エピローグ

第45話

 ——あれから丸三日経った。

「いやー、酷い目に遭ったわ」

 コウキがワッハッハッと豪快に笑いながらジョン先生の研究室に現れた。今は三限のゼミの途中だった。みんなの視線が集中する。

「もう出てきて大丈夫なの?」

 ワタルが声を掛けるとコウキは頷いた。

「そこは流石の俺、その日の内に回復してんのよ。でも姉ちゃんが休め休めってうるさくてさぁ」

 そうは言うが顔色はあまり良くない気がする。やっぱりあの人数の生霊に当てられてしまうと、そう簡単には回復しないのだ。

 あの後、大学内は結構な騒ぎだったらしい。タクマちゃんが血相変えて事務室に駆け込み、ワタルはグッタリしたコウキを抱えていたのだ。これだけでも大騒ぎなのに、部室棟に入った事務員が一人倒れたとかで、更に火に油を注いだらしい。

「ねぇ、救急車乗ったってホント?」

 エイミーがコウキに聞く。コウキは空いている椅子に座りながら、大袈裟な程に残念そうな顔をする。

「それがさ、俺はあの時、意識が無かった訳。折角人生初の救急車だってのに何にも分かんないまま終わったんだわ」

「他にも救急車で運ばれた人がいたからね。最終的に五台くらい来たんだよ」

 ワタルが言葉を引き取って、当時の事を語る。救急車複数台にパトカーまで来て、サッカー部の奴等が次々にタンカーで運ばれて行った。ワタルとタクマちゃんは警察から色々と話を聞かれたらしいが、俺の事や生霊の事以外を素直に話したら、思いの外あっさり解放されたらしい。俺はもう既に何回か聞いた話だ。だが、初めて聞くコウキは、申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「とにかくワタルと、それにタクマちゃんには一生感謝してもしきれないな」

 コウキが二人に拝むように手を合わせる。タクマちゃんが恥ずかしそうに下を向いた。ワタルが一瞬こちらを見た。その少し不満そうな顔が、

『ユータにも感謝してよ』

 と物語っている。

 学内が騒ぎになっている間、俺は真っ直ぐ商店街に向かい、女の子はリンさんに預けたのだ。俺が飛び込んで来た時も、女の子を預かって欲しいと言った時も、リンさんは嫌な顔一つせず、俺を労ってくれた。俺はそんなリンさんの優しさに触れて、緊張の糸が解けたのか、涙が止まらなくなった。女の子の前で号泣なんて恥ずかしいと分かっていても、中々泣き止む事が出来なかった。その間もリンさんは俺の側にいてくれた。俺が落ち着いてきた頃、叫び疲れたのか、寝入っている女の子を眺めてリンさんは小さく眉を顰めた。そして俺の顔を見てこう言った。

「この子、悪霊になりかけてたね」

 ドキリ、と俺の心臓が跳ねた。

「詳しい事はこの子が起きないと分からないけどね」

 そう言って女の子の額に掛かった髪を払った。それから今日まで、その子はまだ目を覚さない。

「まったく、お前ら歴代一の問題児だらけだな」

 ジョン先生が呆れた声で言った。

「なーに言ってんスか。俺等なんて可愛い方だよなぁ?」

「そうそう! 俺達なんて……」

 俺はそう言いかけて、周りの空気に気が付いた。コウキはしまったと言う顔をして下を向いている。みんな何も言わない。いつもなら俺がコウキに返す場面だった。でも、もう俺の声はみんなに届かない……

「そうそう! 俺達なんて赤ちゃんみたいなもんだよ!」

 沈黙を破ってワタルが声を上げた。みんなワタルの方を向いた。続けてワタルが言う。

「みんな、もうユータの事で悲しむのはやめよう? ユータは自分のせいで誰かが辛い気持ちになるのを凄く気に病むから……もっと気軽にユータの事話そうよ。どうか、俺達の事を考えてくれるなら」

 ワタルが頭を下げた。俺はワタルの後ろで一緒に頭を下げた。今、ワタルが言ったのは、全部俺が言いたかった事だ。それを言わないでも分かってくれる、やっぱりワタルは俺の親友だ。

「……ありがとう」

 俺の言葉にワタルは小さく指でオッケーのハンドサインをした。

「……そうだな。一番辛い筈のワタルがそう言うなら」

 コウキが頭を掻く。

「うん。その方が良いかもしれない」

「私もさんせーい」

 イーサンとエイミーも同意の声を上げた。ナミちゃんもコクンと一つ頷く。タクマちゃんが一瞬だけ俺に目配せして、

「わ、私も賛成、です……」

 と小さな声で言った。

「いやー、お前等、問題児だけど、俺は大好きだぜ」

 ジョン先生が何故か泣きそうになって鼻を啜った。みんなから笑いが漏れる。俺も笑いながら、でも少しだけ寂しさを覚えていた。

 ゼミの時間がコウキの出現でそこそこ押した。次の予定がある奴等はバタバタと研究室を後にする。特に予定の無い俺達はゆっくりと玄関ホールまでやって来た。ワタルが課題を仕上げたいと言っていたから、今日は玄関ホールに寄ってから帰るつもりだ。中途半端な時間だからか、人が疎らだ。俺達は適当な机を陣取り、ワタルが自分の分とその隣の椅子を引いた。俺が座る為だ。鞄を置いてカムフラージュさせているが、俺にも鞄にも影響が無いから問題ない。ワタルは持ち運んでいたパソコンを起動させ、教科書やノートを広げる。その時、隣の机に座る女の子二人組の声が聞こえた。

「ねぇ、聞いた? サッカー部の話」

「聞いたー! ヤバいよね。部室でヤバいクスリのパーティしてたんでしょ?」

 ワタルがノートに何やら書き付けると、こちらにスッとスライドさせる。そこには、

『事実は小説よりも奇なり』

 と書かれている。

「確かに」

 俺は頷いた。幽霊になって良かった事は周りを気にせず声を出せる事だ。

 あの場は生霊のせいでああなっていたが、実際にサッカー部がやらかした話はもっと酷い。アイツらは合コンを開く度に女の子の飲み物に酒やクスリを混ぜていたんだ。そして一夜を共にすると、後はゴミのように捨てる。そう言う事をずっと繰り返していたらしい。

「なんか、サークルの先輩に聞いたんだけど、サッカー部の三年生に二股かけられて捨てられた子がいるんだって」

「えー酷くない?」

 一人が同調すると、もう一人の子が顔を寄せ声を潜めた。

「だよね? この学校の子じゃ無いらしいんだけど、別れ話の時に先輩に顔が腫れるくらい殴られて、その子その顔のまま自殺しちゃったんだって」

「マジ? ヤバ!」

 この話は学内ではそこそこ有名になっている。多分、部室にいたあの女の子の事だ。名前までは伝わって無いけど、それも時間の問題だろう。死んでからも辱められるあの子の事を思うと胸が痛む。俺は女の子達から視線を外した。けれど、その時にはもう女の子達の話は次の話題に移っていた。

 外はすっかり夕暮れ時だ。濃いオレンジ色に光る太陽が、西の空へと真っ直ぐ向かっている。ちょうど人通りの途切れたタイミングを見て、俺とワタルは帰途に着いていた。

「ごめんね。時間掛かっちゃって」

「良いって、気にしてないし」

 どうせ俺はする事が無いから、いつだって暇なんだ。

 ふと見た道の脇にある小さな花壇で、白い花が揺れている。

「あ、この花って」

 俺はそう言ってしゃがむと、さらさらと風に揺れる花を眺めた。

「んー? 何か気になるの?」

「いや、多分夢で見た草原に生えてた花っぽいんだよ。そこにさ、フウがいたんだ」

「フウ……」

 ワタルが呟く。俺は振り向いたが、伏せられたワタルの顔に影が落ちて表情は分からない。

「当然ワタルも覚えてるだろ? フウの事。俺が入院してた頃にさ、引っ越しちゃったのは仕方ないけど、連絡の一つもくれないのは薄情だよなぁ」

 ハハッと自嘲気味に笑うと、また花に視線を戻して触れもしないのに花に手を伸ばす。俺の事など知らないと言うように、花は俺の手を擦り抜けて揺れた。

「俺、探そうと思うんだ、フウの事」

 しっかりした口調で言う。俺の背中を見ているであろうワタルに、俺の決意が聞こえるように。

「せっかく幽霊になって空なんかも飛べちゃったりするしさ、昔の事も思い出したいし……」

「駄目だよ」

 俺の声を遮るようにワタルの声が被さってくる。

「おい、またそんな事言って……」

 俺は立ち上がって後ろを振り返った。ワタルが俺を見ている。それも殊更に真剣な顔で。

「ワタル?」

「駄目だよ。ユータにフウは会わせられない」

「なんで……って言うかお前もしかして、フウの居場所知ってんのか?」

 ワタルは答えない。それはイエスと言う事だ。

「どうして今まで言ってくれなかったんだよ?」

 俺はワタルに詰め寄った。グッと顔を近づけると、ワタルの目が夕焼けを反射して、深い黒が赤みがかって見える。

「駄目だよ。今のユータには絶対会わせられない」

「あぁ? 今の俺って……幽霊だからか? なんでだよ? 俺だって今の状態じゃ会話どころか認識すらしてもらえないのくらい分かってるよ。でも少しくらい……」

「とにかく駄目なものは駄目なんだよっ!」

 ワタルが吐き捨てるように言って、気まずそうに顔を背けた。ワタルがこんな反応するなんて……俺の頭には幼い頃の記憶が点滅する。あの頃、俺はフウと二人きりでいたかったのに、絶対にワタルも一緒だった。今思えばアレは俺達の邪魔をしていたんじゃないか。それはつまり、そう言う事だったのか? ワタルもフウが好きだったのか! そう考えれば全ての辻褄が合う。

「分かった。今日のところはこのくらいにしといてやる」

 ワタルが顔を上げる。泣き出しそうな顔に俺は訳知り顔で頷いた。

「でも今回は俺だって負けねえからな? 覚悟しろよ!」

 俺はワタルに指を突き付けて宣言すると、暮れかけの真っ赤な空へ飛び上がった。

 ワタルにはああ言われたけれど、俺はフウを探そうと思う。五道からはなんの連絡も無い。俺を殺した奴の事を探すとワタルは言っていたが、糸口の一つも見つかっていない。そして、何処にいるかも分からない八年前に転校したフウを探そうとしている。問題は増えるばかりで何一つ解決してないけど、人生なんてそんなもんだろ? なんて人生が終わってる奴が言う言葉じゃないな、とひとりごちる。夕焼けに目を向けると赤い太陽は今にも沈みそうだ。無い無い尽くしの俺だけど、今はただ只管前を向くしかないんだ。

「ユーター!」

 ワタルが呼ぶ声が聞こえた。

「人目があんだからデカい声出すなってのー!」

 俺は苦笑して叫び返すと、ゆっくり地上へと降りていく。生き返ったら、必ずフウに会いに行こう。その時は花束を持って今までの気持ちを伝えるんだ。また生き返る目的が出来た。俺は地上に降り立つと、力強く一歩を踏み出した。

 

(了)

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ユー×イケ〜ユーレイくんとイケメンくん 晴川祈凜 @harekawa_inori

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