第34話 出立

「で、今度はどのくらいに戻って来る予定なんです?」

 そう話を振ったのは、火鉢に当たりながら饅頭を炙っている若旦那だった。

 宗近は自分が育てている菜っ葉漬けの饅頭の片面にいい具合の焼き目が付いたので、ひっくり返してから、答える。

「急にどうしたね、若旦那」

「だって、そろそろだろう?」

「まぁ、そうだなぁ……」 

 宗近は、そう言いながら山の方を見る。

 いつもの神社がある場所ではなく、その先の山を。

 雪で白く化粧された山々も、その白い部分の面積が減っているのがわかる。

 雪解けはもう始まっている。

 それは、宗近の旅立ちの日が再び近づいているということだ。

「一応、秋の時みたいに間を長く空けるつもりはないさ。まだ、都へ行けるほど雪も解けてないだろうし……」

 それに、また長く空ければ、アオが寂しがるだろう。

 雪解けが始まったとはいえ、まだ春には少し遠い。

 山の中の村々は、まだ冬の食料を備蓄しておきたい時期だ。山の幸の味ばかりのところへ魚の干物を持って行けば、出ることは出るだろうが、いつもよりも少ないだろう。

「とりあえず、一度、営業所へは年始の挨拶があるから、そこまで行って、そのまま戻って来る予定になるかね。知り合いの猟師とか、養蜂している村は周ってみるが、あんまり仕入れはできないかもしれん」

「そうか。できれば、芋は追加で欲しかったんだが……」

「それは、できるだけ周ってみるさ。実際、ここを手伝ってみて、芋が結構出るのはよくわかったしな」

「それもこれも、炙り饅頭のおかげだな。あ、馬借さん。それ、もういいと思いますよ」

 若旦那に指差す饅頭はつるりと丸い皮。甘い餡が入っている物だ。宗近はそれを箸で取って、皿に乗せて割る。

 中に詰まった黄金色の芋餡は、火鉢の熱でいい具合に温まって、甘い香りを漂わせる。この香りも、芋餡の蒸し饅頭が良く出る理由だ。

 

 〇

 

 初日の出を神社で迎える催し。

 店の賄いとして出していた、冷めて乾いてしまった饅頭を、火鉢の端で温めて振舞うというものは、結果的に大成功を収めた。

 今までは、すぐ冷めてしまうからと買って行かなかった人たちが、饅頭が元通り温まることだけでなく、炙ったことで香ばしい香りまで付くことを知り、買っていくようになったのだ。

 特に、芋餡は蒸した時よりも、甘い味、香りが広がることで人気が上がり、今では数量限定にしなければ、作ったその日の芋餡が足りなくなることもある。

 他の餡も、焼いた皮目が香ばしくなることで酒の肴に、夕のおかずにと、よく売れるようになった。

 茶屋の蒸し饅頭の売上は、例年の冬よりも大幅に上がったのである。


 〇


「原料がなくなるのも、時間の問題になってきたな……」

 売れ行きが好調になったのは嬉しいことだが、それによって原料が足りなくなりそうだというのが、今、茶屋が抱えている課題だ。

 宗近が港町での年越しと、雪解けが進むまで動けないことを見越して多めに仕入れたはずだったが、それを上回りそうな勢いで、蒸し饅頭が出ているのである。

 茶屋としては、すぐにでも宗近に追加の原料を運んできて欲しいが、いくらアカが雪に強い種類の馬だとはいえ、雪山に人を向かわせるほど、茶屋の主人たちは非情にはなれない。

「俺もまさか、ここまで出るとは思わなかったですよ。だから最悪、船の方から臨時で仕入れようかとは、親父と相談してはいますよ。ただ、質が怖いですけどね」

 この町には、港がある。

 陸路ではなく、海路での販路が当然あり、港町に暮らす人々の生活を主に支えているのは、こちらの方である。

 だが、それでもこの茶屋が宗近を贔屓にするのは、一つは若旦那の命の恩人と言うこともあるが、もう一つは、海路で搬入されるものよりも質がいい。という点もある。

 海路から来るものは、とにかく量を確保する事に重きを置いているため、質が悪い物も混ざる。

 一方で、陸路で来る宗近は、ほぼほぼ個人で山々の人々とやり取りをするため、相手との信頼関係が必要だ。信頼関係を築くためにも、質の悪い商品を運ぶ訳にはいかない。そのため、宗近が持って来るものは基本的に質がいいのだ。

「俺は、馬借さんに無理はして欲しくないから、行ってくれとは言いたくない。それは親父も同じだ。だけど……」

「現実問題として、原料が底を付くのは困るだろう。それに、質が悪くなっちゃ、茶屋の評判も下がるだろう」

 宗近は湯吞みに残ったお茶を飲み干すと、立ち上がって、グッと身体を伸ばした。

「何、ちょいと、のんびりしすぎた。行けるかどうか、ちょっくら、アカと見てくるさ」


 〇


 山の様子を見に行った宗近が港町へ入る山道へ戻って来た時には、もう日も落ちきっていた。

 宗近はそのまま茶屋へ戻るのではなく、町への入り口にあたる雨ノ宮神社へと足を運ぶ。

 慣れても、礼を忘れてはならない。宗近はきちんと鳥居の前で一礼をして、そのままアカを連れて社の前で、二礼二拍手一礼をする。

 手を打ち、音を立てたためか、本殿の奥からペタペタという足音が聞こえて来ると、社の引き戸が開く。

「宗近か? 夜に来るのは珍しいの」

 引き戸から覗かせてくる青い瞳は、月明かりの中でも輝いている。陶磁器の様に白い肌のおかげで、暗くてもこの社の主、雨の神の嬉しそうな表情はよくわかる。

「こんばんは、アオ様。何、ちょっと野暮用で。山に行って、今、帰って来たんだ」

「山に?」

「あぁ、もうアカと一緒に通れるかどうかを、見に」

「……そうか。もう、そんな季節か」

 アオの顔に陰りが見える。

 その日が来るとはわかっていても、やはり、この青年が旅へ出てしまうのは、寂しい。

「無事、山を越せそうだったのか?」

「……あぁ。アカは強いからな。あのくらいなら、行ける。それに、進んでいる間にも、雪解けは進むさ」

「アカはやはり、すごい馬なのだな」

 アオはアカの鼻筋を優しくゆっくりと撫でてやる。アカはそれを気持ちよさそうに受け入れる。

「いつ立つのだ?」

「行けるとはいえ、雪が残る山越えだからな。しっかり準備して……。五日後ぐらいだな」

「それでも五日か。早いな」

「少し早める必要があってな。思ったよりも、蒸し饅頭が売れるもんで、中に入れる餡の材料が底を付きそうなんだ」

「なるほど。それは、一大事だの」

 蒸し饅頭には、アオも世話になっている。

 何かと神社に人が集まるようになったのも、茶屋が蒸し饅頭を軸として、神社へ人を呼び込んでいるからだ。

 その蒸し饅頭の危機と合っては、アオも納得するより他ない。

「だから、また五日後ぐらいに来るよ」

「うむ。それまでにはもっと雪が解けるように、わたしも祈っておこう」

 月明かりが、寂しさを隠す笑顔を照らす。

「宗近」

「なんだい、アオ様」

「いつまでに戻ってこいとは、もう言わん。言っても、仕方がない事もあるだろうからな」

 アオがいたずらっ子のように笑いながら、宗近の方を見る。

 宗近も、無理にいつまでにと約束するのは、もう懲りたので、釣られて笑い、約束はしない事にした。

「だが、必ず戻ってこい。それだけは、約束せよ。もうしばらくは、ここが宗近の帰る場所なのだから」

 

 宝石の様な青い瞳が、キラリと鋭く輝いて、宗近を見る。

 その瞳に、神に、宗近は約束する。

 

「あぁ、わかった。必ず、ここへ帰って来る」


 〇


 茶屋に戻った宗近は、若旦那に山の様子と、準備さえきちんとすれば、営業所まで行って、またこの港町へ戻ってくるくらいはできるだろうと伝えた。

「そうか……すまないね。こんな早くに」

「いいさ。この茶屋がなくなって困るのは、俺も同じだからな。これも、俺を贔屓にしてくれた旦那様への恩返しみたいなもんだから、気にするな」

「そうは言っても、無理はしないで欲しい。それだけは俺と、明日にでも親父に約束してくれ」

「……あぁ、約束するさ」

 『必ず戻ってこい』というアオとの約束もある。

 若旦那や旦那様に言われなくとも、無理をする気はない。

「それで、今度はどのくらいに戻ってこれそうですか?」

「そうだな……。予定通り行けば、春には戻って来られるだろうよ」

「そうですか。そしたら、桜の季節に間に合ったら、花見をしましょう。雨ノ宮神社で!」

 今まで何かと催し物を神社で行ってきたが、それを提案するのはいつも、宗近の方だった。

 若旦那の方から神社の言葉が出たことに、驚いて思わず聞き返す。

「神社で? なんだって、神社で?」

「初日の出の時に、河津かわずさんが教えてくれたんですよ。『神社の木は桜だから、今度は花見ができるぞ』って、花見のついでに、子どもたちに今度は春の薬草を教え込むって言ってましたよ」

「なるほど、そりゃあいい」

 花見ができると知れれば、人は集まるだろう。

 日の本の国の人間は、何故か春に咲く桜を見ながら、宴をするのが好きなのだ。花見ができる場所があるとわかれば、春には必ず人が神社へ訪れるだろう。

 それに、駄賃を餌に子どもたちに薬草を教え込めば、薬草を採りに行く子どもたちがまた神社を訪れるだろう。

 アオが寂しがる暇などないくらいに、春は賑やかになることだろう。

「それと、これを作ってみたくて……。とはいっても、作るのは俺じゃなくて、親方さんとミチさんになるんだが」

 そういって若旦那が取り出したのは、とある和菓子の作り方が書かれた冊子の一頁だった。

「桜餅か……。でも、これは饅頭じゃないよな?」

「馬借さん、うちは饅頭屋じゃないんだぜ?」

「おっと、そうだった」

 蒸し饅頭を売りにしているのでつい忘れがちになるが、ここはあくまでも茶屋であって、饅頭屋ではないのだ。

「饅頭の為に、小豆の餡を仕込んでいるし、粉もある。色付けの粉は、河津さんが教えてくれるから、それで薄紅色になる、はずだ。この桜餅を新しい商品として、出す。その代わり、“桜”餅だから、春限定にするつもりだけどな。その初売りを印象付けるためにも、花見の時に、桜の下で桜餅が食べられるようにしたいんだ」

 若旦那の目は真剣そのものだった。

 そこには、いつもの痩せて頼りない青年ではなく、この茶屋を背負う者の姿があった。

「若旦那、成長しましたね」

「何、俺だっていつまでも馬借さんに入れ知恵されるだけじゃないさ。もっと、俺にも出来る事がないかと思っていただけだよ。……俺は、この茶屋を無くしたくない。いつまでも、この町の人が集まれるような、大切な場所にしておきたいんだ」

 この茶屋は、港町で生きる人たちの、活力の元であり、憩いの場であり、時に宴の場である。

 そんな場所をこの先も、この町がある限り、残していきたい。

 若旦那だって、やる時はやるのだ。

「じゃ、早く嫁さん見つけて、ちゃんと先に繋げるようにもしないとだな」

「……そういうこと言います?

 せっかくやる気に充ち溢れていた若者から、情けない声が聞こえる。

 宗近は、そんな様子にちょっと笑う。

「ほらほら、せっかく新しい商品を計画するかっこいい若旦那だったんだから、そのまま頑張らないと。それに、俺は、若旦那がしっかりしてくれば、振り向いてくれる子は近くにいると、思うけどな」 

 宗近がチラリと向けた先では、緑の混ざった瞳を細めて笑う女中が居た。

「俺が春に戻って来る時には、必ず、桜餅を成功させられるくらいになっていてくださいよ」

「……あぁ、頑張るよ」


 〇


 その晩から五日後の早朝、宗近は港町を立った。

 その姿を山の中の神社の鳥居の側に立った青い瞳の少女神が見守った。


 そしてその日の夕方、事件は茶屋で起きた。

 

 「私、家出してきましたの!」

 「「「……えっエッ⁈」」」

 

 茶屋で優雅にお茶を飲む客人。

 大浦瑠璃は、そう言い放った。

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俺と雨と雨神様と レニィ @Leniy

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