第四十五話 冥府の官吏・小野氷月

――まさか、あの方のこうけいかかわることになるとは。


 ろくじんしきばんを前にした晴明は、軽くたんそくして自身をわらう。

 のうに浮かんだのは、一人の男である。

 ったてんで、その男はこの世のものではなかったが、晴明を驚かせたのは彼が就いていた任務である。

 当時はまだ十二天将を使役する前で、現在いまよりも陰陽寮に出仕することが少なかった頃であった。決して暇だったわけではないのだが、あまり人と関わることを自分から避けていた晴明は、急を要する以外はやしきに籠もることが多かった。

 現在も過去も、人が集えば噂が生まれ、それに尾ひれがつく。晴明の場合ははんようであり、あやかしと同居していると噂されているが、それは否定しない。ただ、あまり耳に入ってくると耳にふたをしたくなる。ならば、噂のある所には近づかないほうがいいと思ったのだ。

 そんな晴明が、おんりようたたられているという貴族の依頼を受けた。

 とつぜんさまはじめたゆうに驚くのも無理はないと思うが、晴明に依頼する時点で男にはしようそうかんがあった。いつこくも早くはらえという依頼に、晴明は眉を寄せた。

 そもそも〝祟られている〟と言っているのだ。心当たりがないのであれば祟られているとは言わないだろう。



「その幽鬼に、お心当たりは?」

 晴明の問いに、男は明らかに動揺した。

「あ、あるわけがないだろう!」

「――ですが、向こうは理由がなく祟るとは思いません。きたかた(※正妻)のお知り合いでないとするなら、あなたさまのご存じの方――ということになります」

「陰陽師のぶんざいで、れいな……!」

 よほどさぐられたくないがあるのか、その依頼は他の陰陽師にすると、男は晴明を追い返した。晴明がその理由を知ったのは、それからしばらくしてのことだ。

 なんとその幽鬼が、晴明の邸に現れたのだ。

 陰陽師の邸に現れるなどだいたんな幽鬼だが、晴明の邸はぞうも棲み着く邸である。しかも現在よりくらがりが近しい。それゆえなのか、幽鬼も呼ばれてしまうのだろう。

 女の幽鬼曰く、その貴族の男は妻にすると約束したと言う。しかし男は財も地位もある他家の姫に心を移してしまったと言う。彼女は病となり彼岸に渡ったが、男が忘れられぬと言う。まだ覚えてくれているかも知れないという期待を抱いたが、当の男は彼女を見ても最初は誰だがわからかったらしい。

 こちらは死しても忘れていなかったのに、男のほうは新たな恋で女の存在を心から消し去っていた。

 やはり、彼女には祟る理由があったのだ。と言って、このまま彼女を見逃すことはできない。たとえ男に非があろうと、人に害をなすものとなるなら祓わねばならぬ。

 その男と出会ったのは、その直後である。

 女の幽鬼が突然姿を消して、入れ替わりにその男が晴明の邸に侵入してきたのである。

 こうも立てて続けに〝あの世〟のモノに侵入されると、陰陽師としてのけんに関わるが、男の目的は彷徨うこんぱくを捕まえることだとと言う。

 男の名はたかむら――、晴明が生まれる以前の人物だが、昼は内裏に出仕し、夜はめいかんとしてえんおうに仕えているという男である。

 結果――女の幽鬼は鬼とならずに冥府へ向かったが、この世に未練を残したものほど幽鬼となって彷徨う。

 小野篁は言った。

 じんだ――、と。

死してもめいかんである彼は「自分の立場で言うことではないが」と前置きして、

「彼の中には陰謀によって命を落としたモノもいる。なのに非は陰謀を企み、追い詰めた側にあるのに、追い詰められて死したものは報われることなく怨霊としてて祓われる。鬼となれば、かの魂魄は地獄に堕されるだろう。まったく、理不尽だよ」

 ごうとくで地獄に堕ちるものもいるが、生前をどんなにまっとうに生きても、理不尽なごうの死によって人を祟るモノとなる魂魄がある。

 そんな魂魄を、晴明も見てきた。

「篁どの、私は陰陽師です。人を害するものは祓わねばなりません。ただ――、その嘆きを聞くこともできます。ただ冥府へ送るだけではなく、抱えた恨みや憎しみのぐちとなれば、彼らは鬼とはならずにすみましょう」

 篁はどうもくした。

「そなた――、変わっておる」

 そう言って、篁は冥府へ帰っていった。

 その後、あの貴族の男はどうなったかと言えば、過去の不正が仲間の裏切りでけんし、地方にせんされたと言う。結局人を裏切った男は、自身も人の裏切りでしつきやくした。

 

 

えんに出ると、そらはすっかりあかねに染まっている。

 晴明はそんな昊を見上げつつ、えんを思う。

 冬真がけいの折りに、朱雀門で見かけたというつぼしようぞくの姫。

 普通貴族の姫は、夜中に一人歩きはしない。しかも、こんごうづえを持っていたと言うからますますあり得ない。よほどごうたんな姫でなければ。

 そんな姫は晴明の記憶では、冬真のとこひめふじわらあやぐらいだが、彼女は中宮・藤原瞳子のないしのすけである。賊相手になぎなたを振るったという勇ましいゆうでんはあるが、夜中に出歩いてまでする彼女ではない。しかも出くわしたのが冬真だ。

 づき――そう名乗ったという彼女の名に、晴明は小野篁を思い出したのだ。

 小野家は、かのけんずい使にて大陸に渡った小野妹子をとし、現在の当主は能書家でもあるののとうふうである。

 試しに小野家に式神を放つと案の定、小野氷月は篁のそうそんであった。

 しかもだ。彼女もまた冥府の官吏であり、追っている魂魄が晴明の邸に「彼を殺さないで」と訴えに現れた幽鬼らしい。

 幸い、今回の幽鬼に憎しみの念は見られなかったが。

かくして晴明は、小野家を訪問するに至ったのである。


                ◆◆◆


「……またなの?」

 ぶんだいにて筆を走らせていた小野氷月は、真っ青な顔で座った女房を見て嘆息した。

「お、お邸の中に、お、鬼がいるなんて――」

 女房かのじよが鬼とそうぐうしたのは今回が初めてではないのだが、やはり怖いらしい。

 確かに鬼はされる存在だが、氷月にとってはかの鬼がいるのは日常なのだ。

「今に始まったことじゃないでしょ。いい加減、慣れなさい。うつ

 氷月の言葉に、女房・卯木は必死にぶんぶんと首を横に振る。慣れませんという、意思表示らしい。

氷月も卯木も鬼が視えるけんさいがあるが、卯木にとっては災難でしかないようだ。

「あ、あれに、どうなれろと? 氷月さま」

 卯木は震えながら、氷月のかたわらにちんしている二匹を指さした。

 そこには頭が牛や馬で、からだは人の形をした地獄のごくそつがいる。

 牛の頭をもつのが、馬の頭をもつのをと言う。

 小野家は他家に比べれば格式は低いが、祖の小野妹子は遣隋使の一員として大陸に派遣され、曾祖父・篁はだんじようだいから最終的にはじゆさんと昇進し、冥府の官吏も務めた。

 牛頭馬頭は、その頃から小野家に出入りしていたらしい。

 氷月が生まれたときにはそう・篁はじんだったが。 

「牛頭馬頭、閻魔王にはもう暫くお待ちをと伝えて」

 氷月の指示に、二匹はすっといんぎようする。

「氷月さま?」

「なぁに? 卯木」

「なにゆえ、小野家の姫であられる氷月さまが――」

「冥府の官吏をしているかって……? そうね、私も鬼や幽鬼は物心ついた時には視えていたわ。でも、不思議と怖くはなかった。ま、ひいおじいさまの血を私がひいたせいね」

 曾祖父・篁という人は、はっきりとものを言う性格だったらしい。

 三度目のけんとう使こうかいにあたって、けんとうたい使ふじはらつねつぐちやこうしてこうきよ。その上、遣唐使の事業、朝廷をふうするかんを詠んだために、時の帝のげきりんれ、くにへのざいとなった。

 篁は二年後朝廷に復帰するが、はっきりとものを言う性格なら氷月も負けてはいない。

 鬼をおそれぬ見鬼の才、ごうたんな性格、さらに篁のそうそんとあってか、冥府にも知られることになったようだ。氷月としては貴族の姫らしく過ごしてもみたかったが、周りは何かと彼女を巻き込む。特に牛頭馬頭がひっきりなしにやってくるのにはあきれた。

 閻魔王は、かつて篁がしていたことを氷月にもと依頼してきたからだ。

「さてと……」

 氷月が片付け始めたのを見て、卯木が首をかしげる。

「氷月さま?」

舎人とねりを一人呼んでくれる? 出かけたいところがあるの」

「お出かけから、私がお供しますわ」

「――鬼と遭遇するかも知れなくてよ。訪ねるのは、陰陽師・安倍晴明さまのお邸ですもの」

 氷月の言葉に、卯木は再び青ざめて、同行するのを諦めたのだった。

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半妖の陰陽師~鬼哭の声を聞け 斑鳩陽菜 @ikaruga2019

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