第3話
美織が初めて忠治の自宅を訪れてから数週間が経過した。
途中の細い山道を運転するのは未だに慣れないけれど、美織は忠治に会いたい一心で、めげることなくハンドルを握り続けていた。自分を別れた奥さんと思い込んで慕ってくれる忠治に対し、面会を繰り返すうちに不思議と心が引き寄せられていたのだ。
狭い林道を走行する途中、草刈り機を手にした男性が道路の側をうろついているのが目に入った。美織はハンドルを握りながら目を凝らしてみると、先日、忠治の家はがいいのでは?」
「わかってらあ。でも、俺はもうちょっと畑を耕したいん……だ」
突然、忠治の身体が地面に向かって真っすぐ崩れ落ちた。美織は慌てて忠治の元へ駆け寄り、両腕で抱きかかえると、そのまま家の中へと連れ帰った。忠治の身体は見た目ほど重くなく、手で触れた腰には肉感がほとんど無く、骨のようなゴツゴツしたものに触れている感覚があった。
美織は居間に敷かれた布団の中に忠治の身体を横たえると、手持ちのタオルで汚れた顔や身体を拭き取った。忠治はゼエゼエと激しい呼吸をしながら、薄目を開けて美織を真っすぐ見つめていた。
「晴恵……俺、もうダメなんだよ」
「何がダメなんですか? まだまだ大丈夫ですよ、忠治さんは」
「もう長くないんだ……こないだ医者に言われたんだよ。もう手の施しようもないって」
忠治はそう言うと、目の辺りを何度も拭い始めた。
「でもな、俺のところに戻ってきてくれたお前には、悲しい思いをさせたくないから、そしていっぱい喜んでもらいたいから……この花畑をきれいに耕していたんだ」
そう言うと、忠治は声を上げて嗚咽を始めた。しわくちゃになった日焼けした顔からは、とめどなく涙がしたたり落ちてきた。
「忠治さん」
「何だい、晴恵」
「CD、流しましょうか。忠治さんの好きな、カーペンターズを」
美織はそっと立ち上がり、CDをラジカセに挿入すると、カーペンターズの「We've only just begun」が流れ始めた。美織は曲に合わせてフンフンと鼻歌を歌い出すと、忠治は突然美織の手を鷲掴みし、自分の身体へと引き寄せた。
「な、何するんですか!」
「俺、嬉しかったんだよ。こんな勝手気ままで、花を育てる事しか取り柄の無い俺でも、包み込んでくれる女がいたんだって……」
忠治はそこまで言うと、大きなあくびをして、枕の上で顔を横に向けたまま眠りに就いた。美織は忠治の手をそっと握ると、CDから流れる歌に合わせて小さな声でハミングを始めた。
「ねえ、忠治さん、起きてる?」
忠治は返事なく、気持ちよさそうな顔で眠りに就いていた。
美織は仏壇から晴恵が写っている写真を持ちだすと、忠治の目の前に差し出した。
「……私とデート、しませんか?」
すると、寝ているはずの忠治の口元が緩み、心なしか嬉しそうに感じた。
「ただ、一つだけ約束してくれませんか。デートに向けて私、色々と準備したいから、少しだけお時間もらえますか? いくらもう長くないと言われたからって、死に急いじゃダメですよ。必ず私とデートするって、今ここで約束してください」
そう言うと美織は小指を差し出し、眠りに就く忠治の小指に絡めた。
「さ、今日からがんばってダイエットしないとな。私、晴恵さんほどスリムじゃないからね」
美織は目の前に置いてある晴恵の写真を見た後、自分の身体と見比べ、顔をしかめて苦笑いを浮かべていた。
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