宇宙拳人コズマ 対 銀河帝王サタンゴルデス-8(終)
「く、く、く――――」
サタンゴルデスのマスクから低い笑い声が洩れた。
嗤っているのだ。
叢雨覚龍斎が。
左脚と右腕を潰され、もはや戦闘能力を失ったに等しいコズマ=風祭豪史を。
「強がりは嫌いじゃあねえ。だが、苦し紛れの虚勢ほど見苦しいものもないぜ」
「虚勢かどうか、いまから証明してやろうってのさ」
コズマは、無事な右脚だけでステップを踏む。
左脚はもはや使い物にならない。
攻撃も移動も、右脚だけでこなさなければならないということだ。
肉体にかかる負荷は、二本足の比ではない。
動けて一、二分……。
番組終了までギリギリといったところだ。
「来いやあ」
サタンゴルデスが両手を開いた。
円迅掌の射程を、最大限にまで広げたのだ。
もはやサタンゴルデスに近づくことは叶わない。
うかつに飛び込もうもののなら、たちまち掴み取られ、肉体を破壊される。
コズマはじりじりと間合いを詰めながら、サタンゴルデスに問うた。
「最後に、ひとつ訊きたい」
「なんだ?」
「なぜ、特撮をそこまで憎む? なぜ、そうまでして潰そうとする?」
わずかな沈黙のあと、サタンゴルデスのマスクから低い笑い声が流れた。
「俺には、生涯でただひとりだけ師匠と仰いだ男がいた」
「……」
「富士宮
サタンゴルデスはコズマを見据えたまま、ぽつりぽつりと言葉を継いでいく。
「その鳳眼が、あるとき、東京から出稽古にきた若い武術家にあっさり敗けた。それだけならいい。真剣勝負のすえに敗けたなら、たとえ師匠だろうと文句をつける筋合いじゃあねえ。だが……」
「だが、なんだ?」
「奴はくだらねえ三文芝居を打ったのさ。その若者は、でかい流派の跡取り息子だった。鳳眼は自分を売り込むために、わざと噛ませ犬を――そいつの経歴に箔をつける役を買って出たんだ。真剣勝負どころか、ぜったいに怪我をさせないという取り決めまで交わしてな。これで東京に道場が持てると、鳳眼のヤツは上機嫌でこの俺に話してやがったっけなあ」
サタンゴルデスはくつくつと忍び笑いを洩らす。
その笑い声は、しかし、おそろしく冷たいものを帯びていた。
「その夜、俺は鳳眼を殺したよ。身体じゅうの骨をへし折り、とどめに頭と尻がくっつくまで背骨を曲げてやった。ヤツは断末魔も上げなかったぜ」
「それと特撮と、どういう関係がある!?」
「格闘技をやるのに、ぬるいショーほどくだらねえものはねえのさ。おなじショービジネスでも、プロレスラーのように死ぬ気で身体を張ってるわけでもねえ。特撮ってのは、つまるところ、格闘をやっても誰も死なず、怪我もしないのが理想のオママゴトじゃねえかい」
「……!!」
「だからな、俺はすべてをぶち壊してやりたくなったのよ。殴り合いを演じても誰も傷つかず、血の一滴も流れないオママゴトの世界に、ほんものの格闘技ってもんを投げ込んでやろうと思ったのさ。コズマよ、おめえががんばってくれたおかげで、俺の計画は九割方は成就したも同然なんだぜ」
ぎり……と、皮がきしむ音が響いた。
コズマが、グローブに包まれた拳を強く握りしめたのだ。
「ほんものか。たしかに俺自身、あんたとおなじように考えていたこともあった。だが、いまはちがう……」
「ほう?」
「コズマとして闘っていくなかで、
「それも血みどろの
「互いに血を流し、肉体を壊しあったのは結果的にそうなっただけだ。たとえ無傷で終わったとしても、本気でむきあう心に偽りがなければ、真剣勝負の価値に変わりはない。ほんものの格闘技とは、そういうものじゃないのか。特撮の擬斗にしても、演じる人間が真剣な気持ちでやっているかぎり、オママゴトなどと言うことはだれにもできないはずだ」
言い終わるが早いか、コズマが動いた。
左脚だけでセットの地面を蹴り、一気にサタンゴルデスの背後に回り込もうというのだ。
「小賢しい真似はよすんだな。いまのおめえには、もう何も出来やしまい」
サタンゴルデスの上半身が旋回した。
それに合わせて、円迅掌もまたコズマを追いかけていく。
サタンゴルデスはその場から一歩も動く必要はない。
ただ身体を回転させるだけで、周囲に無敵の制空圏を作り出すことができるのだ。
まさしく難攻不落。
人間要塞と呼ぶにふさわしい、それは絶望とともにそびえたつ鋼鉄の城にほかならなかった。
「コズマ――風祭。どうやらおめえを買いかぶり過ぎたようだぜ。その甘ったれた性根ごと叩き潰してくれるわ」
サタンゴルデスの巨大な掌がふっと消失した。
じっさいに消えてしまったのではない。
あまりにも疾い動作ゆえに、肉眼では捉えられなくなったのだ。
それは同時に、コズマにはサタンゴルデスの攻撃がまったく見えなくなったということを意味している。
いつ仕掛けてくるのか、打つのか突くのか、あるいは掴みにかかるのか……。
そうした情報がいっさいわからないとなれば、もはや目を瞑っているのとなんら変わりはない。
「取ったぜ」
サタンゴルデスの野太い声は、刃のするどさを帯びていた。
はたして、その太く厚い右掌は、コズマの右脚をしっかと握りしめている。
「ぐうっ」
いまや唯一の軸足である右脚を取られて、コズマはたまらずバランスを崩す。
体勢を立て直そうにも、四肢のなかで自由になるのは左腕だけだ。
とてもではないが、腕一本で全体重を支え、サタンゴルデスを押し返すことなどできない。
「いよいよ終わりだな、コズマ――――」
サタンゴルデスの太い腕がコズマの首にかかった。
裸締め。
背後から対手の首に腕を回し、二の腕と前腕で頸動脈を締め上げる技だ。
シンプルだが、その威力は絶大である。
いちど極まってしまえば、もはや脱出する術はない。
脳への血流量が低下することで、かけられた側は十秒と経たないうちに失神に至るのだ。
そのまま技を解かなければ、酸欠によって死ぬことになる。なまじ助かったとしても、脳には重大な後遺症が残る可能性が高い。
「ぬ……ううっ」
「無駄な抵抗はよせや。苦しみが長引くだけだ」
完全に極まったとおもわれた瞬間、コズマの身体がするりとサタンゴルデスの腕から抜けた。
サタンゴルデスが力を緩めたのではむろんない。
見れば、コズマの首と胸のあたりは、べったりと赤黒いもので濡れている。
「血で滑らせおったか!?」
コズマはマスクの下でみずから唇を噛みちぎり、首筋にながれた血を潤滑油かわりとして、サタンゴルデスの裸締めから間一髪逃れたのだった。
その判断があと一秒でも遅れていれば、いまごろ意識を失っていたにちがいない。文字どおり薄氷を踏むような脱出劇であった。
コズマは、スタジオの壁にかかった時計に目をやる。
番組終了まで、あと一分。
「そろそろ
コズマが呟いたのと、その身体が躍動したのは同時だった。
壊れた右脚に負荷をかける全力疾走。
このさき一生、どうなってもかまわない――そう覚悟しているのだ。
だん――と、烈しく地を蹴ったコズマは、サタンゴルデスの制空圏へと飛び込んでいく。
すさまじい風が襲ったのは次の刹那だった。
巨大な拳がつくりだす風圧だ。
中段の正拳突き――
何の変哲もない技も、最強の男が用いれば最強の技となる。
まともに当たれば、今度こそ致命傷は避けられない。
コズマの頭が動いた。
みずから正拳突きに当たっていくように。
はたして、サタンゴルデスの拳は、マスクの右側面を削り取っていった。
これが生身であったら、皮も肉も歯も根こそぎ引きちぎられていただろう。
だが、サタンゴルデスの拳を受けたのは、コズマの顔――FRP製のマスクである。
マスクの裂け目から覗くのは、無傷の風祭の顔であった。
「おおっ!!」
裂帛の気合とともに、コズマ――風祭は、サタンゴルデスの兜を両手で掴む。
みぎっ
と、いやな音が響いた。
なにか硬いものが割れる音だ。
全身の毛がそそけだつような、おそろしくもすさまじい破壊音。
サタンゴルデスの頭に、風祭が両手で勁を流し込んだのだ。
破壊音の正体は、すでに砕けている風祭の右腕と、兜のなかで叢雨覚龍斎の頭蓋骨が上げた悲鳴がまじりあったものだ。
サタンゴルデスの鬼面の両眼から紅い涙があふれた。
兜に浸透した発勁によって眼や鼻の血管が破裂したのだろう。
致命傷には至っていないものの、しばらくは身動きも取れないはずであった。
ずうん――と、轟音を立ててセットの地面に巨体がくずおれた。
「……俺の勝ちだ、叢雨覚龍斎」
唯一無事な左脚で立ったコズマは、サタンゴルデスに語りかける。
「いままでの人生、いちども敗けたことがなかったが……意外に悪かねえ……いい気分だ……」
血まみれの鬼面は、こころなしか笑っているようにみえた。
やがて、番組の終了を告げるエンディング・テーマが流れはじめた。
カメラはもはやセットを写してはいない。
コズマは糸が切れた人形みたいに、その場に倒れ込む。
沈みゆく意識のなか、風祭は遠くで自分の名前を呼ぶ声を聴いていた。
【終】
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