輝いて見えた。


「……なんてね。余計かもしれないけど、あの子の前の席の子、私の友達なんだ。折角の入学式なのに、あんな奴のせいで二人とも嫌な気分になるじゃん」


 はぁ、と溜め息を吐いてその女子は言った。

 そうなのか、と思いながら前を向くと、アイドル顔の女子が笑顔で手を振っていた。

 それに手を振り返した女子を見て、ハッと我に返る。


「俺、東浦。××中から。……席近いし、よろしく。名前は?」


 入学式は名簿順で、クラスの席と同じだろう。という事は、暫く彼女が自分の隣の席になる。


 悟は愛想の良い笑顔で歯を見せて笑った。


「伏見だよ。よろしく」


 伏見と名乗った女子は、シンプルにそう言って愛想笑いの延長のように軽く笑った。


 とうに緊張は解けていた。


 入学初日から価値観の合いそうな人間と話せた事が、嬉しくなる。

 これからの学校生活の始まりに、気分を高揚させた。


 間も無く入学式が始まる。

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