第3話「光と闇」2




 どういうつもりかは知らないが――わたしを背負い、どこかに移動しているのは、昔馴染みのフィン・エイフのようだ。


 それが分かっただけでも多少の落ち着きを取り戻せたが、未だ状況が掴めないという不安は残る。


 ここはどこで、わたしの身にいったい何があったのか――


 周囲は暗いが、次第に目が慣れてきたのが分かる。何も分からないが、見えてはいるのだ。右目はちゃんと機能している。視力を失ったわけではないようで、少し安堵する。身体に異常はない。薬のせいで一時的に機能不全になっているだけだ。じきに回復する。


 わたしを背負っているエイフに反応はない。わたしが目覚めたことには気づいているはずなのに、声をかけることもなければ足を止めることもなく、顔は上げたまま、どこかに向かって移動し続けている。


 ……たしかこいつは、さっきまで――わたしの最後の記憶では、ウチの店でアホ面を晒していたはずだ。魅了状態あれから回復したのか……。


 それともまだ、異常は続いているのか。


 夜にしては暗すぎる、この暗闇。外にしては湿った、どこか圧迫感のある空気――もしかするとこいつは今、ダンジョンの中を進んでいるのだろうか。


 思い出されるのは、ミーネルから聞いた、ことの経緯。


 イッヌのような魔物を追って、ダンジョンに立ち入ったというエイフ――その辺を詳しく聞いていないが、ダンジョンと一口に言っても、都市近郊にある遺跡と、地下に広がる旧都時代の地下道、そしてそのさらに下にある未開拓領域という三種に大別される。それぞれの入り口はいくつも見つかっており、いずれも地下のどこかで合流しているため、特に区別されてはいないが――


 ここがもし地下道の方であれば、わたしの住む森からもそう遠くない場所にも入り口があったはずだ。ミーネルたちの担当巡回区域もその辺りで、その利便性のために彼女たちはウチを贔屓にしているのである。


 エイフのバカが、わたしをそんなところに連れて行く理由があるとしたら、それはなんだろうか。


 一つ、脳裏にじわりと広がるのは――わたしが以前、「生のモンスターを見たい」とこぼした記憶。


 ダンジョンになど入りたくはないが、魔物の多くはダンジョンの中でしか生きられない、存在できない生態をしている。ウチに「素材」として持ち込まれるそれらは、元の魔物の原型を留めていないのだ。


 だから、というわけではないが――生きている魔物を飼いならすなど出来れば――あるいは、消滅する前に加工するなどして、その生態や性質を技術転用できれば、と――


 たとえばそれは、『触手形樹ローパー』というモンスター。植物の蔦のようでもあり、生物の筋繊維のようでもあるあの「触手」であれば、わたしの脚の代わりとして機能するのではないか――そんなことを、夢に見るのだ。


『僕が背負って連れていってやろうか』


 ……などとのたまったヤツに、ちょうど製作途中で手元にあった『しびれ薬』をぶち撒けたことがあった。


 まさか、あの時のことを根に持って……?


 しかし、ダンジョンにおけるローパーの目撃情報はほとんどない。それを偶然見つけ、わたしのために――などと、そんな夢を見るほど、わたしも子どもじゃない。


 事実としてエイフが魅了に似た状態異常になっていたのだから、ダンジョン内でヤツの身に何かが起こって、今この瞬間は「それ」に起因する「反応」である――そう考えるべきだ。


 やはり注目すべきは、エイフが追いかけたという犬型の魔物と、その先にいた「何か」だろう。


 ――モンスターというのは実に驚異的な存在だ。いや、それはヒトも含めた生物全般に対しても言えることなのかもしれないが――


 たとえばそれは『ミミック』というモンスターに見ることが出来る。ミミックは正確には生物ではなく、古い魔術師のつくった『トラップ』の類いだが――それは宝箱に擬態し、盗みを働こうとした者に襲い掛かるのだ。


 それにはモデルがいる。ヒトやネズミを捕食するため、鉱物に擬態して身を潜めるモンスターが実在しているのだ。

 鉱物目当てに近づく獲物、特にネズミを捕食する……ただそのためだけに特化した生態を有するモンスター――人類には多様性があるが、モンスターをはじめとした動物は「ただ一点」を突き詰め、わたしたちの常識を上回る機能を時に獲得する。


 ダンジョンには未開拓の領域が存在し、未だ発見されていないモンスター、魔物が存在する可能性は否定できない。『ヌース』と呼ばれるそれも、あるいはそうした特異な生態を有する存在なのかもしれない。


 ……そういうものが現れた影響として、たとえばネズミの大量発生などが起こった――そう考えるのは、些か飛躍しすぎているだろうか。


 なんにせよ、この事態がそうした特異なモンスターによるものという考え自体は理にかなっていると思う。


 対象に「寄生」することで意のままに操るモンスターや、自らは巣にこもり表に出ず、「部下」にエサを集めさせる「女王個体」――そうした特殊な生態を持つモンスターは数多く存在している。


 ソクラテス・ポリスにおいても過去に、冒険者に擬態した――蘇ったその死体――『アンデッド』が何食わぬ顔でダンジョンから街に戻り、家に帰って自らの家族に襲い掛かり、「仲間」を増やしたという事件が起こっているそうだ。


 少なくともエイフはアンデッドではないようだが――ダンジョンを訪れたこのバカに働きかけ、その手で新たな「獲物」を運び込ませる――そういうモンスターがいて、今まさにわたしがその「獲物」になっているという線は――




 わたしが意識を失っているあいだにどれだけの時間が経っていたのか――

 仮にここがダンジョンだとしたら、いったいどこまでの深度に進んだのか――


 足音の響きが変わる。よどんだ空気に変化が生まれる。狭い通路が少しずつ開けていくのを肌身に感じる。


 身体はまだ自由を取り戻していない。我ながら強力な薬をつくったものだし、それを格安で提供してやってる恩を仇で返したこのバカ野郎を絞め殺してやりたいと、精神の方は割と活気づいている。怒りというやつである。それを声に出せないもどかしさ、身体が意識についてこない気持ち悪さに頭がおかしくなりそうだ。


 ……しかし冷静にならねば、ここでこのバカを殺せば、わたしには帰る足がない。その「目的地」につくまでに、どうにかこいつを正気に戻せないか――


 そうやって、わたしがもがいている間にも――


「……?」


 前方に、なんらかの存在の気配。明らかに何かいると分かる、音をはじめとした気配の散乱と密集を感じる。


 ――そして、わたしはそれを目にしたのだ。


 これまでの通路とは明らかに異なる、開けた空間。たしかに地続きの場所のはずなのに、どこまでも異質な空気がそこにはあった。


 ぼんやりとした光が奥の壁際に並んでいた。それはホタル石の放つ青白い微光のように見えたが、器に注がれる液体のように流動し、下の方では水面のように揺蕩っている。輝くそれは泥か蜜のようで、とろりとした粘性を帯びていて――壁にもたれかかる人間を浸していた。


 ……ヒトがいる。人間ヒュムニアの女性。それも、何人も。


 わたしのような飾り気のない普段着をつけている者もいれば、花街の夜の女たちのように体のラインを見せつけるような華美な衣装を身にまとっている者もいる。みんな意識がないのか、それとも――身動きせず、粘性を帯びた液体に浸かっている。


 その微光に照らされ、より手前側の方にもまた人影があった。こちらには男性ばかり。人間もいれば獣人ヒューニマルもいる。みな一様に、何かを大事そうに抱えるような格好で地面に膝をつき、うずくまっている。

 抱えられたそれは石のようでもあり、植物か土の塊のようにも見えた。あるいは、臀部を突き出す格好でうつ伏せに倒れた人間、だろうか。いずれにしろ、生物だとは思えない。

 男たちはみなその突き出された部分に自身の腰を押し付けるような姿勢でうなだれており、生きているのか死んでいるのかも定かではないが、時折痙攣するように腰から全身へと震えが走っている。


 ――異様な光景だった。


 ここがダンジョンだとしても、そうでなくても――多くの人々がそこにいるのに、誰一人として言葉を発さない。


 まるで死体置き場だ。


 とっさにそんなイメージが浮かぶほどに、彼ら彼女らには生気が感じられず――その一方で、馴染みのある熱気が立ち込めていた。


 ……それはまるで、工房で錬精作業をしているときのような――


 どくん、どくん、と。心臓が音を立てている。その音が耳の奥に響く。呼吸がうまく出来ない。


 頭のなかで何かが繋がりつつあった。

 まだうまく整理できない、はっきりとそれがなんだとは言い表せないが――


『さっきのネズミ騒ぎもそうだしねぇ、このところ冒険者の失踪も相次いでるっていうしさぁ。街のなかで何かと起こってるのよねぇ――』


 これは、ミーネルの言葉か。冒険者の失踪なんてと、わたしは適当に聞き流していたが――あの時にふと、思い出した。そういえば『歓楽街の女将』も似たような話をしていた、と――


 歓楽街では最近、女たちが姿をくらましている、と。それを探しに男衆が駆り出されているため、ネズミの巣に構っているような人手がないという話で――


 最近のソクラテス・ポリスではそうした失踪・蒸発が相次いでいる――


 ……この異様な空間に集まった人々はまさに――冒険者の男たちと、花街の女――


 まさか、と思う。何が。分からない。頭が痛い。ずきずきと。呼吸が苦しい。


 何か――何か、いる。


 まるでその異様な風景をわたしの目から遮るように、前方に何かが現れた。


 闇のなかに浮かび上がるような、白濁とした銀色のシルエット――


 それはヒトのようなかたちをしていた。しかし、下半身はまるでモンスター……触手か、蛇の尾か。あるいは植物のようにも見えるが、どうにも生物的な感じがしない。金属のような質感があった。


 その周囲には同様の質感を有した、小型の犬のようなものが集まっている――こちらは知っている。生で動く実物を目にしたことはないが、冒険者などから伝え聞く、まさに今日ミーネルから聞かされた『生魔物ナマもの』のそれだ。


 犬と、亜人――では、こいつが、と――考えが浮かんでは消えていく。頭が痛い。思考がまとまらない。


 そこでわたしは気付いた。

 というより、それが音量を上げたのか。

 金属をすり合わせるような音が、耳の奥で響いている。

 そしてその音は、目の前に現れた亜人のようなものから伝わってくる。


 音波か、それとも魔力による波長なのか。


 心のなかをかき乱されるような形容しがたい感覚に襲われるわたしは、闇のなかでそれに気付く。


 まるでわたしを見定めようとするような、目。

 値踏みするような視線が流れ――ふい、と――亜人が顔を背ける。


 直感した。


 今、この亜人はわたしを――


 亜人が背を向けたのに前後して、その尾が閃いた。


 かと思えば次の瞬間、わたしの身体は中空をものすごい勢いで移動していた。


 掴まれ、投げ飛ばされている――理解が及んだのもつかの間、無重力にわたしは投げ出され、


 そして、重力がこの身を支配した。




                    ―――第3話「引力ひかり重力やみ」 了



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シィラの工房 -錬精術士、ダンジョンからの脱出- 人生 @hitoiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ