第3話

 後日……。

 牧村は私の相談を受けて、精力的に動いてくれた。

 試験休みに入ると同時に、学生を動員して長崎へ乗りこんできたのだ。


 私はとっくに引っ越しを終え、ひと足さきに家で待っていた。


「その後、同じことは起こりましたか」


 牧村はまず、学生たちに器材を設置するよう指示を与えた。

 そのあと、さっそく私の書斎へ上がりこんできた。


「いいや。あれっきり、なにも起きない」


「そうですか。しかし教授の話を聞いて、ぼくは燃えましたね。やってみる価値はありますよ」


「他愛もない幽霊話だったが……こんな大騒ぎになるとは思わなかった」


 私は短く言葉を切った。

 そして、これ見よがしに「ふぅ」とため息をつく。


「ところで……」


「はい?」


「君はなぜ、テレビ局まで巻きこんだのかね。昼間にディレクターとやらが挨拶にきたんだが」


「こと音響と映像技術にかけては、彼らのほうが専門家ですよ。大学のちんけな予算でそろえた器材より、彼らの力を借りたほうが、数段正確なデータを集めることができます。それに取材費も馬鹿になりませんし」


「これだけ大騒ぎして、空ぶりに終わらなければいいが……」


 プライベートな件と思って相談したのに。

 こんな大事おおごとになるなんて。

 私は次第に後悔しはじめた。


「大丈夫です。ぼくの理論と教授のアイデアが合致するかぎり、きっと成功すると思いますよ。学者は直感がもっとも大事だと、教授も言っておられたでしょう?」


「それはそうだが……」


 かつての口癖だっただけに、ぐうの音も出ない。


 牧村は額から流れ落ちる汗を乱暴にぬぐう。

 準備があると断わって書斎を出ていった。

 なんとも忙しい男だ。


 やはり……。

 は、そっと胸に秘めておくべきではなかったか?


 そう、なかば後悔し始めている自分に気づいた。

 思った途端、書きかけの原稿を続ける気もなくした。


 引退した今となっては、人を出し抜いてまで論文を書く意味はない……。



     ※※※



 陽が落ち、暑苦しい熱帯夜がおとずれた。

 しかし庭は、四方から煌々とライトに照らされて真昼のように明るい。


 一段さがった崖下の道路。

 そこでは発電のために用意された専用車が、近所迷惑になるほど騒々しい音を立てて唸っている。


 大勢の人間が声高に叫び。

 それぞれが、実験を行なうためのさまざまな準備に奔走している。


 昼間のうちに。

 近所に対し『学術研究のためのテレビ撮影』と挨拶していて本当に良かった。


 そうでなければ、クレームの嵐になっていたはずだ。


「そんなに電力を食うのかね」


 様子を見に軒先に出てきた私は、陣頭指揮をとっている牧村にたずねた。


「ええ。とても家庭用に供給されている電気だけじゃたりません。発電したぶんは実験用の大容量バッテリーと多層キャパシタに蓄電しておいて、一気に放出するつもりです。なので、急いで準備をしているところです」


「近所迷惑じゃないかな。私はこれからも、ずっとここに住むつもりなのだよ?」


 昼間の菓子折りとテレビ局のカメラ同伴が効いて、今のところ苦情はない。


 だがこれ以上になると、さすがに無理だ。


「昼間のうちにディレクターと、テレビの取材だって近所を廻って念を押しておきましたから、まずは大丈夫でしょう。そのうち見物にでもくるんじゃないですか」


「そんなもんかね?」

「そんなもんです」


 はっきり言って私は、かなり世間にうとい。

 なので牧村が胸をはって答えると、ついそうかと思ってしまう。


 やがて準備は完了し、いよいよ実験が開始される手筈となった。


 実験直前。

 私はテレビカメラの前に引っぱり出され、先日の体験をしゃべらされる羽目になった。


 レポーターの質問に何度もNGを出しながら、汗だくになって撮影を終えた。


 引き続きレポーターは、取ってつけたような知識で、をもっともらしく説明した。


 いかに今日の実験が科学的に画期的なものであるか。

 それを三段飛びの出鱈目でたらめな論法でまくしたてている。


 その頃にはすでに、私は番組に顔を出したことを充分すぎるほど後悔していた。


「実験、はじめまーす」


 学生の若々しい声が唐突に響きわたる。


 すべてのライトが消された。


 四方に設置されたカメラ群の放つ赤や緑のダイオードやランプの明かりだけが、ちかちかと庭でまたたいている。


「撮影、スタート!」


 ディレクターの合図とともに、牧村はスイッチを入れた。


 大容量のバッテリーから流れ出た大電流。

 それが多層キャパシタによってさらに増幅される。


 次に……。

 多段階にもおよぶ昇圧操作。


 恐ろしいほどの電圧と電流に、腕ほどもある接続コードが唸りを上げる。


 力を持て余した大電流。

 それは一気に、数箇所に設置された電磁波発生装置へなだれ込んでいく。


 電磁波は方向性を持たされている。

 庭の一点に焦点を結ぶよう、あらかじめ調整されている。


 焦点を結ぶ場所の周囲には。

 目の細かい銅でできた金網が張りめぐらされ、発生した電磁波を漏れなく反射するよう設計されている。


 ――ジッ、バジッ!!


 ほんの一瞬、まばゆい大放電が巻きおこった。


 次の瞬間・

 卵ほどの大きさの火の玉が、ゆらゆらと姿を現す。


 科学の力で産み出された人工の火の玉……。

 高温プラズマボールだ。

 その性質は、落雷にともなう球電現象に近い。


「よし、出たぞ!」


 牧村の嬉しそうな声がひびく。


 私は目を皿のようにしてそれを見守った。


 じっと耳を澄ます。

 かすかな音も聞き逃すまいと精神を張りつめる。


 そして待った。


 火の玉が、ゆっくりと移動を開始する。


 金網で囲われた庭の中を、高く低くなりながら移動していく。

 やがて前に私が見た、火の玉の消えた場所に近づいた。


 ……ふっ。

 前と同じように唐突に消滅する。


 痛くなるほどの沈黙がおちた。


 しかし……。

 私には、なにも聞こえなかった。


 期待は落胆にすり代わり。

 張りつめていた緊張の糸は、ふっつりと切れてしまう。


 思いのほか真剣になっていた。

 自分を苦々しく思い、自嘲がうかぶのを止められない。


「実験終了!」

「カァーット!」


 ふたたび喧騒が舞いもどってきた。


 牧村はディレクターと何事か話しこんでいる。

 もう一度セッティングを変えて、実験をやり直すつもりらしい。


 だが私は、すっかり興味も失せた。

 縁がわに出した椅子にでも腰かけようと背中をむけた。


 ――その時。


 だれかが叫んだ。


「入ってるぞ!」


 声の主は音響担当のスタッフだった。

 ヘッドホンを両手で押えつけ、興奮ぎみに叫んでいる。


 私は足早にそこへと向かった。

 抗議しようとするスタッフを黙らせて、もぎ取るようにヘッドホンを奪う。


 超高性能の指向性マイクロフォン。

 それによって拾われた音が、業務用の広帯域音源記録装置に録音されている。


 再生ボタンを押すと明瞭な音が耳に飛びこんできた。


 嵐のような人々の呼吸音。

 鼓膜が破れそうなほどのプラズマ放電の音。


 それらに混って……。

 ごくかすかに、それは録音されていた。


「良太郎、良太郎……」


 おふくろの声だった。


 忘れもしない、あの受話器から聞こえてきた声そのものだった。


 私は何度も再生を繰り返し、そして聞いた。


 蚊の鳴くほどの小さな声。

 だが、まちがいようのない過去の声が刻まれていた。


 まるで昔、受話器で聞いたのとそっくりに。

 潮騒のざわめきに似た雑音に混り……。

 はるか彼方から、にじんでくるようだった。


「教授、やりましたね!」


 私からヘッドホンを渡された牧村は、興奮のあまり顔を上気させて叫んだ。


 実験は大成功だった。


 長崎に落とされた原爆。

 それは、膨大なエネルギー放射によって空間さえも傷つけた。


 まるで透明なガラスに写真を焼きつけるように……。

 大気の震動をとらえ、空間そのものを歪ませ焼きつけたのだ。


【熱によって元にもどる形状記憶合金のように、空間の歪みは、同様のエネルギーを与えることによって、ふたたび大気震動に還元される】


 これが牧村のたてた仮説だった。

 牧村は私の目撃体験から推測して、それをプラズマ放電によって再現できると信じた。


 そして……。

 予想していた通りの結果を得た。


 たしかに、科学者にとってはとてつもない発見だ。

 膨大なエネルギーにより、空間に音響を記録できることが判明したのだ。


 それが核爆発による極めて偶然の確率ででき上がったものだとしても。

 飛びあがって喜んでいいほどの大発見だった。


 しかし……。

 そんなことは、引退した私にはどうでもよかった。


 牧村が興奮してディレクターに叫んでいる。

 音響担当のスタッフをつれて軒先のほうへ歩いていく。

 ふたたびヘッドホンは私の手に戻された。


 四十数年の時を越えて聞こえてくる。

 二度と出会えぬ声。


 を、私はじっと胸に刻んだ。


 懐かしい……。

 息子を気遣う母親の。

 涙がでるほど暖かい声だった。


 だがそれは。

 原爆によって時を止められたおふくろの。

 とうの昔に失ってしまった、忘れ去った悲しみそのものだった。


 おふくろは、時の亡霊となり果てていた。


 それが今。

 私のせいで、世間にさらされそうになっている。


 不憫……。

 心が哀しみで満たされていく。


 何度も再生をくりかえす私。

 録音スタッフは、とっくに呆れかえっている。


 ひとりふたりとそばを離れ……。

 白熱している軒先での打ちあわせに参加していく。


 やがて庭には、私ひとりだけが取り残された。


 私は録音データをもう一度聞きかえす。

 くりかえし聞こえる母の声を、しっかりと胸に刻みこむ。


 雷による球電現象――。

 自然のプラズマ放電と、先ほどの人工的なプラズマ放電。

 どちらも科学的には、あまり差がない。


 空間に記録された歪みは、プラズマ放電のたびに修正される。

 その時、副次的に可聴帯域で音声が再生される。


 次第に減衰していく記録データ。

 それが克明に物語っている。


 空間の歪みが修正されるにつれて、記録データも減衰していく。

 記録データの最後は、音源グラフで見てもフラットな無音となっていた。


 つまり……。

 すでに空間の歪みは解消され、いかなる操作をしても再生できない。


 そう。

 この記録されたデータを除いては。

 もう二度と、おふくろはよみがえらない。


「そのほうがいい」


 思わずつぶやきが漏れた。


 テレビでさらし者になるおふくろなど見たくもない。


 私はもう一度だけ耳を澄まし、声に聞き入った。


 それが済むと、そっと記録データの【物理消去ボタン】を押した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ささやきの彼方 羅門祐人 @ramonyuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ