エピローグ
焚き火の熱が温かい。
大学の領土内でも都市部から離れれば、そこに広がるのは大自然だ。
もともとエゾは自然が豊かで、戦争前から一貫して酪農や農業、漁業が盛んな土地だ。
森の中のキャンプ場が、今日の宿になった。
毎晩ホテルに泊まるほどの金はない。その点、エゾは無料のキャンプ場が多くて助かる。
焚き火の上に引っ掛けていたポットでお湯が沸く。あちこちベコベコになってきたカップにお茶を注いで、ベルカが一口啜る。
▽なんというか。面倒くさい三角関係だったな。
ヨシノとハルゼイ、そしてツキノエのことを思い出して呟く。するとベルカがほんのり唇を尖らせて言った。
「言っておくけど、ユーリだって無関係じゃなかったんだからね?」
▽……俺が? なんで?
聞き返すと、ベルカはなにやら口をもにょもにょさせた。
▽なあ、どういう意味だよ?
「あーもー……ユーリはさ、ぼくがヨシノを喰い殺したくなかった理由、わかる?」
▽なんだよ、散々その話はしただろ?
「それ以外に」
▽……他にあるのか?
ベルカがジトッとした目で、カップの水面に映り込む俺を睨む。
「ヨシノは、自分からぼくに喰い殺されたがってた。ぼくが人造妖精と知った上で。さて問題です。前にも似たようなことがありました。それはいつでしょうか?」
▽……俺のときだな。
「正解。ということはだよ。ぼくがヨシノを喰い殺したら、ひょっとしたら、ヨシノもユーリと同じように、ぼくに憑依したかもしれない」
▽……。
可能性は否定出来ない。
どうして俺がベルカの耳に憑依できたのか、その理由はいまだに分かっていない。
ただ、俺がベルカのことを人造妖精と知った上で、彼女に自分を喰って欲しいと願ったことは紛れもない事実だ。
人造妖精に自分を喰い殺して欲しいと願うこと、それが人と人造妖精を結びつける要因かもしれない。
でもなんのために? どうしてそんな機能を人造妖精は持って生み出されたんだ?
……いや、いま気にするのはそこじゃないか。
▽えっと? それで?
俺が訊ねると、信じられないことが起きた。
いや、それは言い過ぎか。これまでベルカが一度もしなかったことを、彼女がやった。
▽イテテててっ! ちょ、痛ーよ!
ギリリッと、ベルカの細い指でつねられた。
「ユーリのばか! どんかん! ぼくねんじん!」
▽なっ、なに急にキレてんだよお前……
むすーっとしたまま、ベルカは黙り込んでしまった。
しばらくしてから、ベルカがもう一度俺に触る。今度は、優しく撫でるように。
「……ここは、ユーリだけの場所にしておきたかったの」
▽……あ。
これはつねられても仕方がないな。
▽いや、その……悪かったよ。
俺の情けない謝罪に、ベルカはまだむすっとしたまま焚き火をいじっている。
▽……でも、嬉しいな。俺も旅はベルカと二人っきりがいい。
そう付け加えると、尖っていたベルカの唇がふに、と緩む。
「その言い方すき」
ベルカのご機嫌を取れたことに、俺は胸をなで下ろす。まあ、胸はないのだが。
それはいいとして。
▽なあ、それでどうして俺があいつらの三角関係と無関係じゃないっていうんだ?
「ユーリ、気づいてなかった?」
▽なにが。
「ヨシノのこと」
▽あいつがどうした?
「……あーあ。ユーリは全然、そういうことに気づかないんだね」
▽そういうことって、どういうことだよ。
「たぶんだけど……、ヨシノはぼくのこと好きだった」
▽それは、恋愛対象として好きって意味か?
「恋愛感情っていうのは、ぼくもよく分からないけど。でも列車に乗ったあのときまで……なんていうのかな、ヨシノの矢印はぼくを向いていたと思うんだ」
▽なるほど。矢印、ね。
ヨシノの矢印はベルカに向き、ハルゼイはヨシノへ、ツキノエはハルゼイを、それぞれ向いていた。
俺が勝手に三角関係だと思っていたが、実はベルカと俺も巻きこまれた四角関係だったというわけか。
そう言われて思い返してみれば、ヨシノの「矢印」を感じさせる素振りがあったようななかったような……。
とは言ったものの。あんな状況で生じた感情を、簡単に恋愛感情などと呼んでいいとも思えない。
あー、なんだ。なんか背中がムズムズしてくるな。背中ないけど。
▽恋心ってのは難しいもんだなあ……
最近の若者の
「そんなんじゃ、誰かにぼくを横取りされても知らないからね」
▽いや、お前を俺から横取りできるわけないだろ。
物理的に不可能だ。
……いやひょっとしたら、超一流のハッカーならできるのか……? 若干不安を感じていると、ベルカが固まっていることに気づいた。
▽どうした。なに赤くなってんだ。
「ユーリが急に恥ずかしいこと言うからでしょっ?」
▽えっ? 俺恥ずかしいこと言ったか?
「なんで急に鈍感ぶるの!? ひょっとしてわざとなの?」
▽だから何が。
「『お前は俺の女だぜ』って言ってようなものでしょ!」
▽そうだが?
「……~~~~っ!!」
今度は両手でぎゅーっと握り締められた。いたい。
「そ、そうやってからかっても、ぼくには効かないからねっ」
▽はいはい。
会話が途切れる。
森の中は静かだった。俺たちの他に、キャンパーはいない。
薪がはぜる音と、夜鳴く鳥が時折声を上げるくらいで、静けさがあたりを満たしていた。
▽なあ、ベルカ。
「なぁに」
▽夢ってあるか?
「夢?」
ベルカが俺を見上げて、しばらく黙り込む。
口を開いて何か言おうとして、言い留まる。
「ぼくは……人を喰い殺さなくてもいい身体がほしい」
やがてベルカはそう言った。
俺と出会ったあの瞬間から、変わらない願い。
もう人を喰い殺したくないから死にたい。かつてのベルカはそう言って涙を流していた。
彼女はいまでも、人を喰い殺したくないと願いながらも、生きる道を選んでいる。
願いはあの時から変わっていない。でも、見つめる先は正反対。
「ユーリ、笑ってる?」
突然ベルカにそう言われ、俺は焦る。
▽あ、いや。馬鹿にしてるとかじゃなくてだな。……どうして、分かったんだ?
「わかるよ。だってぼくはユーリが好きだから」
そう言ってベルカは俺を撫でる。
「すごく、嬉しそうに笑ってたよね?」
心の中を読まれたようで、小っ恥ずかしかった。
恥ずかしついでに、もうひと言付け加えておく。
▽俺も、同じ夢を見ていいか?
ベルカの目尻が、ゆっくりと下がる。
「うん、うん。うれしい。ありがと、ユーリ」
旅を続ける前向きな目標ができた。それはとても重要なことだ。
これまでは、正体がバレるリスクを減らすために旅を続けてきたようなものだ。
世界を見て回る、なんてお題目も、結局は逃げ回るだけの生活にもっともらしい言い訳を貼り付けていただけだった。
この夢は、一生叶わないかもしれない。
ありもしない幻を追いかけて、人を殺して旅をするだけかもしれない。
それでも。
それが彼女の夢なら、俺はどこまでも一緒に追いかけたい。
焚き火の勢いが落ちてきた。
だいぶボロくなってきたミリタリーコートの前をかき寄せて、ベルカが笑う。
「明日は、どこへ行こうか」
ベルカとユーリは人を殺して旅をする 完
【完結】ベルカとユーリは人を殺して旅をする 森上サナオ @morikamisanao
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