ホラが吹けない天狗の子
碧月 葉
高尾山にて
山は、まだ薄いもやに包まれていた。
チュチュンチュチュン
ツツピン ツツピン
人の姿はまばらで、小鳥のさえずりだけがにぎやかに聴こえる。
ワタルは眠い目をこすりながら、ばあちゃんの後に続いた。
ケーブルカーを使えばもっと楽に目的地のお寺に着くはずだけれど、ばあちゃんはそうしない。
登りは必ず50分ほどのハイキングコースを行くのが流儀なのだそうだ。
「ほうら、この杉の木は立派だねぇ」
「おや、まだアジサイが綺麗に咲いているよ」
ハイキングといっても、道は綺麗に舗装されているから、道ばたの植物へのばあちゃんの感想兼ガイドを聞きながらのんびりと登っていける。
しばらくいくとお寺の門があり、その先は分かれ道になっていた。
左に進めば「男坂」、右に進めば「女坂」。
「女坂」の方はなだらかな坂道だが、ばあちゃんは急な階段道の「男坂」へ進んだ。
「ここの階段は108段ある。何の数か分かるかい。108は人間の煩悩の数なんだよ。ばあちゃんはこの階段を踏みしめながら登ると、少しだけ心をきれいになる気がするのさ」
ワタルもばあちゃんに倣って、石の階段を登った。
最近運動不足だったからだろう、最後は太ももが痛くなった。
境内に入ると天狗の像が沢山あって、ワタルは熱心に拝むばあちゃんの脇でその仕草を真似た。
いつの間にかもやは消えて、澄んだ空が広がっている。
新鮮な空気を吸い、自然の音を聞いているうちにワタルは心がほぐれていくのを感じていた。
ばあちゃんの朝活に無理矢理付き合わされて憂鬱だったはずなのに、何だかリラックスしてしまい、少し悔しくもあった。
本堂にもお参りを済ませて帰る頃にはケーブルカーもリフトも動き始めていた。
「ばあちゃん。俺、帰りはリフトに乗ってみたい」
ワタルはこの空気にもう少し触れていたくてそう言った。
「うーん。ばあちゃんは蜂蜜とお饅頭買っちゃったからケーブルカーで降りるわ。駅で待ち合わせましょ」
そんな訳でワタルは、ひとりでリフトに乗った。
最初は足がつかないので、少しドキドキしたワタルだったが、ゆっくり降りていくうちに、新鮮な風の匂いは心地よく、遠くまで見渡せる景色が綺麗で、久々の高揚感を感じていた。
しかし、突然強い風が吹いた。
リフトが大きく揺れる。
ワタルは思わずバーを握り、目をつむった。
「ねぇ、君。ラッパ吹けるんだろ」
揺れが収まった時、急に耳元で声がした。
ワタルが驚いて隣を見ると、そこには天狗が座っていた。
高尾山には古くから天狗が住んでいる。
ばあちゃんはそんな風に言っていたけれど……まさか。
顔も赤くないし、鼻も長くないし、クチバシもない。
顔だけ見ればワタルと同じ位の少年に見える。
しかし、格好は先程お寺で見た銅像のそれと同じで、何より背中に黒くてつやつやした翼が生えていた。
「ラッパ、吹けるよね」
天狗はもう一度訊いてきた。
「う、うん」
「じゃあさ、僕に『ホラ貝』の吹き方を教えてよ。いい音が出ないのが悩みなんだ」
「えっ、貝?」
「大丈夫、吹き方はラッパと同じみたいなんだ。お願いだよ」
リフトの上だ。
ワタルは断る勇気がなかった。
「う、うん。良いよ。俺でよければ」
そう答えてしまった。
「やった。僕は『カルラ』。よろしくね」
天狗の子は手を差し出した。
「俺はワタル」
ワタルも名乗ってその手を握った。
温かい手だった。
「じゃあ、明日の朝8時に迎えに行くよ」
カルラは、にっこり笑ってふわりと宙に浮かぶと風に乗って空に消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます