第3話「光と闇」1
魔術とは、才能を持つ者がその力の扱いを体系化したものであり――
そして、『教会』が扱う『神秘』……秘蹟や秘術とも呼ばれるそれは、これらの中でもっとも『魔法』に近い、謎に満ちた現象と言えるだろう。
魔術が才能とその研鑽によるもので、錬精術が知識と設備によるものなら、教会のそれは「信仰」によるものである。
彼らの信奉する「神」を、心から信じること――そうすれば、「癒し」の力を得ることが出来るのだ。
原理としては魔力を用いた、身体の自己修復能力の拡張、増進といったところだろう。魔術がそうだし、回復薬も物理的にそうやって疲労を忘れさせたり、乱れている精気を元に戻すことで「元気」にするわけだが、さすがに目に見える負傷を目に見える速度で回復することまでは出来ない。
しかし、『神秘』にはそれが可能なのだ。
もちろん、癒しの力を使えば即回復、元気いっぱいになるというわけではない。死者を生き返らせることも不可能だ。負傷の程度にもよるが、それは回復薬同様に「命の前借り」であり、治療されればそれだけ疲労する。
けれども、回復薬以上であり且つ魔術と同程度の治療を、教会の信徒たちは大した訓練もなしに行使できるのである。
ただ、祈るだけだ。
……さすがに一朝一夕、ちょっと回復したいから信徒になりますといったような軽い気持ちでは神秘の力は得られないそうだし、治療専門で、魔術のように多岐にわたる術を扱えるわけではないようだが――それにしたって、神秘は常識の範疇を逸脱している。まさに「
聞くところによれば、教会の上級信徒ともなれば疲労を文字通り「飛ばす」ことが出来るそうで、くたくたに疲れ切った者に神秘を行使すると、その足元に彼の影が……「疲労そのもの」が弾き出され、その彼は元気を取り戻したという。
教会のそれは精神を冒す魔力汚染に対してもっとも効果を発揮し、先の通り大きな負傷も瞬時に治療できることから、冒険者にとって欠かせない存在となっている。
というのも、理由は他にもあって、冒険者の主な収入源(希望)であるダンジョンには、魔術師を連れていけないのである。
ダンジョン内には『ホタル石』……『
だがしかし、魔術の触媒になるということは、魔術に、魔力線の影響を受けるということで、その近くで攻撃呪文など使おうものなら、それに反応して効果を増大、暴発して周囲一帯に甚大な被害をもたらすのである。
ダンジョン内のホタル石はおおかた採掘し尽くされたと思われているが、万が一の可能性もあるため――他にも同様の鉱石があるし、そもそもが魔術を使うのに適さない環境であるため、冒険者のパーティーに魔術師が加わることはほとんどないのだ。
それはつまり、魔術による治療も出来ないというわけで、いつ何があるか分からない危険なダンジョンに回復呪文がないというのは心許ないと考えた冒険者たちは教会の門を叩くのである。神秘は魔術のそれと違って、ホタル石などを刺激しない、安全な治療術なのだ。
ただしここに問題があって、教会の連中はダンジョン探索に否定的なのである。
なので、同行するなら金をとる。パーティーに加わるわけではなく、あくまで「雇われ」。それが何かと無償でやってくれる教会の活動資源の一つであり、今なおウチの回復薬に需要がある要因の一つとなっている。
それから、もう一つ。
ダンジョンとは教会にとって、いわゆる「聖地」であるため、不用意に荒らすべきではないという教えがあるのだ。
聖地……つまり、彼らが信奉する「神」に所以のある場所。
――神の見つかった地。
そう、彼らの神は「世界をつくり生物を生み出した偉大な存在」……そんな途方もない、空想上のものと言ってもいいような概念的な存在――では、ない。
実在し、なんなら教会の地下に今なお安置されている存在なのだ。
それは、巨大なホタル石の結晶――その中で鉱物の
……ホタル石状の結晶体であるため、魔力線を放ち、それが教会の神秘に関係があるという考えは理にかなっている。
かといって、その魔力線を通して「神の声を聞いた」という教会の人々の意見は理解しかねるところだ。
結晶のなかで生物が生存できるはずがなく、仮に生きたまま結晶化したとしても――それはもう何百年、何千年も前の
その正体がなんにせよ、その生死自体はさしたる問題ではない。事実としてその巨大結晶に接触したものは教会の神秘を扱えるようになるし、その効果は人々の知るところなのだから。
そして教会の信徒たちにとってもその生死は重要ではないようだ。彼らにとって『真人』は過去に確実に実在した、世界を今に至るまで存続させた偉大なる先人という認識で、今の人々よりもはるかに生物として純粋であり調和のとれた完璧な存在として信仰の対象となっている。
そのため彼らの信仰、「教え」というのは、過去や先祖を重んじること、世界を次代に繋ぐべく努めること、遺跡であるダンジョンを守ること――全体的に保守的な思想となっている。
当然、開拓精神という名の
わたしとしては教会の教えに特に共感したりはしないが、ダンジョンになど近づきたくもないという点においては同意見である。
いちおう店を構える商売人の端くれとしても、ダンジョンほど価格崩壊の起こる場所はないと思う。
ダンジョンは最悪だ。時に一杯の水が、ヒト一人の命にもまさる価値を持つ。
傷ついた仲間を背負って移動することよりも、自分が生きて帰るための物資を……金に換えることの出来る物品を持ち帰ることが優先されるのだ。
一方でまた、窮地において金貨は価値を失い、銅貨数枚で手に入るはずのパンに大枚をはたいたり、命を賭けることもある。金目のものを求めて立ち入ったダンジョンだったはずなのに、だ。
命からがら生き延びて、教会の門を叩き負傷を癒す――その時の安心感は如何ほどのものだろう。獣人に比べ非力な人間の信徒が増えるのも、自然な流れなのだろう。
教会の『神秘』には、その癒しの力には大きな安心感がある。
それはまるで母の腕に抱かれるような、父の背に揺られるような――
わたしにはどこか、居心地の悪い安心感だった。
――気が付いた時、
「……?」
わたしは、暗闇のなかを彷徨うように進んでいた。
まるで夢のなかにいるように、自分の意思とは関係なく移動している。
……進んでいるのだろうか? 移動しているのか? 前も後ろも、そして右も、暗闇のなかで分からない。ただただ揺られているような感覚が続いている。
腕に力が入らない。足の方はといえば、それが普通なので特に気にはならなかった。
わたしの右足は膝から下がない。左足も感覚がない。だから前に進むにも後ろに戻るにも、動くには腕の力を使う。車イスに座っているのもあって、腰は常に落ち着いていて、だから――
これは、
いや――
右目が私の意思とは無関係に見開かれるのを感じた。暗闇のなかに、輪郭を見出す。
わたしは今、誰かに背負われている。
腕は何者かの胸の前にだらりと垂れ下がっていて、力の入らない脚が中空に揺れている。
鼻の奥に違和感を覚えた。馴染みのある刺激臭――しびれ薬の類いだろうか。
これは……わたしがたまに用意している薬物で、実体のあるモンスターにしか効かないためにあまり需要のない――
どくどくと、心臓の音が木霊する。そのたびに全身に血が通い、意識が筋道だった思考を取り戻す。
わたしは――薬で眠らされて、誰かによってどこかに運ばれているのか?
自覚すると心拍がさらに上がる。しかしそれは良い反応だと、長年の錬精術士としての経験が告げている。代謝が活発になれば薬の効果も薄れていく。頭ではそう分かっているのに、動揺が収まらない。腕に力が入らない。思うように動かない!
脚だけでなく、腕までも、
……落ち着け、冷静になれ。なれるわけがない! 胸の鼓動が痛いくらい強く、そのせいで思考がまとまらない。感情が千々に乱れる。叫びだしたいのに、口を開くことさえ出来ない!
ここはどこだ? 何があった? 何が起きてる? こいつは――
『毎日そうやって食って寝て、ベッドの上でだらだらしてると、今に太って自分で身動きもとれなくなりますよ』
こんな時になぜか、お節介な獣人とのやりとりが思い出された。
あの時わたしは言ったのだ。どうせ太っても、わたしは他の人より身体の体積が少ないから問題ない、などと――あの時の自虐的な皮肉が、今になってじわじわとわたしの心を蝕み始める。
わたしのような片足のない小娘、多少力があれば誰にだって持ち運べるだろう。
獣人はもちろん、ひ弱な人間の少年にだって、簡単に。
―――第3話「
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