第33話 師走の鐘の音

 師走しわすという言葉は、寺の師である僧侶がお経をあげるために東西を馳せなければならない月である、という意味で、師が走る月、師走と言われるようになったそうだ。

 だが、この時期走り回るのは何も僧侶ばかりではない。

 年の暮れ、人々は新しい年を迎えるために忙しく走り回る。


 それはここ、港町一の茶屋も同じこと。


 茶屋の人間は、そこに住む大豆田一家と女中たちだけでなく、通いで働いている親方、そして、今年はこの町で年を越すと決め、世話になっている馬借の青年、宗近までもが忙しく走り回っている。

 今日は少し早めの大掃除。大豆田家の母屋を総出で掃除する。今年は腰を痛めた旦那様の代わりに宗近がいる。

 高い所は誰よりも背が高い宗近が梯子を担いで率先してやっていく。若旦那はその補佐に回って塵取りをしている。ミチたち女中は、宗近が掃除したところから、窓や床を綺麗にしていく。

 宗近が居る分、力仕事や高いところは任せられるので、例年よりは楽が出来ているとはいえ、ミチは忙しい。

「えぇと……。母屋の大掃除が終わったら、今年はお蕎麦とおせちの準備に、お雑煮も作らないとだし。それから、お饅頭の仕込みもしてから、お店の大掃除……いつもよりも忙しい年末になりそうだわぁ」

 ミチはふっくらとした頬に片手を添えて、悩まし気にため息を吐く。

 その様子に、宗近は少し申し訳なくなる。

 

 〇


 結果として、炙り饅頭を食べながら初日の出を待つ催しは、大浦家の当主、大豆田家の主人の双方が許可したことによって、神社で行われる事となった。

 大豆田家は落ち込んでいた蒸し饅頭の売上回復の為に、大浦家は最近流行りの初詣を取り入れられるからと、協力的だった。

 さすがに、年越しの瞬間から初日の出までを神社で待つのは厳しいので、初日の出のみを待つ催しになったが、それでも、先日、町の中で行われた餅つき大会での宣伝の様子を見た限り、人は集まりそうだった。

 日が昇るまでの灯りは、神社の石灯籠と提灯だけでは足りないので、いろいろなところから、提灯や行灯を借り受けた。

 痛んでいるものは、便利屋の風来が無償で整備してくれるということもあって皆がこぞって持ってきたのだ。

 おかげで、灯りに苦労することはなさそうだった。

 火鉢は店で使っている物の他に、大豆田家で使っている物と、大浦家の物を全て借り受けることになった。

 大浦家は、年末年始を当主の仕事の関係で、東京で過ごすため誰も居なくなるからだ。それを聞いて一番悔しがったのは瑠璃だった。

 饅頭を焼く網に関しては、集まる人たちが自分で持参することにした。皆、餅を焼くときに使うので、それぞれが網を持っているだろうから、わざわざ集めたり、買わなくてもいいのではないかという、意見が強かったからだ。

 炙る饅頭は大晦日の朝、作り置きしたものを持って行く。

 冷めても火鉢の端に置いておくだけで美味しい饅頭が食べられると、町の人へ宣伝するためという理由に加えて、正月に厨の火を司る神様を騒がせないためだ。

 店を大掃除している間に外に出しておけば、冬のからっ風が蒸し饅頭を綺麗に冷まして、上手く乾燥させるだろう。

「やぁ、みんな。捗っているかい?」

 そう言ってやって来たのは、腰を庇う旦那様だった。

「すまないね。今年は何もできなくて」

「いえいえ、今年の旦那様にはしっかり休んでいただかないと。それよりも、もっと若旦那にしっかりしていただきのですけれど」

 ミチさんはそう言うと、頬に手を当てながら宗近の後を付いているだけの若旦那を見る。

「え、俺、今年は意外と働いていると思うんですけど⁈」

「若旦那、馬借サンノ後ロデ、塵取リバッカリ。雑巾ガケモシテヨ」

 ミドリも腰に手を当てて、若旦那を睨む。

 その様子を見た旦那様が面白そうに笑う。

「まぁまぁ、一茶も今年は頑張っているみたいだね。けれど、日の出を待つ催し物の為に、明日はミチさんとミドリちゃんに饅頭をたくさん作ってもらわないといけないからね。企画した一茶が今日しっかり働いて、もう少しミチさんとミドリちゃんを楽にしてあげないとね」

「う……親父……」

「高いところは、宗近くんが頑張ってくれているんだろう?なら、お前は低いところを頑張らないとな」

「……はい」

 若旦那は肩を落としつつ、雑巾を手に取る。

「しかし、今年は宗近くんがいてくれて助かったよ」

「いえ。俺はここに置いてもらっている身ですし。それに、俺を贔屓にしてくれる旦那様が居てくれたからこそ、俺は馬借としてやっていけるようになりました。このくらいのお手伝いで、恩返しだなんて言えるかわかりませんが……」

 旦那様は、宗近の肩を優しく叩く。

「大丈夫。十分恩返しになっているさ」


 〇


 翌日、茶屋の厨台所は大忙しだった。

 今回は夏の時と違って、大きい方の蒸し饅頭を作らなければならないので、中に詰める餡はいつも通りの量が必要で、それを多めに作り置きしておくので、さらに必要になる。包む皮もどんどん作っていかなければ間に合わない。

「ミドリちゃん、胡桃味噌はどのくらい包めた?」

「五十個。壺ノ味噌ハ、ナクナル」

「じゃあ、胡桃味噌は終いにして、菜っ葉漬けを包んでくれないかしら?」

「ワカッタ!」

 手際よく、一口大に刻まれた菜っ葉漬けを、ミドリが次々に生地へ包んでは、巾着のように上を絞って閉じていく。閉じた饅頭は蒸し器に綺麗に並べられて行く。それを宗近が、湧き出る温泉の蒸気が出てくるところへ持っていく。

「馬借さん、お肉の入ったのが蒸し揚がるはずだから、外へ持って行って冷ましてくれないかしら? 代わりに胡桃味噌の乗った蒸し器を置いて頂戴!」

「はい!」

「若旦那はせめて、蒸しあがったお饅頭の数がミドリちゃんの数えた数と一緒が確認して頂戴!」

「はいぃ!!」

 茶屋はもはや戦場だった。

 宗近も若旦那も、ミチの指示で駆け回る。

 師走十二月とは、本当に人が駆け回る月だ。


 〇


 夜半。

 年が明ける半時一時間前に、宗近はアカと共に、アオの元を訪ねていた。

 先に神社へアカで荷物引いて、持って行っておいて準備をしておく。

 という建前の元、宗近はアオと一緒に年明けを迎えるために神社へやって来ていた。

 神社の石灯籠に火を入れ、提灯を下げて、境内を明るくして、準備を整えてから、宗近は一休みする。

 今日は珍しく本殿の中ではなく、境内が見える拝殿の方にアオと一緒に座る。

 冬の冷たく澄んだ空気が、夜空の星々をより一層輝かせる。

 その様子を、満足気に一人と一柱は見上げる。

「……星を見ていると、こんぺいとうが食べたくなるのぉ」

「アオ様は、本当に金平糖を気に入ったんだな」

「あぁ、今年はいろんなことがあったが、一番いい思い出は、こんぺいとうに出会えたことじゃの」

「そこは、俺じゃないんですか?」

 そんな宗近の言葉に、アオはクスクスと笑う。

「もちろん。宗近に出会えなければ、わたしはこんぺいとうの事など知ることもなく。……人知れず、一柱きりで、消えていくだけの運命だったであろう」


 あの日、あの時。

 宗近が廃墟の様な神社に戸惑いながらも、雨宿りに来なければ。

 神に礼を尽くして、心を配らなければ。

 

 アオは宗近に布団を貸そうとは思わなかったし、宗近もアオを見つける事はなかっただろう。


「わたしは、あなたに見つけてもらって、名を貰って、その上、人がこんなに来るようにしてもらった。宗近のおかげじゃ……。本当に、ありがとう」

「俺は……。最初は、本当にただただ、興味があっただけなんだ。絶対に人がいるはずのない、ボロボロの神社に、小さな女の子が居て布団を貸してくれて、供えた金平糖がなくなっている。狐か、何かか、それが知りたいと思っただけなんだ。それが、神様だって言うから驚いたけれどな」

 

 最初は本当に、ただの好奇心だった。

 人のいい狐がいるなら見てみたいと思っただけだったし、そうでなくとも、一宿の恩を返して置きたい。ただそれだけだったはずだったのだ。

 

「神様が居るのに、神社がボロボロじゃあ、よくない。そう思って、若旦那に入れ知恵したら、まさかいい仕事になるだなんて、思ってもいなかった」

 こんなに上手く行くとは、宗近にも予想が付いていなかった。

 宗近は、それなりに自分の持ってくる商品が売れればいい、としか思っていなかった。

 それが気が付けば、茶屋の新しい名物になり、そのための販路として、宗近が贔屓にされることは、嬉しい誤算だった。

 それも、アオに出会わなければ、この雨ノ宮神社を綺麗にしてやろうと思わなければ、起こらなかったことだ。

「アオ様のおかげで、珍しいモノも見れたしな。あんなにでっかい魚は、見たことがなかったよ」

「ぬ? 魚……?」

「御使い様な」

「御使い様は竜だが?」

「あれは、魚だろう? 網に掛かっていたし」

「そう言えば、網に掛かった御使い様を助けてくれたのも宗近だったな。おかげで、数十年ぶりに出雲へ行く事が出来た」

「おかげで俺は、若旦那の縁を直接お願いもさせてもらえた」

「結果は、よくなかったがの……」

「それは、まぁ仕方がないさ。来年もあるだろうし」

 そもそも、人間はこんなに深く神とは関わらない。

 勝手に祈って、勝手に喜んだり、悲しんだりするしかない。

 それを直接聞いてもらえたのだから、宗近は幸運だったとしか言えないだろう。

「アオ様のおかげで、今年はこの町で年を越すって選択肢もできた。おかげで、茶屋の大掃除を手伝って、旦那様に少しは恩返しも出来た。アオ様と出会っていなかったら、今頃、営業所でむさくるしい男どもと年を越していたかもしれん」

「……宗近は、故郷で年を越さなくてもよかったのか?」

 アオが少し心配そうに、宗近を見る。

 それは、茶屋の旦那様にも、営業所にいる親方にも、心配された事柄だ。

 宗近はその問いに、笑って返す。

「あぁ。あそこは、まだ俺の帰る場所じゃないんだ。一昨年の暮れは、甥っ子が生まれたからって帰ったけど、やっぱり、まだまだあそこは、俺の居る場所じゃない」

「……だが、あなたは故郷を捨てたわけではないのであろう?」

「故郷を捨てたつもりはないさ。いずれ、帰る時は来ると思う。だが、それはたぶん、まだ先の話だよ」

 故郷を捨てるつもりは、宗近には一切なかった。

 たしかに今は、故郷は自分の居る場所だと感じない。

 この先、いつ自分の帰る場所になるかは、宗近にもわからない。


 けれど、それはいつかやって来る。

 そう、思うしかなかった。


「なら、あなたの帰る場所は、もうしばらくここになるのかの?」

 アオのいたずらっぽい青い瞳が、こちらを覗く。

「……そうかもしれんな」


 そうだったら嬉しい。


 宗近はこの町に、大切な存在が増えた。

 前は、茶屋の旦那様に、若旦那。ミチさん、そしてミドリちゃんだけだった。


 けれど、今は、アオが居る。

 この町へ戻れば、いつもアオが待っていてくれている。

 だから、今、宗近の帰って来る場所はきっと、この町だ。


『お前がお姫様に惚れているのも、紛れもない真実だ』


 何故、今、ふいにあの天狗の言葉を思い出してしまったのか。

 

 宗近だって本当は、わかっている。

 アオが大切だと、自分で納得してしまったからだ。

「……宗近? 大丈夫か? 顔が、耳も赤いぞ! 冷えたのではないか?」

 アオは宗近を心配して、その赤くなった頬に手を伸ばそうとする。

 それを止めたのは、手まで熱くなった宗近の方だった。

「……大丈夫」

「……そ、そうか」 

 アオは静かに、伸ばした手をひっこめて、隣にちょこんと正座する。

 しばらく、何とも言えない沈黙が流れる。

「アオ様は」

「うむ?」

「アオ様は、どう思っているんだ?」

「な、なにがじゃ」

「あ、いや、その……俺が、俺がこの町を帰る場所だと思っている事に関して」

「そんなもの……」

 

 嬉しいに決まっている。

 

 宗近は、アオにとって大切な人間だ。

 名を与えてくれたから、自分を見つけてくれたから。


 けれど、それだけではない事に、アオも気が付いている。

 いや、気付かせられたのだ。

 

 出雲へ向かった時の、御使い様の言葉を思い出す。

『人と人ならざるモノとの縁はそうはいかぬ。それが、人と神ならば、なおさらじゃ。人間と人間の身分差どころの話ではない。格、そのモノが違いすぎる』

『我ら人ならざるモノは、本来、人と深く関わるべきではないのだ。人と神とて、本来は相容れぬモノ同士。深く関わる事は、お互いの為に絶対にならぬ』


 アオは宗近を想っている。

 けれど、それはアオの為に、宗近の為にはならない。

 

「アオ様?」

「……もちろん。嬉しいと思うぞ。宗近は、わたしの大切な……大切な友人、だからな」


 そう言って笑うアオの瞳は、隠しきれない悲しい色をしていた。

 その瞳を、宗近は六年程前にも見たことがある。

 瞳の色は違えども、人と神の違いがあろうとも、その感情は変らない。


(あぁ……本当に。本当に、神様に惚れ込まれちまったんだな)


 けれど、六年前も、今も、宗近はその想いに応えるわけには行かない。


 宗近は、アオの名を先へ伝えなければいけない。

 アオをアオのままにするためには、アオにアオと名を付けたからには、それだけの責任を果たさなければならない。


 そのためには……。


「神様の友人だなんて、光栄だ」

「ただの友ではないぞ? “大切な”友だ」


 笑って受け入れるしかない。

 一人の人間と、一柱の神は、お互いに、その想いを抑えて、今を受け入れて、笑い合う。


 〇


 神社とは反対側の山の方から、鐘の音が聞こえる。

 港町の人間が世話になっている寺から聞こえてくる除夜の鐘だ。


 もう年が終わる。

 新しい出会いを迎えた年が。


 除夜の鐘が鳴り止む前に、アオは宗近に聞いた。

「宗近。次の年の願いは何じゃ? せっかく、神が目の前におるのだから、願って見せよ」

「急な話だなぁ……。でも、そうだなぁ……」

 鳴り響く鐘の音の中、宗近は静かに次の年の願いを呟く。

「まだまだ、馬借として、健康に働けますように。かね」

 そうすればまた次の年も、アオの側に居ることができるだろう。

 故郷へ帰らなければならないその時までは、ずっと、側に。


 除夜の鐘が鳴り止む。

 シンと冷えた新しい年の空気が、宗近とアオの側を通り抜けて行った。

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