第十話 いつもいる
これまで採り上げてきた一連の怪談のラストを飾るエピソードとして、当事者であるXさんから直接話を聞けなかったのは、残念でならない。
何度も取材を申し込んだのだが、すべて断られた。それでも粘り強く交渉を続けていたが、そうこうしているうちに、今度はXさんの行方が分からなくなってしまった。
こうなると、もはや当人から直接事情を聞くことは叶わない。したがって、今回の話がすべて、Xさんの周辺人物からの伝聞に限られてしまうことを、ご容赦願いたい。
まず初めに、Xさんという人物について、簡単に説明しておこうと思う。
Xさんは、「勇者」である。
種族は人間で、性別は男性。歳は二十代半ば。
武器は剣や槍など定番の他、短剣や弓など、あらゆる種類を使いこなす。また格闘術にも長け、素手での戦いでも引けを取らない。さらには、ひととおりの魔法も修得しているという。
まさに一人で何役でもこなせる、オールラウンダーというわけだ。だからこそ、「勇者」の称号を得られたのだろう。
もっともXさんが、その実力を鼻にかけたことは、一度もない。
彼は常に謙虚で礼儀正しく、人当たりもいい。だから男女問わず好かれる。たとえ大勢の中にいても、いつの間にかXさんを中心に、人の輪が出来上がっているほどだという。
そんなわけで、間違いなく好青年なのだが――。
……ところがそのXさんには、一方で、ある奇妙な噂が付きまとっていた。
以下は、Xさんを知る何人かのかたから聞いた話である。
女剣士のIさんは、何度かXさんと二人でパーティーを組んだことがある。
まだXさんが勇者の称号を持たず、無名だった頃の話だ。
もっとも無名とは言え、その実力は確かなものだったという。ダンジョンにはびこるどんなモンスターも罠も、Xさんの前では無力で、まさに彼の無双とも言える状態だったそうだ。
そんな具合だから、Iさんも初めは積極的にXさんと組んだ。このままずっと彼とペアでいたい、とさえ思った。
……ある気味の悪い事実に気づくまでは。
それは、IさんがXさんと二人でダンジョンを歩いていると、必ず起きた。
何かが、ついてくるのだ。
二人の後ろから、カツ、カツ……と、まるで硬い靴で床を踏むかのように、足音がつきまとう。
初めはモンスターに狙われているのかと警戒した。しかし、振り返っても何もいない。Xさんに尋ねても、そんな足音は聞こえないという。
だとしたら、ただの幻聴か。
Iさんはそう考えたものの、やがて思い直した。
問題の足音が聞こえるのが、Xさんと組んでいる時だけだ、と気づいたからだ。
他の仲間とダンジョンにいる間は、妙な音は何一つ聞こえない。ところがXさんと組むと、カツ、カツ……と、それが後ろからついてくる。
ちなみに潜っているダンジョンは、いつも同じである。だから、原因はダンジョンそのものではなく、やはりXさんにあるとしか思えない。
こんなことが何度も続いたため、結局Iさんは、自然とXさんから離れたという。
「でも彼が勇者になったって聞いて、ちょっと後悔してるのよね。足音ぐらい我慢すればよかったかな……って」
Iさんは苦笑しながらそう語ったが――もし彼女がXさんとの関係を続けていたら、果たして足音だけで済んだだろうか。
ここから先をお読みになった上で、各自ご判断いただきたい。
続いては、某国の姫君であるMさんから聞いた話だ。
Mさんが十四歳だった昨年、父である国王が、不意に縁談を持ちかけてきた。
相手は「勇者」の称号を持つ凄腕の騎士だという。もちろんXさんのことだ。
すでに先方にもその旨を伝えており、まだ返事は貰っていないものの、近々晩餐に招待するつもりでいるらしい。要は、お見合いというわけだ。もっともMさんにしてみれば、あまりに突然のことで、決して気乗りのする話ではなかった。
ところが晩餐の当日、いざ実際にXさんに会ってみると、Mさんの心は大きく揺れ動いた。それほどまでに、彼が人として魅力的だったからだ。
見目麗しく、礼儀正しく、知識も深い。ただ一緒に居るだけで、時が経つのを忘れるほどだ。
そんなわけでMさんは、すっかりXさんを気に入ったのだが――。
一つだけ、気になることがあった。
……彼の背後にずっと、奇妙な女がいるのだ。
黒い服をまとった長髪の若い女で、唇の端に小さなほくろがある。それが表情もなく、常にXさんの後ろに控えている。
初めは侍女なのだと思った。しかし食事の場で彼の世話をする様子はないし、廊下を歩いて扉に行き当たっても、Xさんが開けるのを黙って見ているだけである。
本当に、ただ後をついているだけ……なのだ。
奇妙に思いながらも、MさんはもっとXさんと親交を深めようと、彼を城の庭園に誘ってみた。
Xさんは笑顔で頷き、Mさんと並んで歩き出す。
その後ろから、やはり女がついてくる。
MさんはXさんと二人きりになりたくて、そっと後ろを見やり、彼に囁いた。
「X様、よろしければ、人払いを――」
「姫、ここには私達二人しかいませんよ」
Xさんが怪訝そうに答えた。
それから後ろを振り返り、軽く首を傾げ、Mさんに微笑んだ。
……見えていない、のだろうか。
「そちらのかたは、侍女ではないのですか?」
「私は一介の冒険者です。召し使いなど連れていません」
彼に笑顔でそう言われては、頷くしかない。
Mさんはおかしな気持ちで、もう一度後ろを振り向いた。
女と――目が合った。
じっと、女はこちらを見つめていた。
瞳孔の開き切った、真っ黒な目だった。
Mさんはゾクリとして、すぐさま正面に向き直った。
それから二人で庭園を散策したが、常に背後に、ザッ、ザッ……と草を踏みしめる音が、ついて回っていた。
Mさんは庭園から戻ると、父である国王にそっと事情を告げ、Xさんに引き上げてもらった。当然結婚の話も無しにしてもらった、ということだ。
また、盗賊の
Kさんは――あくまでご本人の談だが――Xさんといいところまで行っていたという。
ある時、いつもは別々に取っている宿の部屋を、ついに一つだけにした。
Xさんがベッドに横たわり、明かりを消す。Kさんは寝間着をはだけ、彼の隣に滑り込もうとした。
そうしたら――不意に指先に、冷たいものが触れた。
人の肌のような感触だった。
ただし、男性冒険者特有の、鍛えられた硬さはない。
もっと柔らかい……これは女の肌だ。
Kさんは慌てて、闇視のスキルを発動させてみた。暗がりでも周りが見えるという、盗賊の固有スキルだ。
ベッドを見下ろすと、Xさんが横たわっているのが分かった。
……隣には、誰もいない。
気のせいだったのか。そう思ってKさんが、改めて彼の隣に身を滑り込ませようとした途端――。
ぬぅっ、と目の前に顔が現れた。
見知らぬ若い女の顔だ。表情がなく、唇の端に小さなほくろがある。
それがKさんの真正面に、突然浮かび上がった。
Kさんは悲鳴を上げ、部屋を飛び出した。
「K、いったいどうしたんだ?」
そう言いながら、Xさんが追ってきた。
見れば、その背中にぴったりと、あの女がしがみついている。
Kさんはもう一度叫び、Xさんを部屋に押し込めた。それから宿に掛け合って別の部屋で眠り、夜が明けるのを待って、一人で先に引き上げた。
以降、彼とは一度も会っていないという。
ギルドの受付嬢をしているEさん――以前「カヨコさん」の話を教えてくれたかた――も、Xさんの背後にいる女を、いつも目にしていた。
Xさんがクエストを受注しにギルドを訪れる時は、必ず彼の後ろに、それが立っていたそうだ。
初めはXさんの仲間かと思ったが、服装などを見る限り、冒険者とは思えない。念のためXさんにパーティーの人数を確かめても、「一人です」とだけ返される。
だからある時、気になって聞いてみたという。
「Xさんがいつもお連れになっているそちらのかたは、どなたなのでしょう」
するとXさんは、苦笑しながら答えた。
「それ、よく言われます。私がいつも女を連れている、と――。妙ですね。私は基本的に、いつも一人なのですが」
Xさんが後ろを振り返り、しかし女の姿など見えないというように、こちらに向き直った。
だから――Eさんは、教えてあげたのだという。
具体的に、どんな姿の女が、彼の背後にいるのかを。
若く、髪が長く、無表情で、肌は青ざめ、黒い服を着て――。
「ああそれと……唇の端にほくろがあります」
Eさんがそう告げると同時に、Xさんの様子が変わった。
突然目が泳ぎ、額に汗が浮き上がる。まるで日頃の好青年とは別人のようになり、Xさんは何か適当な言い訳を口にして、急いでギルドの建物から飛び出していった。
……Xさんがギルドを訪ねたのは、この日が最後になったそうだ。
Xさんについては、魔王のGさんからも話を聞くことができた。
実は、Gさんは一度だけ、Xさんと戦ったことがあるという。
その時のXさんの実力は確かなもので、Gさんが形態を変化させても、まったく引けを取らないほどだった。
ちなみにこの時、Xさんは誰ともパーティーを組んでいない……ように思えた。
なぜ「ように思えた」などと曖昧な物言いをするのかと言えば、やはりXさんの後ろに、あの女がいたからだ。
黒い服を着た長髪の女で、それがXさんの戦いを見物するように、じっと佇んでいる。
参戦するわけでもなければ、逃げ惑うわけでもない。そもそも、明らかにこちらの攻撃が当たっているのに、女は平然としている。
……Gさんはふと、自分が以前遭った、妙な連中のことを思い出した。
今の魔王城に引っ越す前のことだ。Xさんの背後にいる女は、まさにアレと同じものではないのか。
「おい待て、勇者。貴様の後ろにいるその女は、何だ」
Gさんが攻撃の手を止めて尋ねると同時に、Xさんの表情が、サッと青ざめた。
国中、いや世界中を魅了する勇者から、不意に負のオーラが漂ってくるのを、Gさんは感じ取った。
魔王なればこそ、Gさんはそういったオーラに敏感である。だからこの瞬間、Xさんの心に潜む闇が、はっきりと見えたという。
強く、麗しく、礼儀正しく、人当たりもよく。しかし、その奥底に隠されている本性は、まったく違っていた。
傲慢。己惚れ。怠惰。淫欲。そして――。
「……勇者よ」
Gさんは口元を歪め、Xさんに、こう問うた。
「その女は――貴様が殺したのか」
途端にXさんの口から、悲鳴が迸った。
彼はすぐさまGさんに背を向け、玉座の広間から逃げていった。
Xさんがいなくなると同時に、女もまた消えていた。
Gさんは形態の変化を解くと、首を横に振り、静かに息をついた。
Xさんが消息を絶ったのは、この魔王城での戦いの後だ。
ただし行方不明になる直前、彼と会ったという人物が、もう一人いた。
他ならぬ、女神のLさんである。
さっそくLさんに話を聞いてみたところ、Lさんは笑顔で、こう語った。
「はい。確かにX様は、私の神殿にいらっしゃいましたよ。お二人で仲よく――。え? はい、お二人です。X様と、そのお連れの……あらあら、あのかたのお名前をうっかり忘れてしまいました。女性のかたなのですけど、なんというお名前だったかしら……。
X様のご要件ですか? ええと、私に確かめたかったようですね。この世界に転移してきた時、自分は一人だったか、って――。
あら、ご存じなかったですか? X様は異世界転移で、この私がこちらに連れてきたんです。もちろん、勇者になっていただくために。
……いえ、亡くなってはいませんでした。ただ、『今すぐにでも遠くへ逃げたい』という想いがとても強かったので、これは転移させるのに打ってつけだと思いまして。それで――はい、一緒にいた女性のかたも揃って、こちらに転移させて差し上げました。
……でもX様ったら、私がそう教えた途端に絶叫して、神殿を飛び出していって……。あれからどうなったのでしょうね。私の感知にも引っかからないですし。まさかお亡くなりになったなんてことは……あら嫌だ、私ってば縁起でもない。
え? X様が人格的に問題を抱えていなかったか、ですか? ……さあ、どうでしょう。私、そういうのはあまり気にしないので。何にしても――。
また連れてこないと、ですね。新しい勇者候補のかたを」
異世界であった怖い話 東亮太 @ryota_azuma
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