宇宙拳人コズマ 対 銀河帝王サタンゴルデス-7

「この親爺、土壇場で妙なをかけてきやがって――とでも思っているんだろう?」


 叢雨覚龍斎――サタンゴルデスは、コズマにむかってあくまで鷹揚に語りかける。

 脚の一本を破壊されたにもかかわらず、その声音は、すがすがしいほどに落ち着いている。

 寸毫ほどの焦りも、対手あいてへの憎悪も、太い声に混ざり込んではいないのだ。


「おめえもいちどくらいは耳に挟んだことがあると思うが……この叢雨覚龍斎、世間ではやれアメリカ修行中に野牛バイソンの角を空手チョップでへし折っただの、やれアフリカのライオンを取っ組み合いで倒しただのと伝説ばかりが独り歩きしておる。それが真実ほんとうかどうかは、いまはどうでもいいことだ。大事なのは、そのどれも、ということさ――――」


 言い終わるまえに、サタンゴルデスの両腕が動きはじめた。

 左右の掌をもちいて空中に無数の円を描く、それは独特な――というよりは、いっそ奇怪な動作だった。

 傍目には、突然パントマイムをはじめたようにもみえただろう。

 番組を観ている視聴者も、スタジオで二人の闘いを撮影する番組スタッフも、誰ひとりとしてその行動の意味を理解していない。

 

 ただひとり――サタンゴルデスと対峙しているコズマを除いては。


円迅掌えんじんしょう……」


 コズマのマスクから低い声が洩れた。


「知っているなら話は早ええやな」

「”世界一疾い”とは、このことだったのか……」

「嘘は言ってないぜ。この両腕が動く範囲なら、俺より疾く動ける人間はどこにもいねえわさ」


 そのあいだにも、サタンゴルデスの両腕は休むことなく動き続けている。


 円迅掌――

 叢雨流の原型となった古武術で用いられていた技法である。


 人間のスピードには、生まれついての個体差がある。

 そもそも、筋肉はパワーを司る遅筋と、瞬発力を司る速筋の二種類が存在する。

 どちらの筋肉も後天的なトレーニングによって増大させることができるが、速筋と遅筋の比率は先天的なものであり、変えることはできない。

 もともと速筋の比率に乏しい人間が、どれほど筋肉を鍛え上げたところで、速筋を多くもつ人間ほどに身軽に動けるようにはならないのだ。

 叢雨覚龍斎は、全身の筋肉のおよそ九割以上が遅筋で占められているという、おそろしく極端なパワー偏重型の人間であった。

 覚龍斎に比類なきタフネスと、人間ばなれした超・持久力をもたらした遅筋偏重型の肉体だが、ことスピードにおいてはおおきなハンディキャップでしかなかった。


 失意の覚龍斎が二十代のころに出会ったのが、ほかならぬ円迅掌だった。

 円迅掌は待ちの技である。

 自分から果敢に攻め込んでいく性質の技ではない。

 そのかわり、いったん両腕の制空圏に入った敵は、どれほど素早かろうと確実に仕留めることができる。

 人間が空を飛びまわる蝿や蚊に追いつくのは至難だが、近づいてきたところを叩くことはできる。言ってみれば、それこそが円迅掌の極意なのだ。

 肉体の速度を捨て、両手のとどく範囲内での最速のみに専心することで、あらゆる攻撃を防ぎ、また即座に反撃カウンターに繋げることができる……。


 サタンゴルデスがコズマに取ったのは、まさにその円迅掌にほかならなかった。

 いったん飛び込んだが最期、コズマはあらゆる攻撃を防がれるばかりか、強烈な反撃を喰らうことになる。

 

「ふふふ。ヒーローがいつまでも棒立ちのままじゃ、番組が成り立つまい……」


 サタンゴルデスは、聞こえよがしにコズマを挑発する。

 すでに番組の残り時間は三分を切っている。

 このまま睨み合いを続けていれば、決着がつかずに番組が終わる。

 そして、今回は最終回である。もはや次週はない。番組が終わってしまえば、決着は永遠につかなくなるということだ。


「心配しなくても、きっちり終わらせてやるさ」

「円迅掌に飛び込んできたら、今度こそ死ぬぜ、おめえ――」

「試してみなけりゃわかんねえだろうが……よ!!」


 言い捨てたのと、コズマが全力疾走に移ったのは同時だった。


 コズマはセットの地面を力強く蹴り、飛ぶようにしてサタンゴルデスへと肉薄する。

 と、コズマの姿勢がふいに低くなった。

 地面すれすれを這うような格好。

 長い脚のストロークを最大限に活かしたその型は、一匹の美しい蛇を彷彿させた。


 スライディングからの爪先蹴りを仕掛けようというのだ。

 まともに入れば、サタンゴルデスの足首を挫くだけの破壊力がある。

 さしものサタンゴルデスも、両足を壊されては、もはや立っていられなくなる。

 巨体の敵と闘うときには、まず倒せ――それが、叢雨流のセオリーだ。

 倒してしまえば、体重を活かした巨体の利は失われる。

 叢雨覚龍斎とて例外ではない。――――そのはずだった。


「甘めえなァ……」


 サタンゴルデスもまた、地面に座り込むように姿勢を低くしていた。

 音もなく円迅掌が伸びる。

 コズマが四肢をよじって逃げようとしたときには、すでにがっしりと太い手に掴み取られたあとだった。

 

「センスはいい。だが、理屈で考えすぎる。そういう頭でっかち野郎が強かった試しがねえ……」

「ぬうっ!!」


 コズマの必死の抵抗をあざわらうかのように、サタンゴルデスは、掴み取った右腕を高く持ち上げる。

 まるで戦利品を高々と誇示するかのようなポーズであった。

 

「そいじゃあよ、右腕、もらうぜえ――――」


 めちっ、と、水っぽい音が響いたのはそのときだった。

 続いて起こったのは、ぎりぎりという骨の軋りだ。

 サタンゴルデスは、みずからの手でコズマの右腕をしようとしているのだ。

 筋肉、骨、腱……そのすべてを、素手でバラバラにしようというのである。

 

「やめ……ろっ……!!」

「いやだね」


 ぐじゅ――と、熟した果実を潰したみたいな音が響いた。

 コズマの右腕が完全に破壊されたのだ。

 スーツの内部は血まみれになっているだろう。

 折れた骨と、千切れた筋肉と腱、神経は、たとえ医者に診せたところで元通りにはなるまい。

 それはつまり、風祭豪史の武術家人生の半分が、いまこの瞬間に終わったということだ。


「あう……ぐっ……!!」


 苦悶の声を洩らすコズマを見下ろして、サタンゴルデスは呵呵と哄笑する。


「どれ、番組終了までまだ時間もある。残りの手足も全部おなじようにしてやろうか」

「きさま……なぜ……?」

「俺の息子になると言っていれば、こんな目に遭うこともなかった。叢雨流より強い者は、この世に存在してはならねえのさ」


 サタンゴルデスの太い腕が、コズマの右脚を掴んだ。

 まるでニワトリでも掴むみたいに、サタンゴルデスは、コズマをおのれの眼の高さまで持ち上げる。


「ここまでの闘いぶりに免じて、生命まで奪いはせん。だが、武術家としては、今日ここで確実に殺す……ぬうっ!?」


 叫ぶや、サタンゴルデスはコズマを投げ捨てていた。

 猫みたいにしなやかに身体を丸めて着地したコズマは、サタンゴルデスにむかって言った。


「おっさん。発勁ってのは、脚からも流せるんだぜ」

「黒衛の入れ知恵か!?」

「さあな。だが、手足の一本でも残ってるかぎり、てめえをぶちのめす機会チャンスは残ってるということだ」


 壊れた左脚と右腕を庇うように立ちながら、コズマはあくまで不敵に呟く。


「さあ、最終ラウンド開始と行こうぜ」

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