第48話 皆のヒーロー【本編最終話】

 ヒーローショー当日、夕方の初演まで僕たちは通し稽古を続けていた。

 開場直前、しなと女子体操エースの高村さん、体育教師のよしむね先生と体操女子全日本選抜の秋山コーチ、青天体操教室の稲葉コーチと栄コーチと中学の同級生である石井さんが楽屋を訪ねてきた。


「義統先生、高校のほうはどうなりましたか?」

 今日登校しなかったことを義統先生には事前に知らせてあったが、学校側が受け入れてくれたのかは気になっていた。

「事情を説明したら、今回は仕方がない、とのことだったよ。どんな職場でも不測の事態は発生するものだから。とくに君はショーとはいえ芸事だから、代役の立てようもない仕事であることはすでに説明してあるからね」

 よかった。これで高校を気にせずヒーローショーに打ち込める。


「その代わり、ショーの公演が終わったら補習を受けてもらうよ」

「それで済むのならお安い御用ですよ、義統先生」

 楽屋で車椅子を動かして渡会わたらいさんが義統先生のところへやってきた。

「あなたが巽くんにあのバク転とバク宙を教えた義統さんなんですね。初めまして、アクト・リーダーの渡会です」

「怪我の具合はどうですか? かなりの重傷だとお聞きしましたが」

「いえ、こんな怪我はヒーローショーでは茶飯事ですので。でも義統さんのおかげで、今回のショーを何事もなく進行できそうです。たつみくんはよくやってくれていますよ」


「まあ私たちにはショーの出来栄えはわかりませんからね。実際に演技を見て活躍を拝見しようと思っています」

 栄コーチと稲葉コーチが渡会さんに話しかける。

「怪我の具合はどう? 沈着なあなたらしくないミスを犯すなんて」

「入ったばかりの巽くんにいいところを見せようとしすぎたかもしれませんね。それなのに怪我をしてその巽くんに負担をかけてしまうことになって」

「まあ巽くんも雑魚キャラとかなんだろう? それなら全体としては問題ないんじゃないか? 立ち回りを少し考える必要はありそうだが」

 栄コーチと稲葉コーチは渡会さんとの会話に終始するようだ。


 秋山コーチが高村さんと石井さんとともに話しかけてきた。

「ヒーローショーって、バク転やバク宙ができればステージに上がれるものなのかしら? 私たちも興味があるわね」

「そのふたつは最低条件で、あとは受け身と殺陣を憶えないといけませんね」

 女性陣はヒーローショーを知らない人が多いだろうからな。

「それを短時間でマスターしたのね。やっぱり巽くんって才能あるのよ」

「稲葉コーチが今でもいちばんの逸材だったと青天でこぼしているんだから」

 青天所属の石井さんから稲葉コーチの今を教えてもらうとなにやら申し訳ない気持ちになった。


「うちの事務所、全日本選抜出身や青天出身の人もけっこういるみたいですよ」

「そうなると、全員と顔合わせしたいところね。近況も聞きたいところだし」

 高村さんが顔を覗き込んできた。

「それで、今日はどんな役をやるの? 顔出しの演技なのかしら?」

仮面マスクを着けるから顔出しはしません。まあ視界が限られるので、慣れないと怪我をしやすいんですけど」


「巽は憧れていたヒーローに近づけるんだから、本当、いい仕事に就いたと思うぜ。俺はトランポリンで頑張るからよ、お前もいつかは絶対ヒーローやれよな」


 事務所からのお達しで、僕がレッドウイング役をやることは極秘とされている。まさか入団したばかりのド素人がいきなり主役を演じるとは、業界への影響を考えると口外できないらしい。

 まあ義統先生仕込みのバク転とバク宙を見れば、ここにいる関係者なら石井さん以外はすぐに気づくと思うのだが。


 事前に知られないとしても、僕がレッドウイングをやっているとわかったときの反応は見てみたいところだ。

 だが、アクションをしているときに彼らを見つけて反応を確かめるなんてできやしない。そんな余裕などあるわけがないからだ。それこそ事故を起こしかねない。

 こちらから見られないから、気にすることなく演技をすればよいだろう。


「皆さん、これから打ち合わせと準備がありますので、このへんで……」

 所長が丁寧に応対する。

「わかりました。巽くん、与えられた持ち場を精いっぱいやり抜いてください。スーツアクターだから声を出しての演技じゃない。ある程度失敗しても流れでなんとかなってしまうはずだからね」

「義統先生ありがとうございます。仁科も石井さんも高村さんも。秋山コーチと稲葉コーチ、栄コーチも。ショーを楽しんでいってください。ヒーローはいつでも夢を与えてくれますからね」


 稲葉コーチが話しかけてきた。

「巽くん、君の演技を楽しみにしているよ。渡会の空けた穴で君もたいへんだろうが。初ステージの難度を大人が上げてしまったな。渡会には怪我が治ったらしっかり指導しておくよ。練習で怪我をするなんてアマチュアのすることだからな」

「あまり無理はさせないでくださいね。うちの事務所はヒーローショーのプロですから、怪我の原因や治療方針などは事務所でノウハウを蓄積しているようですし」

「いいよ、巽くん。今回は不注意だった僕に落ち度があるのは確かだからね」


 皆から励ましの言葉を受けて、僕はただ恐縮するしかなかった。

 これでショーが始まって僕の正体がわかったら、会場はどう反応するのだろうか。


 十年間憧れ続けた「レッドウイング」になる時間が近づいてきている。

 ウォームアップを重点的に行ない、逸る気持ちを抑えて平常心を保つ。


 どこまで観客に夢を与えるのか。

 僕の演技で子どもたちを喜ばせることができるのか。す

 べてはこれから始まる本番で決まるのだ。


 程なくしてアクターの皆が集まってくる。車椅子の渡会さんから声がかかった。

「巽くん、焦らなくていい。殺陣はそれなりに攻撃すれば、あとは他のアクターが臨機応変に対処するから。多少順番が違っていてもかまわない。さあ、深呼吸してステージに上がる意識を集中させるんだ」

 渡会さんがするのを真似て深呼吸をした。一回ごとに集中力が高まっていく。


「あとは舞台に上がるときに君の武器である大きなバク転とバク宙を見せつけて、観客を圧倒するんだ。それさえ決まれば殺陣が多少おかしくても補正がかかるからね。最も派手な技で観客の心を掴めば、成功したも同然だ。自信をもって演技に集中するように」


 楽屋内で円陣を組み、渡会さんの音頭で掛け声をあげて感情を高めた。

 いよいよ、アクターたちは所定の配置に向けて歩きながらストレッチなど本番の準備に入っていく。


 全員の準備が整ったら、あとはショーの開始を告げるアナウンスを待つばかりだった。



 ─了─

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ヒーローに憧れて カイ艦長 @sstmix

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