5
"復讐で晴れる未練など、この世に一つとして存在しない……"
寒い声がした。
深く冷たく、どこまでも寂しい空間。
棚に高く積まれたアイスクリームと、冷凍野菜。
ここは、そんな場所。
"されど……恨みを残すななど、誰に言えよう…………"
あぁ……、
あのとき私はどうして、あの駅で降りてしまったんだろう。
どうして、せっかく見えた道遵さんの未練から逃げ出してしまったんだろう。
薪人に忠告されたのに、なんで一人であの場所へ……。
でも、
ねえ、
本当にそれが悪いこと?
なんで、私が殺されなきゃいけなかったの?
覚えてる、あの痛み。
まだ着られる服を裂いて、
まだ使える体に刃が突き立てられて、
信じられないくらい痛くて苦しくて、
怖くて、
あの男は、誰?
誰でもいい。
そういうことじゃない。
"観自在菩薩……行深般若波羅蜜多時……照見五蘊皆空……"
お経が聞こえる。
道遵さんだろうか。
なんで、お経が聞こえるのだろう。
私は死んだはずなのに。
死んだから、聞こえてる?
わからない。
思考が続かない。
全部、怒りと後悔に塗りつぶされる。
止めどない未練。
眠れない夜が無限に続いてるような、
苦しい。
苦しい。
だけど、そうでないと、終われない気がして……。
"度一切苦厄……舎利子……色不異空……空不異色……色即……"
ああ、
ああ、
ああ……。
気が狂いそうだ。
イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ……。
なんで私が、あんな痛い目に遭わなきゃいけなかった?
なんであんなに怖い目に遭わなきゃいけなかった?
女ばかり狙って殺すなんて、そんな、字面だけでも耳を塞ぎたくなるくらいしょーもない男の手にかかって。
許さない。
許せない。
許せるものか。
許せないのに……。
"色即……おぉ……観音様……弥勒菩薩様…………"
哀しい。
本当に哀しい。
返せ。
私の時間。
私の明日。
生きていた体。
まだ終わるはずじゃなかった日常。
返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ……。
ねえ、
ねえ、
ほんとに返して……。
"これはあまりにも、哀れすぎるじゃありませんか…………"
苦しい。
死んだことよりも、
殺されたことよりも、
それを悔い続ける、この闇の冷たさが悍ましい。
おかしい、こんなの。
なんで私はまだ、苦しいの?
私を殺した、あの男の魂はもうどこにもないのに。
絶対におかしい。
魂は、すぐに揮発するって、
地上に残る未練は意志の残骸だって、
そうでなきゃ、あんまりにも残酷すぎるって……、
"世界がこれを隠すのなら……拙僧も到底、成仏など…………"
道遵さん……。
あなたはもしかして、このことに気がついて……。
あぁ、ダメだ。
何も考えられない。
あんなことが起きなければ、あんな男がいなければ。
それだけで続いたはずの明日。
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……。
道遵さん?
私、いつまで、ここにいるのでしょうか?
100年?
200年?
もうずいぶん長い間、薪人も手を合わせに来てくれていません。
周りには、冷食以外何もない。
誰もいない。
なのにどうして……私はまだ、消えられないの?
まだ、消えたくないの?
"どうか、救いを……"
消えたくない。
この恨みがある限り。
消えたくない。
拭えぬ後悔が拭えるその時まで。
でも、そんな日は絶対に来ない。
わかりきっていたことじゃないか。
殺されるなんていうのはあんまりにも理不尽で、
奪われた時間を代替するものなんてありえなくて、
たとえ復讐なんかできたところで、絶対にその恨みは晴れやしない。
"せめて、祈りを……"
終わらぬ後悔。
繰り返される痛みの記憶。
あったはずの未来への思慕。
だけど、体と一緒に亡くした涙はどこにも流れず、かわりにコンコンと滲み出す百年の冷気で、
きっと、今日もビールがよく冷える。
オカルト・パンクと未練が詰まった冷蔵庫 小村ユキチ @sitaukehokuro
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