2 泊まり
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それからはまた以前のような作り置きをするされるの関係が続いたが、花乃と会った日から
「今日、泊まっていい?」
二度目の花乃との夕食、花乃が箸を止め、対照的に忙しく箸を進める私を見て言った。私は花乃の方を向かず、あくまで箸や視線は料理に向けながら意識だけで彼女が私の様子をうかがっている姿を捉えた。
「いいよ」
断るに足る理由はどこにもない。こうはっきりとコミュニケーションを取ったのは二度目とはいえ、花乃が私を煩わせる未来をあまり想像できなかった。ただ一つ問題がある。
「でも寝るとこ一つしかないけど」
「今日お母さんに敷布団持ってきてもらった」
問題はすでに解決されていたようだ。なんと用意の良い妹だろう。しっかりしたところが嬉しい反面、前もって私の否応がわかっていたかのような、いやむしろ有無を言わさないような・・・もしかしたらひどく疲れていたり、機嫌が悪かったりするかもしれないこっちの事をあまり考慮していなさそうなところに少しムッとしたが、まあ可愛い範疇だ。お母さんには「もう許可は出ている」とでも言ったのだろう。もし私が頑なに駄目だと突っぱねていたらどうするつもりだったのか。外ででも寝るつもりだったのか。もしそうなら、きっと私は仕方ないと言って寝床を貸していただろう。あ、ということは全て花乃の手のひらの上か。
「じゃ、お好きに」
「やった」
花乃が畏まった表情を一挙に崩す。私は最後まで目を合わせず、最後の一口を頬張った。こいつなかなかやり手だな。もう少し大人しい性格だと思っていたが、どうやら自分の利益のためには強気に出られるタイプのようだ。したたかさっていうのは多分こういうことを言うのだろうか。花乃は私と違って優秀そうでなによりだ。
花乃は高校からたいそう有名で頭の良い学校に通ってきている。小さい頃から真面目で、わがままも文句も弱音も言っているところを見たことがない。思春期を迎える頃にお互い無干渉だった一つの要因として、花乃の勉学に注力し始めたことがある。何を目指して、何の為にそんなに頑張っていたのかは私には考えが及ばない。あるいは、自由奔放な兄を見てきたからというのが最も自然な説だろう。私は幼少から今日に至るまで、目の前にある楽しさを追求し、それはもう自由奔放に暮らしてきた自覚がある。高校も大学も上を志すことはなく、ただ不幸中の幸いだったのは、道理に背いた事のできる性格ではなかったことだ。父は好きなことをやれというし、母は私が最低限やるべきことをやっていれば口を出すことはなかった。その上に胡座をかいていたといえば、そう考えることもできる。とどのつまり、かなり甘やかされて育ったのが私だ。添え木なしでどれくらい大きく、太く、そして真っ直ぐ育つことができたかは自分からは見えないが、でも間違いなく、健やかに育ったとは言えるだろう。そういえば花乃が両親から勉強を押し付けられているところもみたことがない。つまり花乃も花乃で自由に生きてきて、その矛先がたまたま勉強だったというだけなのだろうか。花乃は私という兄のことをどう思っているんだろう。
今日はうちに泊まるとは聞いたものの、どういう了見かはまだ聞いていなかった。明日も平日だから、なんとなく検討はつく。さしづめ明日も学校があって、その上わざわざ30分で行き来できるここを通過して片道1時間半も掛かる実家に戻るのは、誰もが時間に追われる現代社会ではさぞかし耐え難かろう。効率化と横着なのは表裏一体だが、この場合はどちらに区別したものか。いや、どっちであったって私には些細なことである。
花乃はリビングの何も置かれていないスペースに、寝室に置いておいた敷布団を持ってきて広め始めた。床に埃があるんじゃないかと言うと、どうやら私が帰ってくる前に掃除を済ませたらしい。自分も使ったことのある昔めかしい柄の敷布団。その横にジャージ姿の花乃が立ち、古今折衷のアンバランスな組み合わせが並ぶ。女子大学生の寝間着がジャージとはかなり質素な気がする。きっと家でもこんな風なんだろう。思い返すと、二度しか見ていないが私服も必要以上にお金がかかっていなさそうというか、オシャレではあるけど装飾の少ない格好だったし、身につけるものにはあまり頓着がないようだ。
時計を見ると時刻は21時に近かった。私は特にやることもないので、いつもこの時間には床につく。いや、というよりはむしろ早朝が好きだから早く眠る。一足先に横になろうと花乃におやすみと声をかけ、寝室に入ろうとした時。
「明日、何時に起きる?」
私は花乃の方を振り返る。薄い掛け布団の上に横座りをする花乃が髪を手櫛で流しながら返事を窺っていた。
「うーん……」
いつもなら5時には起きる。コーヒーを淹れて本を読んだり、人や車の少ない時間帯なので軽く散歩をすることもあるが、花乃がいるんじゃ早く起きすぎてもろくに活動できない。家を出るのは7時半ごろだから、遅くても6時くらいが無難だろう。
「6時」
「わかった。おやすみ」
そんな端的な返答だけを添えて私を寝室へ促した。私も再度おやすみと返し、寝室の戸を閉めた。電気の点いていない真っ暗な部屋のベッドへ倒れ込み目を閉じる。リビングの光が戸の隙間から漏れ入るせいで瞼はほんの少し明るかったが、それも程なくして真っ黒になった。花乃も寝るのは早い方か。それとも私に気を使ったのだろうか。そんなことを一つ二つと頭の中でぐるぐるさせているうち、私は眠りに落ちていた。
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