母へのプレゼント

伊統葵

母へのプレゼント

 その日、丸山梨花はただリビングのソファで寝転がっていた。強いてやることと言えば、手遊びくらいだろう。


「え~ひま。おかあさん、なんかない~?」


 テレビのリモコンを持ち、番組表を見ながらキッチンにいる母に言う。週末の休みに入ったが、外は雪に覆われていて、友達と遊ぶことができない。かと言って、最近家ではゲーム機が壊れ、ろくに遊べない状態だった。小学生一年生の梨花にとって、この上なくつまらない状態だった。


 母は台所で今昼食の準備に取り掛かっていた。梨花のひまひま発言に、慣れた手つきでトマトを切りながら、「面白いテレビないの?」と言う。梨花はそれに「おばさんたちおんなじことして、つまんない」と答えた。実際今リビングのテレビに流れているのはショッピング番組だった。


 母は梨花の辛辣な言葉にトマトを切るのを止めた。「やっぱり何か習い事をさせた方がいいかしら」と幾度も梨花が断っているピアノ教室の事を思い出す。今梨花にしてやれることはなかった。


 トマトが再び半分に、そして四分の一に切られていく。母は自分の事に精一杯であった。そして今日くらいは自分の事だけ考えて過ごしたいと思っていた。実は今日は母の誕生日である。


 そんなことをつゆも考えていない梨花は遂に母が料理している姿をソファの背もたれ越しから眺めているだけの人になっていた。


「なにつくってるの?」


「野菜サラダだよ~」


「げー、いやだぁ」


 梨花はそれなりに子供の性分に漏れず、野菜が嫌いだった。特にトマトは大がつくほど嫌いである。梨花はジト目で母の横顔を見つめるが、当の母は黙々と昼食の準備に励んでいた。


「きょうはまたきあいいれてるね」


 母が真剣に料理に取り組む姿を見て、いつもと何かが違うと思ったのか、梨花は言った。実際は母は別にいつもと異なったことをしているわけではないが、何か感じ取ったのだろう。


「特別な日だかんね」


「えーそうなのー。なにあったけ」


 梨花はソファの上に立って、食卓の近くの壁にあるカレンダーを見つめる。中には難しい漢字が混ざっているが、どこか既視感のある数字の羅列にはたとしたのか、「えーきょう、おかあさんたんじょうび?」と尋ねた。梨花は今日が母の誕生日であるということに気付いていなかったのだ。


「そうよ。今夜はケーキにだからね」


「やったー!」


 梨花は嬉しさのあまりその場でジャンプをした。ソファがたゆんたゆんと揺れた。


「りんか、フルーツがのったやつがいい!」


「うーん、それはまた一緒に買いに行くときに決めよっか」


「フッルーツ! フッルーツ!」


 梨花は先程の退屈さを捨て、今夜食べるであろうケーキを思い浮かべ、歌い始めた。


 母は困り顔になった。実は以前の梨花の父の誕生日があったが、梨花はそうと分かるといつの間にか勝手に食べたいケーキを選んでしまうのだ。子供には自由にさせてやりたいと常々思う母だが、今回どうしても買いたいケーキがあった。


 それは苺のムースケーキであった。梨花が生まれる以前の自身の誕生日の際に必ずと言っていいほど食べていたほどの大好物だった。


 それなら、自分だけショートケーキを買えばいい話なのだが、そうなると三人家族だけでホールケーキを食べきれるのか分からない。そんな考えが母の脳内で駆け巡って、困らせていた。


 また個別でショートケーキを買う場合にしても、個食になってしまう。実は家族内の暗黙のルールとして一緒の食事をしようということがあるが、これを決めたのは母であることも頭を悩ませる一因だろう。


 悩みながらも、流石母親と言ったところか、昼食の完成に向け手を動かし続けていた。出来上がったサラダにドレッシングをかけていく。


 「こら、ソファの上で飛び回らない。早く席について」と、依然上機嫌で歌う梨花に対して軽い叱責が飛ぶ。梨花は渋々ソファを離れ、テーブルの椅子に座った。


 梨花はトマトのサラダに気付いた途端「えーいらないよ」と言った。


「まあ、いいから。梨花ちゃん、いただきますをしようね」


 母はテーブルに配膳し終えると、椅子を引いて梨花の真正面に座った。


「わかった」


 梨花は不貞腐れていた。足を伸ばしても母に当たらないことをいいことに、テーブルの下でジタバタする。母はそんな梨花を機敏に感じていたが、無視することにした。


「いただきます」


 話は変わるが、梨花の父は気分屋だった。梨花もその血をしっかり受け継いで、気分が変わりやすい。父をしっかりと尻に敷いている母は今に始まった事ではない梨花の不機嫌を気に留めることはなかった。


「梨花ちゃん、お母さんと一緒に買い物に行く?」


「う~ん。どうしよう」


 そう言いながら、梨花がさも当然のように自身の皿から母の皿にトマトを移す。ただし母は梨花のトマト嫌いにはとても敏感だった。送られてきたトマトを無言で移し返す。


 梨花は迷った。別に返ってきたトマトを食べようかという迷いではない。勿論ケーキを選ぶために買い物に行こうかというものだった。迷った挙句、「りんかいかない。おかあさん、ケーキすきなものえらんでいいよ」と言って、トマトを再び母の皿に移した。


「梨花ちゃん、お母さん買い物行ってくるね」


 母は出かけた。久し振りの一人でのお留守番に興奮していた梨花だが、その興奮も冷めた。いざ一人になると淋しかった。「お母さん、早く帰ってこないかな」。そんな風に母の事を想った。無言での移し替え合戦の後に結局折れた母に申し訳なさと感謝の心が芽生えた。


 気分屋な梨花だからこそ、自身の気持ちには人一倍素直だった。母の誕生日。梨花には、言語化するのが難しいムズムズした感情が昼食の時から襲っていた。


 お母さんが喜ぶものは何だろう。あげたら喜んでくれるかな。気づけば、そんなことばっかりを考えていた。お父さんとのキスだろうか。キラキラした宝石だろうか。そう言えば、昔お母さんをお絵描きしたとき、とても喜んでくれたな。よし、それにしよう。梨花の考えはそんな風にまとまった。


 直ぐに実行に移す。梨花専用に低く設置されている棚を開ける。棚の中にはおもちゃや絵本が混雑して入っている。梨花は踵を上げ、背伸びして棚の中を眺める。梨花の目線の先にクレヨンはなかった。この棚に入れていたはずなのにと疑問に思い、首をかしげる。


 梨花は勘違いしているが、お絵描きするのは最近やっておらず、クレヨンは必然的に下の方にあった。そんなことをつゆしらず、梨花は他の棚を開けていった。結局全部一通りに見ていったものの、見つからず上のものを一つ一つ取り除いていくことになった。


「あった! みつかった!」


 梨花が歓喜の声を上げたのは探し始めて十分ほどが経った頃だった。幼稚園生であった時に使っていたお道具箱が出てきたのだ。開くと、クレヨンはあった。これで漸く絵を描く準備は整った。


 梨花は椅子に座って、さっそく「う~ん」と頭を悩ませた。「こんなのだっけ」と言いながら、得体のしれない怪物を描いていく。本人はいたって真剣に母のつもりで見ている。


 その横に父を描いていく。さらにその次に梨花自身を。一応背景には梨花の家を描いて、草木を生やした。あとは適当なものを入れていく。苺のケーキとかトマトとかテレビとか。最終的には父と母の間に梨花が挟まってその後ろには家がある構図となった。少し形が崩れたり、色が混雑したりしているものの、家族全員が笑みを浮かべ可愛らしい絵だ。


「これでいいかな」


 足をバタバタさせる。椅子と床がすれ、ギシギシと音が鳴った。梨花は完成した絵を手に持って目の前に上げ、写真の母と比べた。一応「おかあさん、わたし、おとうさん」とそれぞれの人物の絵の下に書いておく。


 梨花は浮かない顔をした。依然絵と睨めっこしながら、梨花自身ができることを考えていた。はたから見ても昔よりはうまく描けたと考えるが、これは梨花が昔やったことだ。何か特別なことをしたいと梨花は頭を悩ませる。


「どうしたらいいの?」


 かれこれ悩み始めてから数十分が経っていた。梨花は未だに「うーん」と唸りながら、どうしようかと悩んでいた。


 そして悩んだ挙句出た答えが「もう一つつくればいいんだ!」というもの。梨花は何か壮大なこともやりたかったと頭の片隅で思いながら、椅子から立ち上がった。


 時間の針は母が出て行って二時間は過ぎていた。時間がない。梨花は早急に二つ目のプレゼントを決めた。それはティアラだった。


 梨花は先程の弱気な発言が嘘だったかのように、勢いよくティアラの材料を探す。ああだこうだと言いながら、棚の中身を机の上に出して組み合わせを考えていく。その中で選んだのは折り紙。カラフルな色があるし、ティアラに合うと思ったからだった。


 折り紙を細長く折ったものをつなぎ合わせて輪っかを作っていく。また、見栄えが良くなるように花瓶に生けてあるひまわりを引きちぎり、輪っかに取り付けた。あとは接着剤で部分部分を張り付けるだけだった。完成に向け、梨花は手を動かしていく。その目はただ一点を見つめ、真剣だった。


「できたっ!」


 梨花が再び声を上げたのは、事がすべて終えてからだった。完成したティアラを実際に付けてつけてみて、鏡で確認してみる。鏡の中の梨花は目を輝かせた。女の子が夢見るお姫様像そのものだ。結果として色鮮やかなティアラが梨花の手元に収まるようになった。


「梨花ちゃん、ただいま~」


「おかえり~」


 梨花は母が持っていた買い物袋を渡してもらうと、それをキッチンに急いで運んだ。


「あ、あのね、プレゼントがあるの」


 そして、梨花は緊張な面持ちで母に話しかけた。母は思いもよらなかった発言を聞いて、声の主である梨花に振り返った。


 梨花がプレゼントと言ってまともなものを渡したことはなかった。大体は目を離したすきに拾ってきたごみであることが多かった。いつの日かどんぐりをポケットに入れたまま、洗濯かごに出したこともある。そんなことを理解しているからか、母は「えーありがとう。プレゼントは何かな?」と言って喜んでいる風を装いながら、どんなものが出てくるのかと戦々恐々とした。


「きてきて」


 梨花は母の手をとり、誘導していく。その心のうちは少しの不安と大きな期待があった。母の喜ぶ姿を想像して、進む足が早くなる。


「ぜったいにおどろくから」


 興奮気味になった梨花は絵を手に取ると、裏返して持った。そして、母の目の前で「ジャーン」と言う効果音と共にひっくり返した。緊張の一瞬、刹那の静寂の後、母は「どうしたの、これ」と歓声を上げた。その声には高音の揺れが混じっていた。


 母は娘の成長を見てきた親だからこそ思うことがあったようだった。母の瞳に涙の膜があるのを見て、梨花は「ティアラはまたケーキに食べるときにでも渡そうかな」と思った。母は必死に隠しているが、意外と涙もろいのは梨花はバレバレだった。


 夕食の用意は梨花も一緒に手伝った。やはり母の前では口の動きが止まらない娘だった。


 食卓に豪勢な食事が並んだ後、父が丁度よく帰ってきた。梨花は急いで、駆けよって、今日あったことを話した。


「あのね、りんかプレゼントに、えかいた。おかあさん、よろんこんで、へんなかおになったよ」


 たどたどしい日本語を父は理解し、抱き着いてきた梨花の頭を撫でる。「そうか、絵を描いたのか」と少なくない驚きを表した。そこに母がやってきて「そうなのよ」と付け加える。


「誕生日おめでとう」


 父とティアラを被った母は梨花が寝静まった頃、二人で娘の成長を喜んだ。

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母へのプレゼント 伊統葵 @itomary42

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