Tigers is winning everyday  中編


 翌々日、俺の部屋に例の男が今度は作業用ジャンプスーツ姿でやってきた。と言っても、テレビ視聴とスポーツ新聞の閲覧のセットをただ置きに来たようなもので、作業は十分とかからなかった。

 テレビ視聴用の装置は、ケーブルテレビ用のチューナーのような装置に、専用ディスプレイがついているものだ。内容が内容だけに、かなり複雑なスクランブルをほどこしているらしく、専用ディスプレイでないと視聴できない仕組みになっている。かつ、ディスプレイには録画端子などはなく、画面をそのまま他のカメラで録画しようとしてもうまく撮影できないような仕掛けがあるらしい。要は、提供する映像を、契約者側でデータ保存することは不可ということだ。写真一枚すらダメ。その代わり、シーズン中に流した試合は、専用ディスプレイ越しになら何回でも呼び出して再生することができる。

 スポーツ新聞の閲覧も同様で、専用タブレットでのみ見られるようになっている。契約者以外に、こういうコンテンツが存在することを絶対に知られてはならない、と言わんばかりである。そう言えば、契約の際にも、その種の守秘義務みたいな項目が入ってたのを憶えている。とは言え、もし違反したとして、ここの世界の法律は介入しようがないんではなかろうか。まあ、何が起こるかあえて試そうとは思わないが。

 スポーツ新聞はともかく、テレビ視聴のサービスは、慣れるまで少しかかった。その日の配信が始まるまでにタイムラグがあるからだ。

 これは考えてみれば当たり前で、「勝ちが確定した試合」を流すサービスなのだから、仮に何百もの平行世界をサーチしているにしても、提供できる試合映像が特定できるのは、試合が終わってからになる。つまりは、ナイターの場合で早くて午後九時頃。

 現実のティーゲルズが負けてから、口直しに勝ち試合を見直すことができる、と言えば聞こえはいいが、まるまる二試合を毎回見通すのはちょっと疲れる。失業中とは言っても、毎日夜中までディスプレイにかじりついているなど、健全ではない。しばし思案の後、すべての試合をまる一日ずらして見ればいいという結論になった。やはりナイターはナイターの時間帯で見たいし、似たような展開を二重に追うのは、正直しんどい。何と言っても、不細工なエラーを見た数時間後に、同じ場面をファインプレーで切り抜けているのを見たりすると、待ったをかけまくった将棋のゲーム画面を再編集して、さも快勝したかのような記録をでっち上げられているかのような白々しさまで感じてしまうのだ。そちらの世界では、正真正銘、ズルのない形でトラが勝っているのだと分かっていても、なお。


 契約の時に心配したような、現実のティーゲルズが勝ちまくって配信のサービス料がムダになるような事態は起こらなかった。今となってはいびつな満足感に浸りつつ、俺は連日トラの勝利を祝い、通天閣吹雪に酔いしれ、見知らぬ世界の観客たちとかちどきを上げた。

 勝ち試合ばかり見ていると、そのうち自己欺瞞に耐えられなくなるんじゃないか、なんて想像もしないではなかったが、実際にそういう生活に浸かってしまえば、違和感なく過ごせた。一つには、配信で送られてくるティーゲルズの中継が、特定の一世界からばかり送られてくるわけではない、というのもある。いちいち確認はしていないが、ほんとうにさまざまな発信元の寄せ集めになっているのだ。ペナントの順位情報など、毎日のように大きく入れ替わってるし、レギュラーのラインナップにしろ、聞いたこともない選手が入ってるのなんてザラだ。

 現在俺が見ている「ティーゲルズ」は、同一なのは名前だけで、中身はそれぞれ全く別個のものと言っていい。優勝マジックなんて意識するのも無意味だろう。もしかしたら、勝敗すらもどうでもいいのかも知れない。俺はただ、「トラのいいところを毎日見たい」という刹那的希望を叶えてもらっているに過ぎないのだ。プロ野球視聴のあり方としては、この上なく後ろ向きかも知れない。が、それはしかし俺にとっては、最下位を独走している球団を、死んだ魚の眼で追い続けるのとどちらがマシか、という問題だ。

 少なくとも、俺の気分はひところよりずっとましなものになっている。それだけで充分じゃないか。失業中なのは相変わらずだが、心が前向きになったせいもあるのか、短期仕事を何件か拾えるようになり、生活もいくらか余裕が出来てきた。現実の(つまりこの世界の)ティーゲルズが、ますます成績不振の新記録を打ち立てているのと正反対だ。

 俺はもう、駅の新聞スタンドともすっかりご無沙汰になっていた。


 なんだか妙だなと思い始めたのは、七月に差し掛かってオールスターのニュースがかかるようになった辺りからだろうか。

 それまでもおかしな雰囲気の球場風景を見ることはたまにあったのだが(なんだか異様に暑そうな球場とか、やたら外国人っぽい客ばかりの殺伐とした観客席とか)、だんだんそういう、この世界離れしてる風景が毎回のようになってきた。たまに対戦相手が、俺の知っている十二球団のいずれでもない名前のものになっていて、あげくにチーム内の外国人枠が半分ぐらいに増えたりもしていた。プロ野球協約からしてすでに別物になってる印象だ。

 平行世界は無限に存在するとは言っても、これはあんまりなんではないか。受信の感度とか、いろいろ事情があるのかも知れないが、せめて今少し地続きな感じのする世界を選んで放映してほしい――と、メールでも送ってやろうかと思っていたある日。

「さて、プロ野球史上稀に見る、目を覆わんばかりの悲劇から、そろそろ二週間が過ぎようとしていますが――」

 アナウンサーが何気なく漏らした一言に、カウチで横になっていた俺は思わず身を起こした。悲劇? 史上稀に見る? 何の話だ?

「マジック点灯間近だった神宮キグナスだったんですけれども、あの事故で、実に一軍選手の四割を失うという――」

「――うち四名、これはエースの鷹留投手、そして不動の四番バッターだった葺寺外野手が含まれているわけですが、今なお意識が戻っていないとの――」

「このたび不幸に遭われましたキグナスのみなさまには、同じプロ野球の仲間として、勝ち負けを超えたところで、どうかみなさん、有形無形での励ましを――」

 今ひとつ要領を得ない説明に苛ついたんで、タブレットの紙面データを仔細に確認してみる。その時に開いていた新聞のデータは、目の前の映像の発信元と同一の世界のものであるはずだった。話しぶりからすると、スポーツ新聞でもそれなりの紙面を割いて追いかけていそうな規模の災害に見えた。

 だが、その関連記事があったと思しき欄は、空白になっていた。

 あまりにこちらの世界と流れが違いすぎる出来事が記事になっていた場合、個人情報の保護とかそういう観点から、新聞の記事が部分的に空白になることがある、とは契約書にも書かれていたことだ。だから、この事自体は文句も言いようがないのだが、聞いてしまった身としては、ひどく気分が悪い。これはどういうことだったんだろう? 事故、という言い方だったが、一軍選手が大量に大怪我を負うような事故と言えば……練習場や寮での火災か、移動中のバスの事故でもあったのか――

 それにしても、なんでこんなアンフェアな状況の世界からの放送なんかを、とくすぶった気持ちでいると、翌日の配信はもっとろくでもないところからのものだった。どうやら関東一体が大洪水になっているらしい。キグナスもトロールズも、本来なら野球どころじゃないのを、なんとか興行を成立させているという状況だ。

 こういう逆境の中でこそ、スポーツの喜びを……みたいなことを解説者がノベていたが、ティーゲルズの方も、なんだかんだで勝ち星を拾うチャンスである。手心など加えれば却って失礼、とばかり、正々堂々と弱いものイジメに徹していた。

 その次の試合中継では、スタジアムに観客がいなかった。試合は試合として行うものの、政変がらみの事情で外出ができないという遠回しな説明が、テロップその他で流れ続けていた。日本で政変? 戒厳令ってやつか? いや、この国にそんな法律自体、存在しなかったはずだが――

 そして、一日置いたその次の試合中継は、何と、配信が中止になっていた。

 契約書にも書かれていなかった事態だ。さすがにこれは黙ってやり過ごすことができなかったらしい。日割り換算で翌月の料金を割引くことにいたします、と、あのボロビルの会社名で告知が出ていた。

 しかし、これはいったいどういうことか? 多次元世界理論とやらによれば、平行世界の中にはトラが常勝チームになっているところだって無数に存在するはずで、なおかつ「今のこの世界とほとんど異ならない社会環境」という条件を加えてもやはり無数に見つかるはずなのだ。

 何もわざわざ気が滅入るような変事が勃発しているところばかりからの映像を引っ張ってこなくてもいいはずだろう。ましてや、勝ち試合が放映できない、などということは、論理的にありえない。通信機器のトラブルか? もしくは、次元間通信に困難をきたす配信会社間の厄介事でもあったのか? ……あるいは。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る