第6話 壁ドンよ、さようなら

 二人きりになり、緊張で顔をこわばらせる私に優樹君は優しい笑顔を見せた。ほんの少し気持ちが和らぐ。


 もう怒ってないよね? だって彼は王子だもん。


 それで私は、「こっちなの」と只野が去ったのとは別の方向に優樹君と並んで歩き始めた。

 二人で歩く帰り道は、いつもと変わらない道なのに、ものすごくドキドキする。優樹君をちらり見ると、彼は私の視線に気づいて柔らかに目を細めた。


「今日はごめん。休みの日だって言うのに付き合わせて」

「とても楽しかったよ」

「なら良かった」


 優樹君が笑った。でも彼は、急に立ち止まって真剣な目を私に向けた。


「佳奈ちゃん、お試しの話は覚えてる?」

「あ……、うん……」


 心臓がどきんと鳴った。返事を延ばし延ばしにしていたけど、やっぱりちゃんと返事をしないといけない。

 私はもう一度、彼に尋ねた。


「あのね、やっぱりどうして私なの?」

「言ったじゃん。気配り上手なところが女の子だなって思って、料理やお菓子作りが得意なところも女の子らしいし──」

「女の子らしい、」


 その時、ようやく私の中でなにかがカチッとはまった。

 ああ、そうか──と、心が納得する。

 私は優樹君をまっすぐ見返した。


「ねえ、優樹君。私のことを女の子らしいって言うけど、女の子らしいから私が好きなの?」

「え?」


 優樹君が戸惑った顔を返してきた。そんな彼に私は言葉を続けた。


「私が周りに気を配っているのは、早生まれのコンプレックスでしっかり者の大人に見られたいから。私が料理が得意なのは、子供の頃からそれが私の仕事だったから。お菓子作りは──、それが得意な只野が教えてくれたから。全部、私が女の子だからじゃない」

「でも、結局は女の子らしいってことじゃない?」

「全然違う。私、眞辺佳奈っていう人間なんだけど? 女の子、女の子ってさ、優樹君は女の子らしいって褒めてはくれるけど、私らしいとは言ってくれないよね?」

「いや、だから、女の子ってそいうもの──」


 優樹君の眉間にしわが寄る。「こいつ、なにを言っているんだ」っていう顔だ。

 だめだ。このままじゃ話が平行線だ。


「ごめん、つまりなにが言いたいかというと、優樹君の中の女の子を押しつけないでってことなの。だから、お試しもちょっと無理かも──」


 刹那、

 優樹君が傍らのブロック塀にドンッと片腕をつき、私の進行方向をはばんだ。そして、戸惑う私を囲うようにしてもう片方の腕をつく。あっという間に私はブロック塀に追い詰められた。


 こ、これは……、リアル壁ドン?!


「俺の気持ち、分からない?」


 優樹君の甘く切ない顔がぐっと迫ってくる。思わず私は壁にべたりと張りついた。


 いやいや、そんな顔で迫ってきても──。ことここに及んでは、もうなにも分かりませんけど?!

 って言うか、こわっ! リアル壁ドン、こわっ!!

 誰だ、壁ドンは萌えるなんて言ったのは?!


「ちょっと、優樹君っ。腕をどけて」

「だめだよ。俺を好きだって言うまで逃がさない」


 気持ちがすうっと引いていくのが分かった。

 最近読んだ小説に似たようなシチュエーションがあったなと、どうでもいいことを思い出す。あの時は、イケメンにこんな風に迫られたらと憧れてたっけ。

 しかし、どんなに甘い声でささやかれても、「逃がさない」なんてただの恐怖でしかない。


「た、助けて──!!」


 その時、優樹君の腕を誰かがぐっと掴んだ。


「眞辺になにやってんだ、おまえ?」


 怒りをはらんだ顔で優樹君をにらみつけ、只野がそこに立っていた。


「只野!」


 とっさに身をかがめて優樹君の腕をすり抜け、私は只野の背中に隠れた。


「もう、死ぬかと思ったわよ!」

「だから、やめとけって言ったんだよ。気になって様子を見に来て良かった」

「只野、おまえなんなの? 俺は今、彼女と話をしてるんだ」


 優樹君が嫌悪をあらわにした顔で只野をにらむ。そこには普段の爽やかな王子の顔はない。只野がふんっと鼻を鳴らした。


「話しているようには見えないぜ」

「そりゃ、少し強引だったかもしれないけれど、好きならそれくらい──」

「……ちょっと、待って」


 只野の背中から飛び出し、私はずいっと優樹君の前に出た。そして彼をきっとにらみ上げた。


「今、なんて言った? 好きならそれくらい?」

「あ、うん……」

「ふざけんなっ。あんたのやってることは、立派な暴力よっ! 甘い顔して壁ドンすりゃ、女がみんな落ちると思うなよ!!」


 優樹君が顔をびくりとこわばらせる。そこへ私はさらににらみをきかせる。

 すると彼は、あちこち目をさ迷わせたあと、動揺を隠しきれない様子のまま、すっと顔を背けて逃げるように去っていった。


 ふうっ。おととい来やがれ、壁ドン王子!


 直後、私の後ろで乾いた拍手がパンパンと鳴り響いた。冷めた顔の、それでいて感心しきった様子の只野が、すっごい適当な感じで手を叩いていた。


「さっすが眞辺、壁ドンがなんぼときた」

「るさいっ!」


 ぎっと只野をにらみつつ、しかしすぐ、私はがっくりと肩を落とす。


「私の甘い恋が……」


 逃がした恋は甘く見える──、訳ではないが、それでも落胆はする。

 しょんぼり呟く私を、只野はジトッとした目で見つめてくる。これは、彼が呆れた時に見せる顔である。


「まだ懲りてねえのか。なん度も言うけど、無理だって」

「そんなこと分からないでしょ」

「いいや、分かる。だって眞辺は女の子扱いされて満足するヤツじゃないだろ」


 なによそれ。つまり私は、女の子枠じゃないってこと?

 そんな風にほめられても全然うれしくない。


 しかし、うれしくないはずなのに、なぜか私の顔はみっともないほどゆるんでしまった。




終わり

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カナはどうしても溺愛展開にならない すなさと @eri-sunasato

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