4★執事サマのお気に入り

 一階へと続く階段の踊り場に、真弦くんはいた。

 膝を抱え、からだを硬くしている。


 時々、「ひっく、ひっく」としゃっくりあげて、零れた涙を手でぬぐって。

 そしてまた、顔を足の間にうずめて。


「真弦くん」


 わたしが前に立っても、名前を呼んでも、彼はなかなか返事をしない。

 そりゃそうだ。初対面の女の子がいきなり話しかけたら、誰だって身構えるよね。


 わたしは努めて、いつもよりも小さい声で語りかけた。

「真弦くん。大丈夫? 泣きながら走っているとこ見て、それで……」

 

 お父さんとのやりとりを聞いてしまったことは、伝えないでおこう。

 プライベートを他人に口出しされるのは、みんな嫌だもんね。


「おっ、お気遣いいただきありがとうございます、お客様」

 泣いているところを見せちゃいけないと考えたのだろうか。

 真弦くんは急いで立ち上がると、服についたホコリをはらって、営業スマイル。


「ぼ、僕は大丈夫ですので。引き続き、学園生活をお楽しみくださいませ」

 本人はまっすぐこっちを見ているつもりだろうけど、目線は右に行ったり左に行ったり。なかなかわたしと合わない。


「大丈夫じゃ、ないでしょ!?」

 それでつい、わたしは声を荒げてしまったんだ。


「そんな顔して、そんな泣きそうな喋り方で。全然、大丈夫に見えないよ……」 


「は?」

 

 瞬間、真弦くんの声が一オクターブ低くなった。

 彼はそのまま、目の前に立っていたわたしのからだを、両手で突き飛ばす。

 

 ドンッ! 


 わたしの背中が、踊り場の壁に押しつけられる。

「……っ」と悲鳴を上げる暇も与えず、彼の顔が近づいてきた。

 真弦くんは、わたしの顔の横の壁に右手を突く。

 いわゆる、壁ドンっていうシチュエーションですね(状況は最悪だけど)!

 

「……あ、あの」

「おまえ、誰だよ。なんで赤の他人に説教されなきゃいけねーの?」

 ああぁぁぁぁ、そうなりますよね(涙)! スミマセン!

 

 そして、真弦くんはポツリと一言。「オレのこと、なんにもしらないくせに」。

「なんで、どいつもこいつも、わかった気になるんだよ……」


 ……『おまえ、誰だよ』、か。


 仲良くなる第一歩は挨拶。

 店長さんも、渡木さんも、わたしとお姉ちゃんにちゃんと名乗ってくれた。

 だったら、今度はこっちから!


「わ、わたしの名前は朝倉日奈。しょ、小学五年生で、すきなことはアニメと漫画を見ることです!」

 ほ、ほかにも音楽聴いたり、お散歩したり、色々やってます!


「――は?」

「だ、誰だよって聞かれたので、答えました!」

「えっ、いや、そういう意味じゃ……」

 真弦くんの声が、徐々にか細くなっていく。

 

「だ、大丈夫か大丈夫じゃないかは、わたしにはわかんない。あなたのこと、全部しってるわけじゃない。さ、さっき会ったばかりだし、ひ、引っ越してきたばかりで町のことも、お店のことも、よくわかんないし。だから、考えるの!」

 

 どうやったら、きみを笑顔にできるかなって。

『わかった気になりたい』、じゃない。

『相手のことをわかりたい』。

 だからみんな手探りで進むんだよ!


 人間は、相手の心を読むことはできない。

 だから、おしはかったり、想像したりするんだよ。


 わたしは体制を整えると、目と鼻の先にある彼の胸に飛びこんで。

「……っ、なにす……、わっ。………え?」

 背伸びをして、サラサラの髪の上に、てのひらを置いた。

 昔、お母さんが自分にやってくれたように、ゆっくりとやさしく、その頭をなでる。


「よしよし。よしよし」

「や、やめっ、なんだよ、いきなり……」

 あはは。

 執事サマの顔、リンゴのように赤くなっちゃった。


「サービス。子どもにはまだ早いかなぁ」

 つられて、わたしのホッペも紅潮する。からだが熱かった。



 ――お姉ちゃん。サービスってどういう意味?

 

 注文した商品が運ばれてくるのを待っている時、わたしはお姉ちゃんに、こう質問したんだ。

 お姉ちゃんは「えぇ?」と眉を寄せたけれど、それも数分で。

『日奈には難しかったかな?』と(イラっとくる発言を)ブツブツつぶやきつつも、親切に教えてくれたの。

 

 ――サービスは日本語で奉仕。要するに、助けるって意味だよ。


 あのメニューの表には、〈頭ポンポン〉はなかったから、これは〈その他〉かな。

 人生で初めての、サービスだ。


「……あ、朝倉さんには、まだ早いよ。全然、基本がなってない」

「えっ。頭ポンポンに基本とかあるの!?」

 と返した瞬間、右足キックが飛んできた。


「ある!」

「ご、ごめんなさいっ!!」

「ふっ、ふざけんじゃっ」

「だ、ダメでした……か?」


 やっぱり、調子に乗りすぎちゃったかな……。


「……まあ、別に。やりたいなら、してもいいけど」

「そ、そうなの? じゃあ失礼、します」


 真弦くんの髪は、やっぱりきれい。

 寝グセで跳ねまくったわたしの髪とはちがう。一本一本に、つややかさがある。

 

 髪と髪の間に指を通しながら、わたしは言う。


「かっこいいなって思ったの。あなたのこと。応援したいの。ファンになっちゃったから」

 

 わたしはまだ、大人のいる現場で働けない。

 すてきな衣装を着たことも、注文を取ったことも、笑顔でお客さんと会話したこともない。

 

 カトレア学院に来て、真弦くんに会って、わたしの心は高鳴った。

 こんなことできるんだ! こんな世界があるんだ! って、衝撃を受けたのだ。

 

 なにかを悟ったのか、真弦くんが目を見開く。


「だから泣かないで……。って、ひゃ!」

「静かにして」

「……うっ」


 ふふっと妖艶にほほえみながら、真弦くんはわたしのアゴに指をかける。

 そのままグイッと持ち上げられ、わたしは目を白黒させた。

  

 ふ、ふぇぇぇぇぇ!?

 こ、これって、あの有名な〈顎クイ〉だよね!?

 あ、あれ? サービスするの、嫌なんじゃなかったっけ? な、なんでっ?

   

 ようやく、わたしたちの目と目が合う。 

「はぁ……。お客様、こちらお返しのサービスになりますが、よろしいですかー」

 ぼ、棒読み! セリフと行動と口調、ひとつも一致していませんけど……。

 

「えっ。あ、あの」

「沈黙は肯定とみなしますね」

「い、いや、今喋ったよ……って、んっ」

  

 目の前が暗くなる。

 くちびるとくちびるが重なる。あたたかいものが、全身に広がっていく。

 からだに力が入らない。頭がふわふわして、とっても心地いい。


 ———え?

 バッとわたしは身を引く。こ、これって、キ、キ………。

 え。も、もしかしてこれが、〈その他〉⁉

 く、口づけって、衛生上、やらないとかいうルールじゃ……?

 

「これって、あの」

「お代は要りませんから。どうしてもって言うなら、料理代から引いておきます」

  

 わたしの言葉に被せて、真弦くんが言う。

 その顔つきは、穏やかなものへと戻っていた。

 頬を流れていた涙のアトも、もうない。

  

 執事サマはくるりときびすを返す。

「そういうことで。助かった。ありがとう」

 フリーズ中のわたしに、小さく手を振って、階段を降りて行った。

   

 ……き、切り替えが早すぎるよ。

 まあ、わたしの行動が役に立ったなら、それで充分だな。

  

 朝倉日奈。恋愛経験ゼロの平凡な小学五年生でした(過去形)。

 そんなわたしのハジメテの相手は、あるお店の執事さん。

 マイペースで、ちょっと乱暴。でも、優しい性格の持ち主。

 言いかえるなら、『お気に入りの執事サマ』。


 真弦くんにとって、わたしはどんな存在なんだろう。

 いつか、『執事サマのお気に入り』になれたらいいな。なんてね。


   

  

  ―〈執事サマのお気に入り〉・完―



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

執事サマのお気に入り! 雨添れい @mikoituki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ