Tigers is winning everyday 後編
「いえ、この時期にはよくあることなんですよ。まあ、該当試合なしになってしまったのは久しぶりでしたが」
二ヶ月ぶりに例の雑居ビルを訪ねてみると、男は以前と変わらぬ様子で、事務机でデスクワークをしていた。夏の盛りを迎えようという時期に、やはり黒ずくめの陰気な顔で――心持ち、くたびれ方がひどくなっているようにも見えた。
「それにしても、最近の試合風景を見てたら、なんかこの世界とあんまりにもかけ離れてる印象があるんやけど」
「それは料金コースの設定上、無理もないことかと」
「……金の問題やと?」
男は頷き、いつかも差し出してきたサービスの一覧のシートを机に置いた。
「お客様のコースは、噛み砕いて言えば、『発信元の世界と、この世界との社会的差異にはあまりこだわらないが、毎回勝ち試合を見たい』という条件での配信でございました」
「お、おう」
念を押すような男の言葉に、ちょっとたじろいでしまう。実のところ、そこの文言は、契約の時にも全然深く考えてなかった。
「つまり、いささか想像がつかないような奇異な世界からの発信であれ、ティーゲルズの勝ち試合なら構わない、ということです。グラウンドの外側の風景に違和感をお感じになるのは当然かと」
「いや、でもそういうのが夏になって急に増えてきたっていうのは――」
「それは夏になってきたから言うより、この世界のティーゲルズがそういうことになってきているから、ではないかと」
「どういうことや?」
「……お客様」
微妙に居住まいを正し、はっきりと疲れた笑みを浮かべながら、男は言った。
「平行世界なら、あらゆるすべてのことが等しい確率で起こり得る、などと誤解なさってはおられませんか?」
「む……違うんか?」
「むろん、無限の世界線をつぶさに調べ上げれば、最終的にはあらゆる事象が等確率で起きているのかも知れませんが……それはまさに机上の空論です。我々はこの商売をするに当たり、あくまでこの世界からコンタクトしやすい範囲でのみ、事象空間を検索します。すなわち、すべての出来事は我々の世界を平均値として、いわば最初から偏った確率で生起します。分かりすく言えば、この世界とどこかしら似かよった世界になるということです」
「あ、あんな……ひどい事故やら物騒なクーデターみたいなのやらが起きている世界が、ここと似たような平行宇宙やて?」
「少し違います。私どもが申し上げているのは、あくまでティーゲルズの勝率を事象の中心に置いた上での条件設定でして」
「…………」
「持って回った言い方で失礼しました。話はその逆なんです。ここ最近の放送で発信元にしている世界は、我々の世界と大きく隔たった事象空間に存在する宇宙です。なぜそんなところからの配信を選んだのか? そういうところからの中継でも持ってこないことには、この世界からの検索では『勝ち試合』を見つけることができなかったからです。……基本的にどこの世界でも負けているんですよ、ティーゲルズは」
しばらく俺は心の整理に努めなければならなかった。
そう、分かっていた。理由はあまりにも明白だった。だが、認めたくなかった。そもそも俺は、その事実から目を逸らすために、こんな男と関わることになったのではなかったか。
だが、それももう限界というわけだ。今となっては、目の前の事実を直視しなければならない。
トラは、弱い。
今の大坂城ティーゲルズは、連敗して当たり前、最下位で当然なのだ。運がないとか、采配がどうとかいうレベルではない。苦戦しない方がおかしい、連勝など望むべくもない、そう言う状態だ。
だから、事象としては、負ける確率に大きく傾いているのがデフォルト。その傾向をそのままにして、トラが勝ち続けている世界があるとしたら、それは――
それは恐ろしくいびつな条件が加わっている世界、ということになっても、不思議はない。この世界の我々が耳目を疑うような、極端な条件が。
「つまり、トラが勝ち続けようしたら、どこか間違った世界やないとありえへん、ちゅうことか」
「そういうことです」
「それほどに大坂城は落ちぶれとる、いうことやな」
「そういう言い方もできますね」
しばらく俺は、薄汚れた漆喰の天井を見つめていたが、ふと気づいた。
「このサービス表。いちばん高いコースやったら、『この世界との差異が最低限である発信元』からの試合中継が見られるっちゅう話やけど、つまり金さえ出したらそんな世界も見つけられるんかいな?」
「いえ、ほぼ見つかりません」
即答である。
「ですから、このコースですと、『毎回必ず勝ち試合』でなくて、『善戦程度の負け試合』を容認するとか、五回に一回ぐらいで『該当配信なし』を前提にする、などの条件を呑んでいただかないことには、契約が成立しません」
「じゃあ、何がなんでもこの世界とほとんど地続きの世界で、トラが優勝するのを見たい、とか言うやつがおったら――」
男は唇だけでニヤッと笑い、答えた。
「もっと現実をみてください、と申し上げますね」
オールスター明け、トラはさっそく連敗した。
この世界のトラの戦いぶりは、なんだかんだ言っても五試合に二試合ぐらい勝っているところをチェックし続けてきたので、レギュラーの調子とか、チーム事情なども一応は頭に入っている。他の世界の、優秀争いに加わっているような状態のティーゲルズとは比べるべくもないとは言え、夏になっていくらか、選手たちの体の動きが良くなってきたようにも見える。負けはいずれも接戦での黒星だった。
しかし、さっそく後半戦に入って三連敗とは。
そう、俺は平行世界のトラたちとは縁を切った。契約条件を変えて、もっと気楽な姿勢で異世界のティーゲルズ戦を楽しみ続けてもよかったのだが、なんとなく、自分が何を欲しているのかが分からなくなってしまったのだ。
「そういうお客様はたくさんいらっしゃいます」
事情を説明して解約を申し出ても、男は鷹揚に頷き、ことさらに引き止めるようなことはしなかった。
「一シーズンも持たんで申し訳ないんやけど」
「いえいえ、短い間でも御縁をいただけまして何よりです」
「こんなんであんたら商売になるんかいな」
「少なくとも損はしておりませんよ。この仕事も、表向きだけのビジネスだけではございませんので、どうぞお気遣いなきよう」
なんだか思わせぶりなことを言っていたが、あれは何だったのだろう? 別れ際、男はこうも言った。
「どうぞ、この世界のティーゲルズを、今後ともご贔屓に願います」
洒落を利かせただけの言葉には聞こえなかった。あるいは、また気を変えて契約に戻ってくることを期待しているのか、でなければ、せめて自身の商売が、お客にとって有益なものであったと思いたいがゆえの一言なのか。
いずれにしても、その言葉を聞いて、俺はなぜこの男がこんなに疲れたような表情でいるのかが分かったような気がした。願わくば、この男の行く末にも幸あらんことを、だ。
久しぶりにトラの負け試合を連チャンで見た翌日、俺は何ヶ月ぶりかで駅の売店へ足を向ける気になった。
予想はしていたが、朝刊で売り切れているのはなかった。ほぼすべてのラックに大部数が残っている売場では、少し年かさのおやじが一人、一部ずつ各紙を指先でちょいと引き出し、トップの見出しを見ては引っ込める、を繰り返している。
俺はおやじの横に立って、さりげなく声をかけた。
「勝ってる新聞なんかないですよ」
もとより、全く知らぬ仲ではない。相手は俺を認めると、しょうもないいたずらを見つけられた時みたいににやっと笑った。
「いや〜、分かってるねんけど、探してまうんやて。もう癖やな」
「別の世界にでも飛ばない限り、昨日の負けは動きませんよ」
「分かってんねんて」
「見たいですか?」
「何を?」
「もしも別の世界からの新聞か何かが手に入るとして、そこではティーゲルズが優勝争いしてるとしたら、そんな新聞を見てみたいって思ったりします?」
俺の質問に訝しげな視線を向けていたおやじは、少し真面目に考える顔になり、しばらくしてから答えた。
「思わへんやろなあ」
「それはまたどうして?」
「どうしてって、それはもう映画の中とかゲームの中のトラと
「最下位で連敗続きでも?」
「ああ、まあそれはしゃあないやないか。少々成績が悪いから言うて、息子を切り捨てる親はおらんやろが。素行が悪いとこも含めて、自分の子供やねんから」
いや、DVとかネグレクトとかいっぱいありますけど、などと反論するのはためらわれた。いかにもトラキチが言いそうなセリフだけれども、目の前で聞くと懐の深い言葉だ。これが子持ちの貫禄なんだろうか……って、このおっさん、ほんまにちゃんと子供育ててるんやろな?
「そうは言うても、おっさんかて負け続きはおもしろうないわけでしょ?」
「……これか?」
たけのこのように丸めた形でラックに重ねてあるスポーツ紙の、その見出しの辺りを指先でちょいちょいと引き出してみせる。先ほどもやっていて、何ヶ月か前にもやっていた、おなじみの動作を。
おっさんはそこで妙に真面目くさった顔で、声を潜めた。
「そこまで言うんやったら、教えたるわ。にいちゃん、これはな、ちょっとした魔法やねん」
「はあ……?」
「こういうことしてるとな、ごくごくたまにやけど、ふっと見えることがあんねん」
「何をです?」
「未来の題字や。負けのはずが、勝ちに化けてる新聞が見えることがある」
「……………」
「ほんで、そういうことがあった翌日は、ほんまに勝ちよんねん。未来予知……ちゅうんかな? これまでに何回かあるねんって。……あ、信じてへんやろ」
「あ、いや」
「ちょっと、あんたらそんなとこで突っ立っとらんと、さっさと買っていきや!」
いつの間にか目を三角にした売店のおばちゃんが、ラック越しに俺達をにらみつけていて、有無を言わせない勢いでスポーツ紙を突きつけた。おやじと二人、苦笑いして金を払う。
「にいちゃん、何か食いに行くか?」
話のできる相手と思ったのか、売店を離れながらおやじが声をかけてきた。以前の俺なら即座に断っていただろう。ましてや、トラキチが昂じて幻覚癖まで発症しているおやじである。けれども、なんだか俺はとても愉快な気分になっていた。
虎ファンであるということはこういうことか、と、ようやく今、分かりかけてきたような気がするのだ。
「ええですね。行きましょか」
時刻はまだ十時前だ。食いに行く、とは言っても、多分昼前には二人してべろんべろんになってるんじゃないかと思う。……まあそれもいいだろう。
何しろオールスター明けで早々に三連敗だ。朝から飲んで何が悪い。
英気を養わにゃならんのだ。これは必要な行動だ。俺たちはこれから秋の真ん中まで、あのダメトラと辛抱強く付き合い続けなきゃならんのだから。万年負け続きの、我が愛すべき大坂城ティーゲルズと。
<了>
トラは毎日勝っている 湾多珠巳 @wonder_tamami
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