第32話 火鉢と乾いた蒸し饅頭

 山裾に居を構える港町にも、冬がやって来た。

 この辺り特有の山の方から吹いてくるからっ風は、いろいろな場所を巡って来た宗近でさえ、風除けが欲しくなるくらいに強くて、外に出る時は馬借仲間から貰ったマントを羽織って動くようになる。

 それでも吹きすさぶ風は、マントの隙間から、着物の隙間から、そして少し開けた店の窓から入って来ては、人を凍えさせる。

「いやぁ……毎日寒いですねぇ……」

 そう言いながら火鉢に当たるのは、茶屋の若旦那だった。

 茶屋では、もう火鉢が出ている。

 蒸し饅頭を作っている厨は暖かいし、女中も宗近も動き回っているので、今の時期の茶屋でわざわざ火鉢に当たるのは、若旦那ぐらいなものだが、小さい頃からちょっとしたことで風邪を引く若旦那には、この時期からの必需品だ。

「寒いからって、火鉢の側に居てばかりで、縮こまって居ないでくださいよ。全く」

 そう言いながらも、ミチは若旦那に海老茶色の半纏を着込ませる。若旦那が坊ちゃんだった時から世話をしているミチにとって、火鉢に当たり出した若旦那に半纏を着せるのは、もはや条件反射の様なものだった。

 綿の入っている半纏はもこもこと膨れているので、細い身体の若旦那は半纏に着られてより一層、瘦せて見える。

 その様子を見たミドリが呆れたようにため息を吐く。

「ミチサン。若旦那ヲ甘ヤカス、良クナイヨ? コンナママジャ、誰モ、オ嫁ニ来テクレナイ」

 宗近はミドリの言葉に、同意せざるを得なかった。


 〇

 

 霜月に入る少し前、この港町を見守る神社、雨ノ宮神社に住む雨の神様、アオは出雲から帰って来た。

 出雲へ行っていた神々が縁結びを行うのは、よく知られた事で、宗近も出来ればという気持ちで、アオに若旦那とミドリの縁を頼んだのだが、残念ながら、結果は芳しくなかったとアオから告げられた。

 若旦那は、やはり何かあるとすぐに風邪を引いたり、弱ったりするために、他の神々からも嫌厭されていたらしい。これでは、来年も嫁が来るとは言えないだろう。

 ミドリはミドリで、日の本の国の者ではないから、出雲へ集まった神々も手を出したがらなかったらしい。

 本来ならば、このような縁の話も人が予め知らないはずの事なので、聞いてしまうのは良くないそうなのだが、あまりに不甲斐ない結果に、アオ自身が話しておきたかったそうだ。

 アオはすまないと、宗近に謝ったが、神様の言う通り。人間であっても、若旦那とミドリは、どう縁を結べばいいのか悩むところなのだ。

「いっそのこと、若旦那とミドリさんが一緒になればいいんじゃないか?」

 宗近にしては、名案だと思ったその案は、アオにすぐ却下された。

「二人とも、市井の民とはいえ、方や、いずれ店を任される人間。方や、その店で働く人間。身分の違いがある人間同士を縁づかせても、良い事はあまりないのじゃ……」

 アオはそう、悲しそうに言っていた。

 

 〇

 

 冬のからっ風は、せっかく蒸した饅頭をすぐに冷ましてしまう。

 買ってからすぐに食べなければ冷たくなってしまうせいで、蒸し饅頭の売れ行きも少し落ちている。

 しかも、からっ風は乾いた風なので、せっかくのふかふかとした触感の皮もカピカピに乾いてしまう。

 冷めて乾いた饅頭は売り物に出来ない。

 なので、茶屋で賄いとして消費するしかないのだが、冷めた饅頭はいくら中身が極上の餡でも、やはり少し味気ない。

「これ、もう一回湯気に当てたらダメなんですか? そしたら、また温かい饅頭になるし、乾いた皮も元に戻って売れるんじゃ?」

「これ以上やっちゃうと、今度は皮がふやけすぎて、破けて中身が出ちゃうのよ。だから、もう一度蒸かす訳にはいかないの」

「そうですか、残念だな」

「だからこそ、俺たちはこれを使うんですよ」

 そう言って若旦那が手に持ってきたのは、餅を焼く時に使う網だった。

 若旦那は持ってきた網を自分が当たっていた火鉢の上に乗せる。

「若旦那、まだ餅には早いだろ?」

「嫌だなぁ、馬借さん。違いますよ。これで、饅頭を焼くんです」

「饅頭を?」

「はい。うちの茶屋は蒸し饅頭が売りですけど、冬の楽しみと言えば、コレです!」

 若旦那は網が温まった頃を見計らって、冷めた饅頭を乗せる。

「ちょっと時間はかかりますけど、これで冷めた饅頭もあったまりますし、皮が乾いているので、いい具合に焼け目も付いて香ばしくなるんですよ」

「へぇ……」

「あと、饅頭が焦げないように見る間は、火鉢に当たっていれは、寒くないですしね!」

 若旦那はどうだとばかりに、胸を張った。

 いい具合に焼けて来た饅頭を網から降ろして、頬張る。

 その美味しさに、思わず宗近も目を見張る

「……美味い」

 温め直した事で、中の餡も蒸したての時の様に温まっているし、蒸し饅頭の皮も、いい具合に炙られて着いた焦げ目が香ばしく香る。

 宗近はおやきに近い物かと思っていたが、おやきよりも厚みがあるふかふかとした生地はまた別の食感だった。

 蒸し饅頭は蒸し饅頭で美味しいのだが、これはまた別物で美味しい。

「これ、売り物にしないのかい?」

「一応、冷めてしまって売り物にならない物を使っているから、売る訳にはいかないんじゃないかしら?」

「タマニ、皮、破ケテルヤツモ焼ク。売リ物トシテ、作ッテナイ」

「意外と焼けるまでに時間も掛かりますしね。あくまで、賄いの範囲でやっているだけですから」

「そうか……。でも、残念だな。美味いのに」

 宗近はもう一つ饅頭を手に取る。

「これを知っているのって、ここの茶屋の人だけなんですか?」

「いいえ、たまーに……」

「こーんにーちわー」

「あーやっぱり! 今日は寒いからやっていると思ったんだ!」

 そう言って店に入って来たのは、子どもたちだった。

 子どもたちは、そこそこ厚着をしてはいるが、若旦那ほどではなかった。皆冷たい風にさらされたためか、頬も耳も赤くなっていた。

 宗近は子どもたちの為に火鉢の前を開ける。

 子どもたちはわぁっと、火鉢の側に駆け寄ると手をかざして暖まり始める。

「馬のあんちゃんも、今日は炙り饅頭食ってるの?」

「なんだい。君らも、この饅頭知っているのかい?」

「うん。寒くなって来ると、饅頭屋のあんちゃんはすぐに火鉢を出すだろ? そしたらたまに、饅頭を焼いているから、おやつにこっそり分けてもらうんだ」

「一個食べちゃうとお腹いっぱいになって、晩のご飯が入らなくなるから、半分だけ、だけどね」

「と、いうわけで、あんちゃん饅頭ください!」

「ください!」

 子どもたちのふくふくとした両手が、若旦那に向けられる。

 若旦那は、はいはいと言いながら、つるりと丸い饅頭を半分に割って子どもたちに渡す。

 手先が不器用な若旦那が、饅頭を綺麗に二つに分けるので、宗近は驚いた。

「若旦那、饅頭割るの上手いんだな」

「あぁ、よくミドリちゃんとおやつを半分にして分けていたから。ほら、丸々一個食べると腹に溜まって夕飯が食べられなくて、ミチさんに怒られるからさ」

「なるほど」

 ここにいる子どもたちと一緒というわけだ。

「なぁ、君ら。この炙り饅頭、もし売ってあったら、買うかい?」

 子どもたちはその問いに、眉をひそめて、首を傾げる。

「それは、やだなぁ……」

「これは、冬のお楽しみだから、売られたら取られちゃうじゃん」

「たまに来たら貰えるから、嬉しくて美味しい物なんだ」

「それに冬になって草が取れなくて、河津のあんちゃんからお駄賃貰えないから、売り物になったら食べれなくなっちゃう」

「……そうか。これは、君らの冬の特別なお楽しみなんだな」

 子どもらから、楽しみを奪うわけには行かない。

 きっと茶屋の若旦那たちも、同じ気持ちなのだろう。


 冬だけの特別な食べ物。


 なら、冬だけの特別なところで出せばいい。

 たとえば、年越しの餅のように。


 〇


「……つまり、初日の出を神社で待ちつつ、みんなで食うために炙り饅頭を振舞うと?」

「そうそう」

「何のために?」

「せっかくこんなに美味いんだから、広めればいいんじゃないかと、思ったのが一つ。でも、炙り饅頭は店の賄いだし、子どもたちの冬の密かな楽しみだから、売り物にして取り上げたくはない。だから、店から出すときは食べられる機会を限定する。それが」

「年越しと初日の出を待つ日?」

「特別感が増すだろ? それに、初日の出を神社で見ればご利益もありそうだろう?」

「でも、炙り饅頭を売り物にはしないんだよな?」

「炙り饅頭は売らない。でも、こうやって焼いてやれば、冷めた饅頭も温まって、しかも焼いたことで香ばしくなるって広まるだろ? 火鉢の端で焼くって、どこでも出来る事だからな。真似をしようと思えば皆できる」

「……そうか。冷めた饅頭も火鉢で炙れば、あったかいのが食えるって分かれば」

「落ち込んでいた売れ行きも、戻るかもしれない」

 と、言うのは建前だ。


 本当の目的は、冬になって人足が遠のいた神社へ人を集めるためだ。


 冬の冷たく強い風は、人を家に籠らせる。

 短くなった陽の光は、人の行動を制限する。

 境内に生えていた草たちも枯れ、子どもたちが薬草を採りに行く事もない。

 神社はまた前のように、人が来ない場所になっている。

 そのせいか、たまに会いに行くアオが妙に寂しそうにしている。心なしか、社の中もその寂しさに同調したかのように冷え込んでいる気がする。

 なので何とかして、また人を集める方法を生み出したかったのだ。

 出来れば、お世話になっている茶屋に貢献できる形をまた取れたらと、思っていたので、今回のこの炙り饅頭はいいきっかけだった。

「蒸したての饅頭じゃなくてもいいから、正月に台所を騒がせなくてもいいし。毎年やれば、年末にみんな餅と一緒に買うようになるかもしれないぜ?」

「ふむ……」

 若旦那は腕を組んで、上を向いて考え込む。

「お二人とも、今度は何の催し物のご相談をされているんですか?」

 顔を上げると、そこには身なりのいい娘。大浦瑠璃が居た。

「大浦さん、いらっしゃいませ。申し訳ありません、気が付かなくて」

「こんにちは、大豆田さん。いいえ、気が付かないほど熱中されていらっしゃったんでしょう? 馬飼さんと」

 瑠璃はいつの間にやら火鉢の側から散っていった子どもたちの代わりに、そこへ座る。

「あら、これは何? 新しい商品ですか?」

「いえ、これは冷めてしまって売れなくなった饅頭を、火鉢の端で炙ったもので、店の賄いで、売り物ではないのです」

「そうなのですか? でも、あの子たちは食べているようですけれど……」

 瑠璃がチラリと子どもたちの方を見る。子どもたちは慌てて、手に持っていた饅頭を隠す。

 宗近がその様子見て、慌てて言葉を付け足す。

「子どもたちには、秘密のおやつなのです。どうか見逃してくれませんか?」

「……馬飼さんが、そうおっしゃるのなら」

 それでも瑠璃は、物欲しそうに炙り饅頭をチラチラと見ながら、出されたお茶を飲む。

 お茶を出しに来たミドリが、それを睨み付ける。まだ気が付いていないが、いつ気が付くやらと、若旦那が、気が気でない顔をしている。

 慌てて宗近は、瑠璃に話を振る。どちらにしろ、もし神社を使うのであれば、また大浦の家に話をつけなければいけないのだから、ちょうどいい。

「あの、売り物ではないのですが、もし、食べられる催し物を開催したら、大浦さんはいらっしゃいますか?」

 瑠璃はその言葉に、待っていましたとばかりの笑顔を浮かべて、それでも控えめに淑女に見えるように意識をして、答える。

「それは、食べて見なければわかりませんわ」

 若旦那と宗近はその言葉に、顔を見合わせて甘い餡が入っているつるりとした方の炙り饅頭を差し出すのだった。

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