ホラ吹き
きっと「夢」だ。
気持ちよくて、ウトウトしてしまったに違いない。
ワタルは、カルラとの出会いをそう思おうとしたが、あの手の感触は妙にリアルだった。
念の為にネットで「ホラ貝の吹き方」を検索すると、確かに金管楽器に通じるものがあるという。
ワタルは、ホコリを被りかけたトランペットケースからマウスピースを取り出して、息を吹き込んだ。
そうだ。こうだった。
息の流れを意識して練習するうちに胸が熱くなり、涙が滲んだ。
久々に音を出してみたい。そんな気持ちになった。
その時、室内だというのに旋風が起こり、カルラが現れた。
「ワタル、おはよう。さぁ、練習に行こうか」
ワタルがカルラの手をとると再び風が起こり、一瞬で景色が変わった。
淡い緑の竹に囲われた場所に。
「ここは?」
「高尾山にある僕の秘密の練習場だよ」
「一瞬で…… どういう仕掛けなの」
「種も仕掛けもないよ。天狗の神通力は凄いんだ」
カルラはパチリと片眼をつむった。
早速練習が始まった。
カルラは朱色の飾り紐のついたホラ貝を2つ取り出した。
そのひとつをカルラは吹いてみせたが、息が漏れるような音しか出なかった。
「ね、困ってしまう。先輩達は『天狗なら当たり前に吹ける』『根性があれば音は出せる』って言うけれど、そうじゃない気がする」
カルラは眉を寄せた。
ワタルは手渡されたもうひとつのホラ貝に口を付けた。
さっき調べた所だと、トランペットと同じように、息を吹きこむときに唇を振動させて共鳴音を出せば良いはず。
お腹に溜めた空気を力強くホラ貝に注ぎ込むと…… 竹林に音が響いた。
「凄いね、初めてなのにそんなに音が出せるなんてさ。どうやったの?」
こうして、ワタルのホラが吹けない天狗の子を特訓する日々が始まった。
カルラは毎朝8時に迎えにやって来た。
2人はホラ貝を練習だけでなく、山を散策したり、翼を隠して街を散策したり、互いの暮らす場所を案内しあってちょっとした冒険もした。
植物のこと、天気のこと、数学の解法まで。カルラは色々な物事を知っていてワタルは一緒にいると楽しかった。
そのうちにカルラのホラ貝は上達していって、低い音も高い音も自在に出せるようになった。
もう、十分合格だろうというある日、ワタルは勇気を出した。
「凄く良い音だよカルラ。あのさ…… 俺のトランペットも聴いてくれる?」
「うん、いいよ。是非聴かせて欲しいな」
今日ワタルはトランペットを持ってきていた。
ケースからピカピカの楽器を取り出し「聖者の行進」を吹いた。
鳥の声、竹葉の擦れる音、微笑んで聴いているカルラ。
ワタルは気持ちを込めて音を届けた。
演奏を終え、お辞儀をするとカルラは大きな拍手をした。
「俺、実はトランペット奏者になりたかったんだ。カルラはジャズって知ってる?」
「うん。天狗は物知りだからね。ルイ・アームストロングだろうがマイルス・デイヴィスだろうがどんとこいだよ」
「さすが。そう、俺さ、小学生の頃ルイ・アームストロングの曲を聴いて、あの歌うような演奏に憧れたんだ」
この夢を語るのは随分久しぶりで、ワタルは話をしているうちに泣きそうになったけれど、必死に堪えた。
「僕は好きだよ。ワタルの音。ホラ貝から出す音も伸びやかで良いけれど。トランペットの音はもっと良い。澄んでいて柔らかい。優しい音色だ」
カルラの言葉は真っ直ぐで胸に響く。だからワタルは更に勇気を出した。
「あのさカルラ、俺、結構耳は良いんだ。だから気づいてしまったんだ。君はホラ貝を吹けた。最初から」
カルラは最初から大きな
ワタルは途中で気づいたけれど、会えなくなるのが怖くて今まで言えなかった。
でも、今ならば。
「ごめんね」
「いや、いいんだ。感謝してる。俺をひっぱりだしてって……頼んだのは、ばあちゃん? 俺が学校に行けなくなったから、弱い甘ったれた根性なしだから……情けを……」
「違うよワタル。君を心から心配する人がいるのは間違いない。でも君に興味を持ったのも一緒にいたのも僕の意志。だから友達として言うよ。…… 自由で良いんだよ。自由で。生きていく方法はひとつじゃなくて、道はね、いくらでもあると思うんだ。だからね、これから君が望むことにいてもしっかり学んで欲しいと思う」
「厳しいこと言うな。カルラは」
「応援しているんだよ。君ならできるから」
「やっぱり厳しいや。優しく逃げ道を断つんだもの、でも、ありがとう。そろそろ前に進もうと思ったからさ」
「うん。だから僕も言った。時々休むのはありだよ、ワタル。でも諦めないで君の夢に栄養を与え続けて欲しいんだ。僕はいつでも、君の味方だよ。それは忘れないで」
「分かってるよ」
2人は最後にギュッと抱き合ってから別れた。
最後の練習から大分時が経った。
ワタルの部屋には、カルラから貰ったホラ貝が置いてある。
それを吹いたら、カルラは来てくれるだろうけれど。ワタルはしばらくは吹くつもりはなかった。
これからはきっと、トランペットケースがホコリを被る事はないだろう。
ホラが吹けない天狗の子 碧月 葉 @momobeko
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