五章
今年で七歳になる鈴谷晴人には父親がいなかった。父の顔も覚えていなかった。母にその事を聞くと殴られるか物を投げつけられるので、父のことはほとんど何も知らなかった。
母はいつもお前がいなければ、と言って晴人を殴った。時には泣きながら。時には激しく怒りながら。
話しかければうるさいと言って殴った。私のおかげで暮らせているんだから私の邪魔をするなと言って殴った。私が憎いなら私を殺せばいい、そうしたらお前も生きていけないだろう。だから言う事を聞くんだ。いつもそう叫んだ。
ある日晴人の精神は破綻を迎えた。
いつものように叫ばれた言葉。一通り暴れて落ち着いた母がテレビに向き直った時、台所から持ち出した包丁をその背中に突き立てた。何度も何度も刺した。包丁を振り上げる度血が吹き出してソファもテーブルもそこら中を全て汚した。カーテンの向こうでは月明かりに蝉が鳴いていた。
母の命が完全に失われた時、恐怖がやっと訪れた。これを隠さなければならない。もしも見つかったら……
学校のそばの山に隠してしまおう。そう考えた。物置から小さいノコギリを取り出し、祖母からもらった手提げ袋に今まで入れた物の中で、一番大きな物である図工の授業で作った手作り貯金箱を持って来た。竹をモチーフに紙粘土で作ったそれを母親の血で汚しながら同じ大きさに足を切り取って夜に駆け出した。足は重く、一日一本を運ぶのが限界だった。死体は日に日に腐っていった。
「証言通り胴体が家に残されていました。腐臭がかなりひどくなってきていましたから遅かれ早かれ通報があったでしょう」
巽の報告を電話越しに聞き、少年が羽多野にぽつぽつと語った出来事が全て真実だったことに胸を締め付けられた。
心神喪失状態の彼はひとまず保護という形になっている。恐ろしい殺人鬼と戦闘になる方がまだマシに思えた。スピード解決を祝うムードもなく捜査チームは解散された。全て終わったのだ。
事件から数日経った休みの日、羽多野のスマホに巽から着信があった。
「ああ、巽さん。何か事件ですか?」
「いやいや、結構なヤマが終わったから酒でもどうかなと思いまして」
数秒の沈黙。
「ああその……気分が乗らないのならまた後日でも……」
「いや行きましょう。ぜひ。あの子のためにも俺たちはこれを乗り越えなきゃならない」
「……そうですか。じゃあいつもの焼き鳥屋で」
夏の太陽はまだまだ高く上がっていたが、羽多野は家を出た。
夏の思い出 天洲 町 @nmehBD
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