あとがき
あとがき:『宇宙拳人コズマ』をさがして
梅雨のあいまの晴れた日だった。
私は額と首筋の汗を拭いつつ、長い坂を登っていた。
ふりかえれば、眼下には深い青色を湛えた大海原が茫々と広がっている。
太平洋に面した某県の港街――
私が目指す家は、中心市街を離れた閑静な住宅街にひっそりと佇んでいる。
かつて日陽テレビ編成部で特撮・アニメ番組を担当し、幾多の傑作を世に送り出した名プロデューサーである。
番組の企画立案から主題歌・挿入歌の作詞、脚本の執筆、果てはノベライズまで手掛けた八面六臂の活躍ぶりは、いまなおファンの語り草となっている。
二◯◯◯年代後半に日陽テレビを退社してからも、雑誌での連載や講演を中心とする精力的な活動をおこなっていたが、七五歳の誕生日を機に勇退。
ほどなく少年時代を過ごしたこの街に居を移し、現在では悠々自適の日々を送っている。
人気シリーズの立役者ということもあり、橘川氏のもとには引退後も取材の依頼が引きも切らないという。
しかし、私が氏を訪ねた目的は、いまなお放送中の『戦団』シリーズでも、完結から四半世紀を経た現在でも根強い人気をもつ『装甲刑事』シリーズでもない。
氏がキャリアの最初期に手がけ、その後は再放送やソフト化の機会にめぐまれることなく特撮史の影に埋もれた作品。
幻の特撮『宇宙拳人コズマ』について、直接お話を伺うためである。
***
玄関で私を出迎えてくれた橘川氏は、じっさいの年齢よりひと回りは若々しくみえた。
「東京にいたころは付き合いで毎日のように飲み歩きもしましたが、いまはもうこればかりでしてね」
笑いつつ、冷えた麦茶を差し出してくれた手には、深い年輪が刻み込まれている。
戦争も終盤にさしかかったころ、旧満州のハルビン市で生を享けた橘川氏は、先ごろ八十歳の誕生日を迎えた。
物心ついたのは両親とともに日本に引き揚げたあとだったというが、戦後の混乱期から現在にいたる七十余年の歴史の生き証人と言ってよい。
「それで、『コズマ』のことでしたか」
ところどころ薄くなった白髪頭を掻きながら、橘川氏はゆっくりと語りはじめた。
テーブルの上には、氏が個人的に所蔵していた『コズマ』関連の文書やスケッチが置かれている。
主人公コズマを始めとするキャラクターデザイン原案、各話で用いられた劇伴やSE(効果音)の一覧、スタッフ名簿、撮影現場のスチル写真、議事録の断片……。
まとまったかたちの設定資料集が存在しない同作にとって、いずれも門外不出の第一級史料である。
「お恥ずかしい話ですが、近ごろは歳のせいかすっかり忘れっぽくなりましてね。たしか、『コズマ』は今年で五十年になりますか。だいぶん記憶があやふやな部分もありますが、それでもかまわなければ……」
面映ゆげに微笑みながら、橘川氏はなつかしげに書類を手に取った。
九◯年代、日陽テレビが倉庫を改装するにあたって、『コズマ』にまつわる資料のほとんどは破棄される予定だった。
その話を聞いた橘川氏は、無理を承知で当時の社長に頼みこみ、可能なかぎりの資料を自宅に引き取ったという。
プロデューサーも立場上はテレビ局の一社員であり、まして『コズマ』は氏が手がけてきた多くの作品のひとつにすぎない。
すべては氏の『コズマ』に対するひとかたならぬ思い入れがなさしめた業であった。
***
本書の内容は、このとき採録した橘川氏の証言にもとづいている。
本邦の特撮テレビドラマ研究において、『宇宙拳人コズマ』をあつかった記事は早くも八◯年代前半から現れている。
しかし、そうしたコンテンツはいずれも「撮影中に死傷者を出したイロモノ」「ろくなストーリーもなく本気の殴り合いに終止する低予算ゲテモノ番組」「伝説の放送禁止作品」といったいわば茶化しに終止した内容であり、考証的にも不正確きわまりないものであった。
先述のとおり同作は本放送以来いっさい視聴する術が存在せず、コアな特撮ファンのあいだでは(劣化が著しいうえに断片的な)ダビングテープが高額で取引されていたという特殊な事情をかんがみれば、そのようなかたちでの受容も致し方ないことだったのかもしれない。
じっさい、ほんの十年ほど前までは「『宇宙拳人コズマ』のオリジナル・フィルムはすでに廃棄されており、ソフト化は絶望的」という説が広く信じられていたのである。
時代が下るにつれてそうした傾向はますますエスカレートし、近年ではいわゆる「封印作品」の代表格として雑誌やインターネットで取り上げられる機会もふえた。
見方を変えれば、だれも全貌を掴むことができない幻の特撮というセンセーショナルな文言が独り歩きし、その一点のみで好事家の耳目を集めてきた作品と言うこともできるだろう。
橘川氏が『コズマ』について長らく沈黙を守ってきたのも、面白半分の評論にはいかなるかたちであれ関与したくないという思いゆえであった。
近年、日陽テレビに死蔵されていた『コズマ』の完全なフィルムが再発見・ソフト化されたことで、そうした世間の潮流はにわかに変わりはじめた。
従来のゲテモノ・イロモノ的な見方は鳴りを潜め、本格格闘番組としての先駆性を評価する声が台頭しはじめたのである。
まだ総合格闘技という概念すら存在せず、プロレスとボクシングの異種格闘技戦がメディアで大々的に取り沙汰されていた時代である。
そのような時代にあって、古流武術やムエタイ、中国拳法を駆使した死闘が繰り広げられた事実は、特撮ファンのみならず、格闘技関係者をも大いに驚かせたのだ。
作品が制作された背景と、水面下で錯綜したさまざまな事情と思惑については、本文を参照されたい。
ここでは、出演者のその後を簡単に紹介することとする。
サタンゴルデス=叢雨覚龍斎(本名・叢雨辰次郎)は、一九八◯年に世を去った。
享年六十五歳。死因は心筋梗塞であった。
覚龍斎はすくなくない文章を遺しているが、『コズマ』について言及したものはいまのところ発見されていない。
分かっているのは、晩年の彼はもはや特撮に異常な敵愾心を燃やすことはなかったという事実だけである。
覚龍斎の死後、叢雨流は後継者をめぐって内部分裂し、現在でもいくつかの分派が存続している。
皮肉にも、一連のお家騒動が世間を騒がせたことによって、覚龍斎の名声は死後ますます高まった。
日本最強の武術家に推す声はいまなお根強く、虚実ないまぜの伝説は人心を惹きつけつづけている。
第一話に登場した怪星人キラーアルマジロン=朱木は、師・覚龍斎の死からまもなく格闘家を引退。
その後は叔父の経営する運送会社に勤務するかたわら、ボランティアとして地元の子供たちにボクシングを教えていた。
九◯年代中ごろに病没。享年六十歳。
第二話に登場し、その巨体に似合わぬ軽快なアクションを見せた怪星人デッドマンモス=黄瀬川は、内縁の妻と死別したのち、故郷・長野で静かな余生を送った。
強靭な体力と山での経験を見込まれ、県警や消防の要請によって遭難者の救助に当たることもしばしばだったという。
二◯◯五年の冬、近隣の山で遭難した登山客の捜索中に雪崩に巻き込まれ、遺体はいまも発見されていない。
第三話に登場した怪星人ミサイルコブラ=紫野は、数少ない存命中の出演者のひとりである。
伊豆の診療所には医師が匙を投げた傷病人が詰めかけ、予約は三年先まで埋まっているという。
残念ながら直接のインタビューは叶わなかったが、手紙を通して『コズマ』収録当時のエピソード、とりわけ叢雨流の内情についての貴重な証言を数多くご提供いただけたことは幸いであった。
第四話に登場した怪星人カッターカマギラ=青江は、怪我の完治とともにふたたびインドに渡った。
その後はヨーガ行者として活動していたと推測されるが、パスポートをはじめとする公的記録はインド渡航を最後に途絶えており、現在までその消息は不明である。
余談だが、かつてファンコミュニティに出回っていたダビングテープの大半は第四話のものであり、その特異な風貌もあいまってカッターカマギラは怪星人のなかでも知名度の高いキャラクターであった。
第五話に登場したマグナムウルフ=桃井は、放送からまもなく格闘家を廃業。
一度はオリンピックの強化選手に選ばれるほどの才能を持ちながら、その後はいっさい格闘技に関わることなく、一会社員として生涯を終えた。
遺族への取材も叶わなかったため、没年や死因はつまびらかではない。
そして、第六話に登場した暗黒拳人ブラックコズマおよび第五話でコズマの代役を務めた黒衛京志郎もまた、放送後の消息は途絶えている。
覚龍斎の唯一の血のつながった息子である彼は、叢雨流の後継者として最も有力な人物であった。
にもかかわらず、覚龍斎の死後に起こった内部抗争に彼が関与した形跡はない。
コズマとの闘いのあと、幼少期をすごした香港のスラムに戻ったともいわれるが、真相は不明である。
八四年ごろ、香港のカオルン・パークで彼らしき人物とすれちがったという証言を最後に、今日まで目撃情報はない。
橘川氏が所蔵するスチルのなかには、マスクを脱いだブラックコズマを写した一葉があった。
素顔の黒衛を被写体としたほぼ唯一の写真であり、彼という人間がたしかに存在したことを証明するものは、いまのところこれ以外に見つかっていない。
最後に、主人公であるコズマ=風祭豪史のその後について触れねばならない。
最終回の放送直後、風祭は意識不明の重態で病院に搬送された。
懸命の治療もむなしく、一ヶ月を経ても風祭の意識が戻ることはなかった。
精密検査の結果、医師は外傷性の深昏睡という診断を下した。
現代では遷延性意識障害、いわゆる植物人間と呼ばれる状態である。
脳に深刻なダメージが蓄積したことによって、風祭は醒めることのない眠りに落ちたのだ。
ふたたび意識が戻る可能性はかぎりなくゼロにちかい。よしんば回復したとしても、立って歩くことはおろか、会話さえむずかしい。
コズマは、闘いのなかで文字どおり生命を燃やし尽くしたのだ。
橘川氏はこのような事態を招いたことに深く責任を感じ、多忙な仕事の合間を縫って、可能なかぎり病院に足を運んだ。
一時は仕事を辞め、風祭の介護に専念することを真剣に考えたという。
それでも、氏はぎりぎりのところで現場に留まった。
コズマが守ったものを絶やすわけにはいかないという使命感が、後悔と罪悪感を上回ったのである。
コズマの終了から五年目の春。
病床の風祭は、ふいに意識を取り戻した。
長い寝たきり生活のために肉体は見る陰もなく痩せ衰えていたが、懸念されていた脳の後遺障害もなく、ほとんど奇跡といってよい回復を遂げたのである。
むろん、完全に元どおりになったわけではない。
視神経の損傷によって右目の視野はほとんど失われ、歩行には杖が不可欠になった。
足が満足に動かず、片方の目も見えなければ、もはや闘うことはできない。
風祭は、格闘家としての未来を完全に断たれたのである。
***
風祭のその後について、橘川氏は多くを語らなかった。
というよりは、語ろうにも語れなかったのだ。
「リハビリもようやくひと段落というところで、あいつは突然姿を消してしまったんです。行く先も、いつ帰ってくるかも告げずにね」
橘川氏は、コズマと自分が並んだスチルを眺めながら、しみじみと呟いた。
「ほんとうに風のような奴ですよ。ひとつの場所には留まっていられない……」
そう語る橘川氏の言葉には、どこか晴れやかな響きがある。
「それでも、何年かおきには気まぐれに帰ってくるんです。……先輩、元気か。早く嫁さんもらえよなんて軽口を叩きながらね。そして、やはり気まぐれに去っていく。……私もそんなあいつに付き合っているうちに、とうとう男やもめでこの歳になってしまいました」
けっきょく、風祭がいまどうしているのかを氏に尋ねることはできなかった。
どこかで生きている。そうとしか答えようもなかっただろう。
分かりきったことをあえて問うことは憚られたのだ。
***
インタビューを終え、橘川氏のもとを辞したときには、すでに日も暮れかけていた。
彼方に広がる海はすっかり茜色に染まっている。
長い坂道を降りはじめてまもなく、こちらに近づいてくる人影が目に入った。
ひとりの男性である。
年齢は七十代のなかばを過ぎたかどうか。
目鼻立ちに沿って濃い陰影が落ちている。年齢のわりにしっかりとした身体つきといい、どこか日本人ばなれした雰囲気をまとった老人だった。
近づくにつれて、老人が右目に眼帯をつけ、杖をついていることに気づいた。
私はおもわずその場に立ち止まりそうになった。
幻ではない。彼は、私の目の前にいる。
この機会を逃せば、もう二度と彼の証言を得ることはできないだろう。
すれちがった瞬間、予感は確信に変わった。
とうとうこらえきれずに振り返った私は、そのまま言葉を飲み込んだ。
坂の上に建つ一軒の家。
そこで待っていた男と、帰ってきた男。
夕陽のなかで彼らが織りなす光景を、私はただ見守ることしかできなかった。
***
幻の特撮『宇宙拳人コズマ』を追う旅はここで終わる。
放送終了から半世紀を経て、コズマの物語があらたに紡がれることはない。
それは、しかし、すべての終わりを意味するわけではない。
彼らの物語はいまも続いている。
ヒーローが生きているかぎり、いつまでも。
【幻の特撮「宇宙拳人コズマ」とはなんだったのか 完】
幻の特撮『宇宙拳人コズマ』とはなんだったのか ささはらゆき @ijwuaslwmqexd2vqr5th
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