本間主任は常識がない

大隅 スミヲ

最強の矛vs最強の盾(矛盾)

 それは、製品開発部から回ってきた仕事だった。

 普段、開発2部では製品の強度や性能テストを行うのがメイン業務となっているのだが、たまに製品開発部からの無茶ぶりがあったりもする。

 今回の新製品の耐久テストもかなりの無茶ぶりであった。


 本間ほんま次郎じろうは、開発2部に所属する中堅社員だった。一応、主任という役職がついているが、これといって一般職との仕事に差は無い。ただ、唯一本間にだけ任されている仕事があった。それが製品開発部から持ち込まれる耐久テストである。


「本間くん、これのテストをお願いしたいんだけれど」


 鼻腔をくすぐるような甘い香水の匂いをまき散らしながら、製品開発部の佐藤女史がやってきたのは昼下がりのことだった。

 昼に近所の定食屋で大盛りカツカレーを食べて眠くなっていた本間は、とろんとした目で佐藤女史のことを迎えた。


「なんでしょうか、佐藤さん」

「製品開発部で、新しいファンヒーターの開発を進めているんだけれど、ちょっとテストしてもらいたいのよ」


 そういいながら、佐藤女史は空いている椅子を見つけてきて、本間の前に座る。

 短いスカートから伸びる足は普段からジム通いしていると言っているだけあって、引き締まった健康的なものだった。


「ファンヒーターですか……」

「そう。でも、ただのファンヒーターじゃないわ。最強のファンヒーターよ。キャッチコピーは『どんな寒さにも負けないで使える暖かさ』。どんなに寒くても、製品が作動して使える事を証明してちょうだい」

「どんな寒さにも負けないですか」

「そうよ。だから本間くんには、どんな寒さにも負けないような製品テストを実施してほしいのよ」

「なるほど。わかりました」

「ありがとう。さすが本間くん、引き受けてくれると思っていたわ」


 佐藤女史は今にも抱きつきそうな勢いで、本間の手を握るとブンブンと上下に振った。


「これ仕様書ね。あとで現物を持ってこさせるから」


 そういって佐藤女史は開発2部の部屋を出ていった。


「大丈夫ですか、主任。またトンデモないもののテストとかなんじゃないですか」


 遠目に本間と佐藤女史のやり取りを見守っていた足立あだちくんがやってきて言う。

 以前、足立くんは佐藤女史からの依頼で高性能電気炊飯ジャーの性能テストをやらされて痛い目にあったことがあるので、自分と同じ目に本間があってしまうのではないかと心配をしてくれたのだ。


「大丈夫、無問題モーマンタイ。おれに任せておけって」


 本間は笑顔でそう答えた。

 その顔を見た足立は、この人の前世はマッドサイエンティストか何かだったんじゃないかと思った。


 しばらくして、製品開発部から台車に乗せられたファンヒーターが届けられた。

 見た目はどこにでもあるようなファンヒーターである。

 本間はこのファンヒーターを開発2部の奥にある実験室と呼ばれる防音壁で囲まれた部屋へと持ち込んで、製品テストをはじめることにした。


 どんなに寒くても、製品が作動して使える事を証明する。

 本間はとりあえず実験室にある業務用のエアコンの温度を設定できる最低温度である16℃まで下げてみた。

 業務用のエアコンは、ものすごいパワーで部屋を一気に冷やしていく。

 しかし、16℃が限界なのだ。

 確かに部屋の中は寒いぐらいにはなったが、こんな寒さでは最強のファンヒーターの性能を引き出すことはできない。

 色々と検討した結果、本間は奥の手を出すことにした。



☆ ☆ ☆ ☆



 全社員が帰宅した深夜。本間の姿はまだ会社にあった。

 誰もいない会社でしか出来ない製品テストがある。

 本間は開発2部の金庫を開けると、その中からリモコンをひとつ取り出した。

 この金庫は主任以上の役職でしか開けることは許されていないものである。

 北極くん。そう名付けられた装置のリモコン。

 ついにこのリモコンのボタンを押す日が来たか。

 本間はニヤリと笑うと、リモコンの中央にある開始ボタンを押した。

 北極くん。それは実験室用に本間が魔改造した超エアコンであった。何かの製品テストで使う時があるかもしれない。そう考えて作られたものだが、ずっと使われずに来たものだった。

 超エアコンの最低温度。それは、1926年に北極・シベリアで観測されたという最低気温のマイナス71℃まで温度を下げることが可能なエアコンだった。

 開始ボタンを押すとモーターの回る轟音が聞こえる。これだけのモーターを稼働させるにはかなりの電力が必要である。そのため、会社の電気がすべて消えており、モーターを動かすことに電力を集中させられる深夜を選んで稼働させたのだ。


「さあ、勝負だ。私の超エアコンが勝つか。それとも新商品のファンヒーターが勝つか」


 本間は楽しそうに言うと、北極探検隊が着るようなモコモコのジャケットとゴーグル、そして酸素吸入装置を装着した。


 開始5分で、決着はついてしまった。

 ファンヒーターが突然停止したのだ。

 本間は慌てて超エアコンのスイッチを切り、ファンヒーターがどうして停止してしまったのかを調べはじめた。

 その結果、ファンヒーターの中に入っている一部の回路が凍結してしまい、電気を流せなくなったということが判明した。


「ふふふ、まだ超エアコンに勝てるものはいないか」


 本間は満足そうにいうと、佐藤女史に提出するための耐久テストレポートをパソコンで打ち始めた。



☆ ☆ ☆ ☆



 それから一週間後、本間は開発2部の上司である田中部長に呼び出された。

 もしかしたら、この前の耐久テストの結果が佐藤女史から田中部長に報告されたのかもしれない。


「よくやったぞ、本間。お前の耐久テストのお陰で嘘偽りを謳った製品を世の中に出さずに済んだ。お前のおかげだよ」


 きっと、田中部長はそう褒めてくれるに違いない。

 本間はそんな妄想をしながら、部長室のドアをノックした。


 ドアを開けた本間を待っていたのは、予想とは違う顔をした田中部長だった。

 禿げあがった頭頂部まで真っ赤になり、まるで茹ダコのようになった田中部長は本間が部屋に入るなり、本間のことを怒鳴りつけてきた。


「ばかもんっ! お前は何てことをしてくれたんだ」

「え、どういうことですか」

「どうもこうもあるか。誰があんな耐久テストをしろと言った。常識がないのか」

「いや、佐藤女史から言われた通りの耐久テストを――――」

「ふざけているのかっ!!!!」


 本間の言い訳に聞く耳を持たないといった感じで、田中部長は大声をあげた。

 しかし、本間も納得がいかなかった。

 キャッチコピーは『どんな寒さにも負けないで使える暖かさ』だ。どんな寒さにも負けないと謳っているのに、観測史上最低気温に負けるようじゃ話にならないじゃないか。


「本間さ、お前は馬鹿なの? ねえ、馬鹿なの? ああ、そうだ、お前は常識外れの馬鹿だったよな」


 田中部長は嘆くように言った。

 部長の嘆きはいつものことだ。本間はそう思って聞き流した。

 しかし、そのあとで田中部長が続けた言葉に、本間は絶句することとなった。


「あのさ、社長じきじきに言われちゃったよ。本間、お前クビだってさ」

「え……」


 突然、足元にあった床が溶けて無くなり、奈落の底へと落とされて行く気分だった。

 クビ?

 俺が?

 どうして?


 突然やってきたクビ宣告に本間は言葉を失った。



☆ ☆ ☆ ☆



 絶望のどん底に突き落とされた本間は自宅のアパートで、ぼうっとしながらテレビの画面を見つめていた。

 クビ宣告をされ、その辞令が出るまでは自宅待機となったのである。 

 あの日、本間が使用した電気料金は、会社が支払う一年分よりも高いものだったらしい。

 超エアコンのリモコンは封印され、いまは社長室の金庫の中に眠っているそうだ。


「カップラーメンでも食うかな」


 鼻をほじりながら独り言をつぶやき、本間が台所へ向かおうとした時、テレビ放送で臨時ニュースが入った。


『アメリカ宇宙航空局NASAの発表によりますと、太陽が一次的に活動停止状態に入ることが判明しました。もし、太陽が活動停止状態になれば、地球は氷河期以上の寒さが……』


 スマートフォンが鳴っていた。

 そのことに気づいた本間は慌てて電話に出る。


「おい、本間くん。すぐに出社したまえ。緊急会議だ」

「どういうことですか。おれはクビなんでしょ」

「いや、キミを救える手がある……というか、キミでなければ出来ない仕事があるんだ」

「なんですか、それ」

「詳しくは出社したら話す。とりあえず、出てこい」


 電話を掛けて来たのは、田中部長だった。

 よくわからなかったが、クビを回避できるのであればと思い、本間は着替えを済ませて、会社へと向かった。



☆ ☆ ☆ ☆



 田中部長と一緒に向かったのは、重役会議室だった。

 入るのは初めてのことである。

 扉を開けると、社内報などでしか見たことのないような会社の幹部たちが勢ぞろいしていた。

 その中には、あの佐藤女史もいる。


「先日の耐久テストについて、本間主任よりご報告があります」

「この前のテストっていうやつは、非常識なものだったんじゃないのかね」


 田中部長の言葉に、銀縁メガネの専務が本間のことを糾弾するかのように言う。


「確かに、先日私が行った耐久テストは、現実には考えられないものだったかもしれません。しかし、それがいま現実に起きようとしているんです」

「何を言っているんだ、キミは」

「こちらをご覧ください」


 本間はそう言うと、会議室のスクリーンにニュース番組の映像を流した。

 そのニュースは、例の太陽が一時的に活動停止期間に入るというものだった。


「太陽が活動停止期間に入れば、この日本であってもマイナス71℃まで気温が下がってしまう恐れが十分にありえます。ですので、わが社はそのマイナス71℃に負けない最強のファンヒーターを製造しなければならないのです。これは人類の存亡をかけた戦いといっていいでしょう」


 本間は会社の重役たちを前に熱弁を奮った。



☆ ☆ ☆ ☆



 太陽の活動停止は、現実には起きなかった。

 取り越し苦労というやつだったのだ。


 しかし、佐藤女史率いる製品開発部と本間が手を組んで製造した最強ファンヒーターは『どんな寒さにも負けないで使える暖かさ』というキャッチコピーと共に爆発的大ヒットする商品となった。


 そして、きょうもまた開発2部に佐藤女史がやってくる。


「本間くん、これのテストをお願いしたいんだけれど」



おしまい

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