第4話
暖かな秋の日差しが鬱蒼とした木々から差し込む日。
美織は忠治の家の玄関をそっと開けた。
「おはようございます、忠治さん」
「おう、晴恵か」
次の瞬間、玄関にいた忠治の表情が突然凍り付いた。
「お、お前!」
「へへへ、ちょっとおしゃれしてきちゃった。似合うかな?」
すると忠治は、仏壇に置いてあった写真を手にして、目の前に立つ美織と何度も見比べた。今日の美織は、写真立ての晴恵と同じく、長い髪の毛先に強めのパーマをかけ、ボウタイの付いたブラウスと台形のミニスカートを着込んでいた。
「どうですか? パーマの上手い美容師さんを探して、綺麗に髪を巻いてもらったんですよ。あ、この洋服は古着屋さんを何軒も回って見つけてきたんですよ。普段はミニなんて穿かないけど……どう? 似合ってる?」
「晴恵……」
忠治は顔を真っ赤にして、美織から顔をそむけた。
「さ、奥さんとの思い出のお花畑、一緒に見に行きましょ」
「ちょ、ちょっと待て!」
忠治は手のひらを広げて美織の前に向けると、ふらつきながら居間の奥の方へと歩きだした。
「お前だけおめかししてもしょうがねえだろ。俺も着替えっからよ」
忠治はクローゼットを開けてワイシャツ、ネクタイとスーツを取り出し、震えた手でシャツのボタンを閉め、何度も倒れそうになりながらズボンを穿いていた。
「あの、無理はしなくていいですよ。別に遠出するわけじゃないし、パジャマのままでも私は気にしませんから」
「バカ言うんじゃねえ。お前とデートする時は、いつもちゃーんとおめかししてたんだ。少しでもカッコいい俺を見せたいからな」
そう言うと、忠治は白い歯を剥き出しにして親指を立てた。
忠治が着替え終わるのを見届けた美織は、片手を忠治にそっと差し伸べた。
「何だよ。俺……繋いでいいのか?」
「いいですよ」
忠治は美織の手を掴むと、照れくさいのか、顔が上気しているように見えた。美織はその様子がおかしくて、思わず吹き出してしまった。
二人は玄関を出て、色とりどりのコスモスが咲き誇る花畑へと歩きだした。花畑の間に設けられた小径を歩くにつれ、コスモスの花は左へ右へと揺らいでいた。
「すっごく綺麗ですね。こんなにコスモスが咲いてるのを見たの、生まれて初めてかもしれません」
「だろ? コスモスはお前が好きだった花だ。だから俺は、いつもこの時期はコスモスで畑を埋め尽くすようにしてるんだ」
忠治はどこか照れくさそうな顔をしながら、コスモスの花を指さしていた。やがて二人は、畑の一番真ん中にたどり着いた。周囲には、全方位見渡す限りどこまでもコスモス畑が広がっていた。
「すごーい! こんな場所があったんですね」
美織は歓声を上げると、両手を広げ、その場でぐるりと一回転した。その瞬間、スカートがひらりと風に舞い、隣に立つ忠治は赤面しながら美織から顔をそむけた。
「ど、どうしたんですか、急に」
「だって、お前……その……」
忠治は美織のスカートを指さした。美織はようやく忠治が赤面した理由に気づき、思わず両手でスカートを押さえた。
「ひょっとして、見えちゃいました?」
「ああ、ちょっとだけ、な」
「やだ、何やってるんだろ、私……」
美織は照れながら必死に照れ隠しをする忠治を見て、口に手を当てながら大笑いした。
二人の頭上には、抜けるような青空が広がっていた。時折そよ吹く風の音以外は、何の音もしない静寂の世界。二人はその中で身を寄せ合い、どこまでも広がるコスモスの花々をじっと見つめていた。
やがて忠治は畑の中に入ると、数本のコスモスを摘み取り、美織の手の上にそっと置いた。
「晴恵」
「何ですか?」
「俺……お前と健司を幸せに出来なかった。本当にそれだけは済まないと思ってる」
「……」
「でもな、俺の気持ちはずっと変わらねえ。俺は今も、お前のことが好きだ」
美織は、忠治から渡されたコスモスの花をじっと見つめていた。
こんな時、晴恵だったらどんな言葉を口にするだろうか? 美織は会ったことがない晴恵の気持ちをひたすら想像した。そして、ようやく見つけ出した言葉を口にした。
「私、嬉しかったよ。忠治さんに出逢えたこと、こんなに素敵な場所を見せてくれたこと、そしてあなたが生きていてくれたこと」
そう言うと、美織は忠治の頬にそっと唇を押し当てた。
「晴恵……!?」
忠治は頬に手を当てながら唖然とした表情を見せると、美織は忠治の腕に自分の腕を絡めた。
「行きましょ。そろそろ肌寒くなって来たし」
「あ、ああ」
色とりどりのコスモスが揺れる中、腕組みしながら歩く二人。
美織は、頭の中にパッと思い浮かんだ歌を鼻歌で唄い始めていた。
「……トップ・オブ・ザ・ワールドか?」
「そうです。何だかすごく唄いたくなっちゃって」
「……相変わらず可愛い奴だな、お前は」
すると美織の鼻歌に合わせて、忠治もぼそぼそとした声で鼻歌を始めた。
二人は鼻歌を唄いながら、コスモスが咲き乱れる畑の中を、家に向かってゆっくりと歩き続けて行った。
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