第5話

 忠治は美織とのデートの数日後、安らかに眠りに就いたまま、帰らぬ人となった。

 いつものように美織が忠治の家を訪れた時、何度声を掛けても起き上がらなかったので、慌てて脈を確認し、死を確認した。

 忠治の顔を見ると、もがき苦しんだ様子が全く無く、安らかな眠りについているようにさえ見えた。


 朝から木枯らしが吹き荒れる肌寒い一日。美織の車は町の中心にある葬儀場に到着した。入口には「故 赤江忠治 葬儀」という看板が立っていた。

 葬儀会場の中央には、笑顔を見せる忠治の写真が掲げられていた。

 祭壇の前で手を合わせ、親族に頭を下げると、喪主を務めた健司が美織の元へと駆け寄ってきた。


「ありがとうございます、あなた様には感謝してもしきれません」


 そう言うと、美織の前に立ち、すまなそうな顔で何度も頭を下げた。


「こちらこそ。皆さんのお話と違って、とても素敵なお父様でしたよ」


 美織は淡々と答えると、健司に背を向け、ロビーに向かって歩きだした。美織に看取りを依頼して以来、忠治に顔を見せに来ることすらしなかった健司に、美織はうすら寒さと腹立たしさを感じていた。

 その時、美織の正面にどこかで見たことのある男性が立っていた。


「あの……私に、忠治さんの家を教えて下さった方ですよね?」


 男性は何も言わず、美織を避けるかのように歩きだし、祭壇へと向かっていった。


「どうして逃げるんですか?……あなたは一体、誰なんですか?」


 美織は男性の背中に問いかけた。


「俺の名は須藤和人すどうかずと……俺の妻・晴恵は、忠治さんと別れ、俺と再婚したんだ」


 男性は伏し目がちな姿勢で、ようやく自分の名前を名乗った。


「晴恵は、俺と再婚した後も忠治さんのことを気にしていたよ。死ぬ間際にも『忠治さんをみんなで守ってあげて欲しい。きっとあの人には誰も頼れる人がいないだろうから』って言ってたよ」

「……」


 和人は肩や腰を触りながら、苦笑いし始めた。


「晴恵が亡くなってから、俺も健司も自分に出来ることをしてきたつもりだよ。忠治さんが寝込んでからは、命より大事にしている花畑を守るためにイノシシを駆除したり、草刈りしたりね。健司は健司で、仕事で忙しいのに忠治さんのことを懸命に介護していたよ。ま、俺も健司も、忠治さんから『余計な事するんじゃねえ』って、顔を合わせるたびに怒鳴られたけどさ」


 なるほど……病気でほとんど寝床から起き上がれない忠治が、あんなに整然とした広大な花畑を守れるわけがないと思っていたが、ようやくその理由を理解した。

 

「お世辞なしに、あんたは本当に若い頃の晴恵にそっくりだよ。あんたに看取られて、忠治さんはきっと幸せだったと思うよ」


 和人はそう言い残すと、背中を丸めながらとぼとぼと式場の中へと入っていった。

 美織は背中を見届けた後、葬祭場を出て自分の車に戻ると、どこかやりきれない気持ちになり、大きなため息をついた。車の窓ガラスには、長い髪の毛先をカールした美織が映っていた。美織はその姿を、忠治の家に飾ってあった晴恵の写真と重ね合わせた。


「晴恵さんと忠治さん、今頃、空の上で再会してるのかな……」


 自分は看取り士として、十分役割を果たしたと思っていた。しかし、美織の心の中には、未だもやもやとくすぶっている想いが残っていた。

 その時、葬儀場の前に黒い霊柩車がやってきた。これから忠治の遺体を安置し、火葬場へと向かうのだろう。やがて霊柩車は長いクラクションを鳴らしながら、ゆっくりと発進していった。

 霊柩車を見送ると、美織の目にはみるみるうちに涙が溢れてきた。


「何してるんだろ、私……忠治さんのことを本当に好きになっちゃうなんて。看取り士として失格だよね」


 美織は涙を拭くと、車のエンジンをかけた。

 すると、カーラジオから、ゆるやかなメロディラインに乗って、カレン・カーペンターの優しく語り掛けるかのような歌声が流れてきた。


「『イエスタデイ・ワンス・モア』か……」


 カレンの歌声を聞くうちに、美織の脳裏には、忠治と過ごした日々の思い出が次々と駆け巡った。

 美織はこれからも看取り士として、たくさんの人と最期の時を共に過ごすことになるだろう。出会いと別れを繰り返すうちに、忠治のこともいつしか忘れてしまうかもしれない。

 美織は忠治との思い出の数々が消え去らないように、心の中に大切に仕舞っておこうと思った。いつも一緒に聴いていた、カーペンターズのメロディとともに。

(了)

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