トンネルの向こう側
大隅 スミヲ
トンネルの向こう側
「この先にあるトンネルは、昔から幽霊が出るって言われているんだよ」
集団の先頭を歩いていた黄色いキャップ帽を被った男の子が言った。背負っているランドセルはすでにボロボロとなっており、彼がかなりやんちゃ坊主であるということがわかる。
「えー、怖いよ」
その少年のすぐ後ろを歩いていた、いかにも気の弱そうな男の子が言う。
「大丈夫だよ。幽霊が出ても、おれがやっつけてやる」
黄色いキャップ帽の男の子は叫ぶようにいうと、ランドセルからリコーダーを抜き取って振り回した。
「ほら、列から離れない」
背がすらりと高い女の子が、やんちゃ坊主に注意をする。このくらいの年齢だと、男の子よりも、女の子の方が大人びて見えるものだ。
幽霊の出るトンネルか。
路肩に停めた軽ワンボックスカーの運転席で、
たしかに、あのトンネルの先にはいかない方がいいかもね。
トンネルを抜けたところで、あるのは誰にも使われ無くなった電話ボックスと、客が全然来ない一軒の寂れた花屋があるだけ。あとは空き地ばかり。あ、とっくの昔に閉店した雑貨屋さんの空き家もあるか。その向こうは山があるだけだし、本当に何にもない。
そんなことを思いながら、集団下校をする子どもたちの背中を見送っていると、助手席のガラスがノックされた。
「荷物は全部積み終わりましたんで」
「はい。ありがとう」
「では、よろしくお願いします」
男はそういうと、律儀に頭を深々と下げた。
渚も男に頭を軽く下げてから、エンジンを掛ける。
男は決して頭を上げない。きっと渚の運転するこの車がトンネルの中に消えていくまでは、頭を上げることは無いだろう。
彼らはそういう世界の人なのだ。礼儀作法には厳しい。
ただ、敵とみなした相手には別人のような態度を取る。容赦ない暴力と恫喝するのに使う口汚い言葉。
彼らの世界は両極端なのだ。
トンネルを抜けると、そこは何もない土地が広がっている。
一時期は再開発の噂も絶えなかったのだが、いまはそんな噂すらも耳にすることは無い。
ただの寂れた土地。
昭和の頃は商店も多くあり、大勢の人で賑わっていたという話を聞いたことがある。
それもいまでは、ただの昔話だ。
あるのは、客の来ない花屋が一軒だけ。
遠山生花店。それが客の来ない花屋の名前であり、渚が店主の店だった。
車を敷地の裏にある駐車スペースに停めると、エンジンを切って荷物を下ろす準備をはじめた。
漁港の作業員が着るような長靴とオーバーオールが一体化したような作業着に着替え、車の後部シートから荷物を下ろす。
荷物は大体60キロから70キロぐらい。重いものだと100キロの時もあるが、今回は比較的軽く60キロあるかどうかという重さだった。
その寝袋状の荷物を下ろして台車に乗せると、作業小屋へと運んでいく。
作業小屋はコンクリートブロックで囲ったものであり、窓は無い。空気を入れ替えるための大きな換気扇は取り付けられているが、作業中以外に稼働させることはほとんどなかった。
荷物を運び入れた渚は、ウインチを使って荷物を作業台の上に乗せる。
映画でしか見たことの無いような顔全体を覆うマスクを被ると、小屋の隅に置かれている古いバスタブのような物の中に、赤、青、黄色のポリタンクそれぞれに入った液体を注ぎ込む。
そんな一連の作業を渚は手慣れた様子で淡々と行っていく。
バスタブの用意が終わったら、今度は荷物の開封を行う。
渚がチャックを開けると、その袋の中には裸の女が入っていた。
髪は肩甲骨の辺りまであるロングヘアで、へその辺りにリングピアスをしている。
顔はきっと整った顔立ちだったのだろうけれど、いまは何かで強い衝撃を与えられたらしく変形してしまっていた。
その女の体にフックを引っ掛けて、ウインチを使って吊り上げると、そのままバスタブの方へと運ぶ。その様子はまるでゲームセンターのUFOキャッチャーのようだった。
しばらくの間、作業小屋の換気扇は回っていた。
作業を終えた渚は花屋の店舗兼自宅でシャワーを浴びると、裸のままキッチンへ向かい、冷蔵庫の中から缶ビールを取り出した。
仕事の後の一杯は格別だ。テレビCMではないが、本当にそう思う。
プルトップを指で弾き、缶に直接口をつけて冷えたビールを喉の奥へと流し込む。
少しだけ口の端からビールがこぼれて胸の辺りを濡らしたが、裸であるため気にはならなかった。
トンネルの向こう側の世界に、渚は住んでいる。
そこにあるのは客の来ない一軒の花屋だけであり、他には何もない。
花屋が潰れない理由。
それはインターネット通販で、肥料が飛ぶように売れているためだ。
その評判の肥料の作り方は誰も知らない。
今日もまた、渚は肥料の材料となる素材を受け取りにトンネルの向こう側へと向かうのだった。
トンネルの向こう側 大隅 スミヲ @smee
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