廃墟ビデオ

北見崇史

廃墟ビデオ

「廃墟のビデオ?」

「そうなのよ」

「呪いのビデオなら、だいぶ前に流行ったけどな」

「あの映画は怖かったわ。いまみても怖い」

{リサイクルショップ・三橋}の店内にて、亜沙美と話をしている。

 彼女はレジ台の向こうで椅子に座り、俺はこちら側で立ったままだ。店主専用の赤いマグカップには熱い紅茶、客用の湯飲み茶わんには白湯が淹れられている。神様であるお客に対してはしょっぱい対応であり、抗議したいところだ。

「その廃墟でビデオを見るために、おまえのところのガラクタデッキが売れたってことか」

「ガラクタとは失礼な。ちゃんとホームレスから買い取ったんだからね」

「それ、ガラクタを通りこして廃品だろうが」

 店主がニッコリと笑って紅茶をすする。マグカップの紅と口紅が溶けあって、液体まで赤く見えた。

 亜沙美は親から継いだリサイクルショップを経営している。店内は意外と小奇麗だ。小中学校、高校と同級生で、しかも同じクラスが続き、世間でよくいうところの幼馴染であるが、付き合ったり恋人関係になったことはない。

「その話、おもしろそうだな。くわしく聞かせろよ」

「くわしくって、私もよく知らないんだ。お客さんが話してたんだよ」

 先週の日曜日、亜沙美のリサイクルショップへ大学生らしき二人連れの男が来店して、ビデオデッキを買った。

「いまどきビデオデッキなんて使わないでしょ。てかさ、知らない人もいるし。だから、なにをみるのって訊いたんだよ。どうせ昔のエロビデオかと思ったらね」

 その二人の男子学生は、廃墟にあるビデオテープをみるためだと言った。

「廃墟探索の動画があるけど、そういう方面なのかな」

「もっと、ヘンなこといってたよ」

 意味ありげな目線を流してきた。もったいぶっている時の仕草だ。

「なんだよ、そのヘンってのは」

「自殺、なんだって」

「自殺?」

「そう、自殺なの」

 先の展開が読めたような気がする。そのビデオを見た人間は死ぬ、ということだろう。

「そのビデオを見ると自殺するってか。ますます呪いのビデオだな。だからネタが古いって」

「それが、ちょっとちがうんだよ。これから自殺しようとする人が見るビデオなんだって」

「ええっと、どういうことだ」

「自殺志願者が廃墟に行くの。そこにビデオテープがあって、それを一通り見てから自殺するってことらしいよ」

 自殺方法を解説したビデオテープってことか。楽に死ねるやり方を指南するのだろうか。

「自殺しようとする人が、すごく知りたがっていたことがわかるんだって。そして、見終わったら自殺するってことみたいよ」

 知りたいことがわかると自殺する、とは意味不明だ。そもそも、そのような怪しいビデオが、なぜ廃墟にあるのか。

「その学生たちは死にたがっていたのか」

 きっと悲壮感でいっぱいだったのだろう。若くして人生に絶望するとは、よほどの困難に直面してしまったんだな。たぶん内容云々ではなくて、死ぬことに対する理由付けなんだ。

「いや、ぜんぜん。おもしろがってたよ。それこそ廃墟ネタに尾ひれをつけて、動画で配信するって張り切ってたわ」

「なんだよ、それ」

 いかにも学生が好きそうな、ただの与太話か。都市伝説とか、ネットの噂の類だな。一瞬でも興味を持ってしまった自分が恥ずかしくなった。話題を変えようとしたら、亜沙美が意外な地名を口にした。

「ああ、でも、その廃墟の場所ってのがさ、犬九村らしいよ」

「いぬく村、だって」

「そういってたよ」

 犬九村は俺の両親の出身地区だ。二人はそこで夫婦となったが、すでに廃村となっている。

「たしか、ご両親が住んでいたんだよね。行ったことあったんだっけ」

「いや。話は聞いているけど、俺は場所を知らないんだ。かなりの山奥らしいってことだけど」

 親からは犬九村にいた、ということだけしか教えてもらえなかった。どの県にあるのかもわからない。

「ビデオデッキを買いにきた学生たちは知ってるのかな、犬九村の場所を」

「どうだろうね。なんか、知ってるような感じではなかったけれど」

 亜沙美の印象では、学生たちは漫然と噂を追っているだけで、廃墟ビデオの核心となることについては知らなかったようだ。

「ねえ、行ってみようか。犬九村に」

「おいおい、まさか自殺したいのかよ」

「死にたいなんて思ってないよ。ただ面白そうかなって。おいしいものが食べられるかもしれないし」

「もう廃村になってるんだぞ。場所もわからないしな。レストランがあっても、とうの昔に店じまいしているだろうよ」

「自分の実家なのに、どうして知らないのよ。一度くらい里帰りしたでしょう」

「俺の実家じゃなくて、両親の実家な。連れていってもらったことはないし、両方とも死んでいるから住所を調べようがない」

 父も母もすでに鬼籍となっている。訊ねることはできないし、遺品に犬九村の場所を特定できるものはない。

「アルバムとかは」

「ないよ」

「戸籍とか住民票とかに住所があるんじゃないの」

「いまの俺の家がその住所だよ。なんでか知らないけど、そうなってるんだ」

「ヘンなの」

 その日は他愛のない世間話をして帰った。家に帰って飯を食ったら廃墟ビデオのことを忘れてしまった。アルコール度数の高い缶酎ハイを飲んで寝ることにした。

 なかなか眠られないと布団の中で悶々としていたら ケイタイの呼び出し音が鳴った。 

「もしもし」

「ねえ、昨日の話だけども」

 亜沙美だった。

「なんだよ、こんな夜中に」

「なに寝ぼけてんのよ。もう朝でしょ」

 部屋が明るかった。時計を見ると午前十時を過ぎている。眠れぬまま眠ったように時を過ごしていたようだ。

「ああっと、昨日の話って、なんだっけ」

「廃墟のビデオよ」

「ああ」そんなことを話していたっけな。

「さっきね、二十歳くらいの女の子がビデオデッキを買いに来たのよ。デッキを知らないみたいで、ビデオテープを見せてきて、これを再生するにはどうしていいかって訊いてきてさあ」

 亜沙美の店には、商品としてのビデオデッキがまだあった。

「なんとビックリ、そのビデオは犬九村から持ってきたって言うのよ、驚きももの木でしょう。犬九村は実在したのよ」

「そりゃそうだろう、俺の両親がいたんだから。廃村で場所がわからなくなっただけで、べつにミステリースポットでもないんでもないぞ」

 亜沙美は面白がっているんだな。ヒマつぶしにホラー話はもってこいだ。それにしても、自殺する者が知りたい内容って、どんなのだろう。人によって様々だと思うけどみたい気がする。まあ実際は与太話なんだろうけど、噂がどれくらいまで煮詰まっているのか、ちょっと興味が出てきた。

「それで、その女子大生が持ってきたビデオをみたのか」

「みたかったけれど、みせてくれなかった。誰にも知られたくないんだって。まあ、こっちも他人のプライバシーを覗き見するわけにもいかないし」

 ビデオデッキを売って使い方を説明したら、その客は帰ったとのことだ。店内での再生はしていなかった

「でも、収穫はあったよ」

「収穫って、なにがだ」

「教えてもらったんだ。廃墟になった犬九村のちゃんとした場所をね」

 冷たくて重たい感触が背中を走ったような気がする。ゾワゾワした。

「ねえ、知りたいでしょう」

 知りたくないといえば噓になる。だが、それに触れてはいけないと、心のどこかで誰かが叫んでいるような感じがした。

「簡単な地図を描いてもらったから、私なりに清書してメールしておくね」

 通話を終えるとすぐにスマホへメールがきた。画像が添付してあり、そのファイルを開くと手書きの地図があった。清書したと言っていたが、お世辞にも詳細な地図ではないな。数か所に地名があって、〇の印がある個所に犬九村とあった。

「私も一緒に行きたいんだけど、今日は地方へ仕入れに行かなきゃならないから」俺一人で行けということらしい。

 通話を切ってから、しばらく考えた。

 亜沙美は、わざわざ犬九村の地図を送ってくれた。行けということらしいが、俺がそうしたいなどとは言っていない。ホラー話をおもしろがっているのか、両親の故郷であることを慮ってのことなのか、どちらにしても余計なお世話だ。

 いや、そうでもないか。今日はとくに予定が入っているわけではない。じっさいはヒマであり、体を動かさないと夜は眠れなくなりそうだ。出かけようか。

 犬九村のだいたいの場所は教えてもらった。両親が育った村を見てみるのもいいかもしれない。廃村となったが、まだ建物の残骸くらいは残っているはずだ。郷愁にひたれるとは思わないが、名残を心に留めることぐらいはできると思う。

 亜沙美はホラーじみた展開に期待しているようだが、自殺ビデオのことはそれほど念頭にはなかった。どうせ都市伝説の類だろうし、昨日店に来た女子大生が持っていたビデオが本物であるという確証もない。まあ、ビデオっぽいガラクタが落ちていたら、お土産として持ち帰ることにするかな。

 そういうわけで、俺はいま車で山道を走っている。高速から国道へ、県道から林道へと、進むごとに通行路がショボくなってきた。

 かろうじて舗装道路が続いているが、道幅は狭く対向車が来たらすれ違えない。直線がほとんどなくて、つねに曲がりくねっていて運転が疲れる。ナビの表示は単純になり、細い線はあるが地名や道路の番号がなくなっていた。気軽に出発したが、とんでもないド田舎に来てしまったようだ。

「うわあ」

 急な左カーブを曲がったら、いきなり下り坂となった。車道とは思えないほどの急勾配であり、さらに途中からは舗装が切れて砂利道となった。俺の車は型式が古く、自動でブレーキ調整をする機能が付いていないので、足を突っ張りながらなんとか運転していた。

 急な坂を下ったところで、車道の行き止まりとなっていた。先に駐車できるスペースがあったので、車から降りて辺りを探ってみる。

 背の高い植物が茂っている場所に、錆ついた看板があった。支柱にツタが絡みつき薄い鉄板は赤い錆びだらけだ。かろうじて読める程度で、気をつけていなければ見過ごしていただろう。

 犬九村と記されていた。

 これより先が犬九村ということだろうか。スマホを取り出して画面を確認してみる。亜沙美の地図通りの場所で間違いない。

「ん」

 左側に小道がある。背丈ほどの草で覆われているが、かすかに道がついていた。人が頻繁に来るとは思えないので、猟師か渓流釣りか、はたまた自殺ビデオ探しの連中がつけたのだろうか。看板によると、この先に犬九村があるということなので歩いていくことにする。

 木の枝や棘のある草に手の甲を引っ掻かれながら、草木だらけの獣道を四十分ほど進んだ。思ったよりも距離があって軽装できたことを後悔した。雨は降らなさそうだが、なんだか肌寒い。しかも腹が減ってきた。ペットボトルも持参していないので、喉の渇きが心配になってしまう。廃村に自販機もコンビニもないだろうな。引き返そうかと考えていたら、突如、ひらけた場所に出た。

「ここは」

 山の中に住宅地があった。よくある限界集落みたいに、あちらに一軒、こちらに一軒と住宅が離れているわけではない。

 土地はそこそこあってそれなりに見晴らしがいいのに、なぜか家々が密集していた。山の中なのに、古い団地みたいな鉄筋コンクリートの集合住宅が数棟あった。ほかは木造の平屋が多く、それらが山の斜面に沿ってほぼ隙間なく密集していて、お城のように見えた。動く城というアニメがあったが、あれの規模を大きくしたような感じだ。

 家々は、廃墟らしく荒れ果てているという様子でもなかった。放置されてからそれほど経過していないような気がする。じっさいは半世紀近く経っているはずだが、えも言われぬ静けさに包まれたそれらは、つい最近まで人々が生活していような新鮮さと雑多な感じがあった。ただし廃墟であることは確実であって、その証拠に人影がなく人工的な物音もしない。野良猫さえもいなさそうだ。

 狭くて急なコンクリートの階段を上ってゆく。両側が木造の家屋で、その上が集合住宅群、その上にさらに家屋が続いている。瀬戸内の小島の住宅地がこんな具合に密集していたな。まあ、それよりも密度が濃いような気がする。

「すみませ~ん」

 人がいたらお互いに気まずいことになるので、いちおう挨拶をしておいた。当然だが返事はない。

 両親の実家を探し当てるのは無理だとわかっているし、その気もない。だが、せっかく来たので内部を覗いてみようと思う。廃墟探索といったところか。スマホで動画を撮ってネットに出してみるのもいいかもしれないな。

 さっそく集合住宅へと入った。塗装なしの鉄筋コンクリート造りは武骨であって、木造住宅と比べるとずいぶん硬い印象だ。足元が湿気っているので滑らないように気をつけた。どこかで鳥が甲高く鳴いている。乾いた鼓膜を錆びた針先で引っ掻かれているようで、不快な響きだった。

 集合住宅の一階にいる。昔ながらの狭小すぎる玄関から土足で上がり込んだ。窓ガラスが割れているわりには部屋の中が荒れていない。数十年前の雑誌やマンガ本が床に放り出してあって、布団も敷きっぱなしだったりする。台所に人数分の食器が並べられていて、まるで昨日まで人が住んでいたようだ。

 居間にブラウン管のテレビとビデオデッキがあった。ためしに電源ボタンを押したが動かなかった。廃墟なので当たり前だな。ある程度探索してから集合住宅を出た。

 次は木造の平屋へ足を踏み入れた。木枠の引き戸は建付けが悪くなって開きにくかったが、力を入れて踏んばるといきなり軽くなった。ガシャーンと大きな音が響きわたり、戸自体が外れてしまった。戸車が錆ついていたようだ。壊してしまったが、誰が住んでいるわけでもないので弁償はしなくていいだろう。

 ここの廃屋も、集合住宅と同じだと思った。なつかしの雑誌や古い食器類、または敷きっぱなしの布団があるのだろう。

 だが違った。

 なんだ。おかしなモノがあるぞ。

「お、・・・。うわっ」

 夕闇時のような薄暗い居間の奥に、遭ってはいけないモノがつってあった。

 人生で初めて呼吸を忘れていたと思う。不思議と苦しくはなかったが、胸のやわらかなところが過度に詰まっていたのは確かだ。

「死んでる」のか?

 死んでいるだろう。人が死んでいる。

 なんと、人が首をつっていた。

 たいして高くもない天井にどういう細工を施したのか、黄色と黒のストライプが入ったロープがしっかりと据え付けられていて、人が首をつっているんだ。

 人の体というのはよほど重いようで、使い古されたぞうきんを限界まで絞ったように首の肉が細く締まっていた。糞尿らしき悪臭が漂い、ほかにも胸がムカつくようなニオイがする。いままで嗅いだことがない異様さで、死体を発見したことと相まってパニックになりかけた。

 だが、すぐに正気に戻されてしまう。

 突然、「バシッ、バシッ」と大きな音が響きだした。露出したみずみずしい心臓を、フライパンの錆びた底でぶっ叩かれているような衝撃を受けた。口から息ができず、鼻からの呼吸を試みるが、ピーピーと間のぬけた音が出るだけで必要量を確保できない。さらに予期せぬことが起きた。 

 急に首吊り死体が落ちたのだ。

 どういうわけか、このタイミングでロープが天井から外れてしまった。吃驚して腰が抜けてしまったが、ショックで止まっていた呼吸が再会されたのは幸いだった。

 長い髪の女が埃っぽい床にだらしなく横たわり、俺を恨めしそうに見ていた。意図せず女と二人っきりとなったが、独特の不快な臭気と相まって、甘い雰囲気とはいえなかった。 

 なにかをぶっ叩いていた音が止んでいた。轟音がなくなった廃墟はとても静かで、耳の奥が痛いくらいだ。室内もほどよく静寂であり、もし目の前の首吊り死体が動き出したら、俺はショック死する自信がある。限界まで膨らませた風船のように張りつめていた。

 二分ほど動かずにいた。死体をはじめて見たが、ゾンビのような姿ではなく、まだ血がかよっているかのような新鮮さだった。たぶん、首をつってからそれほど時間が経ってはいないのだろう。こんな時に不謹慎だが、お腹がグーグーと鳴っていた。 

 なんとか気持ちが落ち着いてきた。死体があるので通報することにした。スマホを取り出すが圏外表示となって繋がらなかった。車を止めた場所まで戻らなければ無理なようである。長い髪の女とはなるべく視線を合わさないように、忍び足でその家を出ようとして気づいた。 

「ビデオか」

 それの左手にビデオテープが握られていた。首をつった時にはすでに持っていたようだ。死の苦しみの際に力が入ったのか、ぐしゃりと潰されていた。黒いプラスチックの破片が床に落ちていて、尖った一部が指に突き刺さって出血している。

 絞首刑は落下の衝撃で首の骨が折れて即座に死ねるが、勢いをつけずに首吊りをしたら、すぐには死ねない。ロープが自重で絞まって完全に息がつまるまで時間がかかる。常人では握り潰せない物まで壊してしまったこの女性は、絶命するまでにどれほど悶え苦しみ、地獄の中で喘いだのだろうか。 

 あのぶっ壊れたビデオテープが気になった。亜沙美の店で話題にしていた廃墟ビデオの可能性がある。都市伝説レベルの与太話だと思ったが、ひょっとすると本当に自殺する者が望む映像があるのかもしれない。再生して中身を確認したいが、廃墟には電気が通ってないし、そもそもビデオテープが壊れているから不可能だ。

 どこかからギリギリと音がしている。ノコギリで硬いものを挽く感じで、イヤな光景を想像してしまいそうだ。さっきの打撃音といい、誰もいない廃墟で不気味すぎるではないか。首吊り死体と遭遇してしまったし、とにかくこの村を出なければならない

 髪の長い女性の死体には、なにもしなかった。カッと目が見開いた顔が惨たらしくて布でも被せてやるかとも思ったが、事件現場に手を加えないほうがいいだろう。

 その家を出て、古い集合住宅に挟まれた細くて急こう配のコンクリート階段を降りてゆく。タッタッタとテンポよく下るのだが、なかなか終わらない。振り返って見上げると、家屋に囲まれた薄暗い隘路がずっと続いているではないか。こんなにも上ってきたおぼえはないし、山奥の廃村なのに家が多すぎる。まるで大都会のスラム街にいるようだ。現実感が掴めなくて、頭がクラクラとする。

 混乱している俺がいた。ここが夢の中だとの考えが強くなった。だけど感触があるし、確固とした匂いもする。

「おわっ」

 突然、人が落ちてきた。

 ガツンと硬質すぎる音が響いて、手足があらぬ方向にひん曲がった女がコンクリートの階段にへばり付いていた。左腕の肘から先がどこかへふっ飛んでいて、関節部分が白く露出している。生肉というわけではないが、血液っぽさを感じさせる臭気があった。

「う」

 呆然としていたら、もう一体降ってきた。今度はかなりの至近距離であって、ガツンと激突した音と衝撃が強い波となって俺の体に当たった。金槌で背骨をぶっ叩かれたようであり、寺の鐘になった気分だ。

 二人目は筋肉質の若い男だ。階段のカドに顔面を直撃したらしく、腐ったトマトの半分を踏み潰したように、{ぐちゃっ}となっていた。目玉らしき球体が細長い肉と繋がってとび出している。なんというか、新鮮な鉄臭さがした。

 戦場か凄惨な事故現場でしか見られないようなグロテスクさだった。あんまりの出来事で呆然としてしまい、しばし見入ってしまった。「はっ」と我にかえり顔を背けた。しっかりとした鼓動が戻ってきたのはいいが、あまりにも強すぎて胸が痛かった。バクバクが止まらない。

 死体のそばにビデオテープの破片が散らばっていた。彼もまたそれを持って飛び降りたようだ。ますます自殺ビデオの話が現実的になっている。

「なんだ」

 頭上で気配がした。直感的に、{来る}と思ったら人が落ちてきた。しかも次々とである。頭を抱えて、あわてて早足で階段を下る。後ろから肉体がコンクリに激突する音がして、その響きの大きさに背中が押し出された。

 落ちてくる人の数は、すでに十を超えている。誰かに突き落とされたのか、自ら飛び降りているのかわからない。無遠慮に落ちては死んでいるのだ。ビデオテープも散乱していた。どういうわけだか、一人に一つを持って落下しているようだった。

 この隘路がイヤになった。左にある集合住宅に入り、階段を駆け上がった。とくに理由はない。衝動的に駆け上がっているだけである。

 三階まで登り、とある部屋の前に立っていた。そこだけ鉄扉が開いている。人が住んでいるわけでもないのに。暖かで湿り気のある生活臭がした。なつかしさが込み上がってくる。

「ただいま」

 玄関でいったん止まって靴を脱いだ。つま先をそろえて、きちんと並べる。廊下と表現するには短すぎる床を静かに歩いて居間へと向かった。小さなテレビの前に座って、真っ暗な画面を見つめながら、なぜこの場にいるのか考えていると、すごく生臭くなった。

 座ったまま振り返ると、すぐ目の前にビデオテープがあった。ちょうど顔の高さに浮いている。一瞬、思考が止まってしまったが、一塊の唾を飲み込んだら冷静になった。

 そのビデオテープはつるされていた。裁縫に使うような黒い糸で縛られていて、天井の板に打ち込まれた錆びた釘に繋がっている。居間に入った時にはそんなものはなかったのに、いつの間につられたのかだろうか。

 ビデオテープを手にとってみた。絡みついている黒い糸をほどく。ラベルは貼ってあるが、なにも記載されていない。プラスチックのカバーをめくってテープ本体を見分するが、キズや摩耗はなかった。

 店の棚からビデオデッキを持ってきた。ホームレスから買い上げたものだが、売れなくてもう何年もホコリをかぶっている。どうせ客も来ないし、ヒマつぶしになるだろう。さて、なにが映っているのだろうか。

 一人でみるのも味気ないと思い亜沙美を誘うことにした。あいつのアパートに行くと、見慣れぬ男たちが来ていた。少し離れた場所から見ていたのだが、バタバタと出入りがあって、だごとではない様子だった。

 パトカーが数台駐車していた。厄介ごとに巻き込まれるのはイヤなので、亜沙美のアパートには行かずにリサイクル店へと戻った。だが商品がまったくないではないか。間違った建物に入ってしまったのかと、いったん外へ出てみた。

 両側に古い集合住宅の廃墟がそびえた、あの山の中の隘路だった。幅の狭いコンクリート階段を昇ってゆく。右側のアパートに入り三階まで行った。

「ただいま」と声をかけるが静かなままだ。亜沙美がいないのはわかっている。実家に帰ったからな。

 ビデオを再生した。内容は、この廃墟集落の始まりの物語である。



 昔々、炭焼き小屋もなかったこの山間部に鬼どもの一族がやってきた。その部族の外見は人間と変わらないが、食べるものが偏っていた。彼らは隠れるようにここへ住み着いた。

 画面の中に赤ん坊がいた。生後二、三か月だろうか。見るからに柔らかそうだ。まだ生きていたが、まもなく死ぬだろう。きっと、そうなるはずだ。

 鬼どもは切ったり折ったりはしなかった。その首根っこをつまみ上げて、そのまま後頭部に齧りついた。まだまだ未発達で柔らかな頭蓋が瞬時にひしゃげて、しゃばしゃばとして粘っこさのない血が噴き出した。鬼どもは歯で骨を砕き潰し、脳みそと一緒に喰らっていた。脱皮したての甲殻類を噛みしめている香ばしさがあった。手足もアバラも喰って、残った肉は他の者が平らげた。血の一滴も残さず、背骨までガリガリと砕いて完食である。 

 ここは人喰いどもの集落だ。どこかの町に行っては人をさらい、この山野に連れ帰っては皆でよってたかって貪り喰った。息の根を止めないままなのは、そのほうが新鮮で味が良いからだ。悲鳴は凄まじかったが、それらが山を越えることはなかった。聞き慣れた断末魔は不快な響きではなく、むしろ饗宴を彩るスパイスとなって喜ばれたりもした。

 鬼どもは眠らない。人を喰らって鬼となってから眠ることができなくなっていた。鬼であることは遺伝する。その村の誰もが鬼であり、人肉への渇望は強烈だった。

 鬼どもの命は短い。人の脳を喰らうがゆえに己の脳細胞を破壊してしまうからだ。異常なたんぱく質が原因となって、ゆっくりと確実に狂ってゆく。

 ああ、ほら、いま映っているのが両親だ。足の悪い痩せた女を喰っているだろう。頭蓋をほじくって白いアブラをすすっているのは、まだ十歳の俺なんだ。魚の白子なんかよりよっぽど濃厚で食べ応えがあった。あの味が忘れられないな。

 次の映像は鬼どもが狂っていく様子だった。プリオンが脳を腐らせている。真っ赤に血走った眼玉をとび出させて、一日中喚き散らしながら徘徊していた。頭が砕けるまで壁に叩きつけ、ナイフで己の目玉をほじくり出す者もいた。狂う病が末期になると、死ぬまで静かにならない。安静は、三途の川を渡って地獄に辿りついた頃に訪れるのだ。

 正気を失った鬼どもの中に両親もいた。夜の集合住宅を背景に、ヨダレを吐き散らしながら徘徊していた。この集落は山の中なので朝晩はなかなかに冷える。打ちっぱなしのコンクリート住宅は一切の温もりを排している。その隙間で蠢いている人影は、まるで地の底に巣食う幽鬼であった。

 生き残った鬼どもが村を捨てた。各地に散らばり、人喰いをやめて平穏な暮らしを続けた。子を作り、鬼の記憶も捨て去った。本人も子供たちも、もはや鬼であったことを覚えていない。

 だけど、所詮はムダな足掻きなんだ。なぜなら狂ったタンパク質はしっかりと受け継がれてしまう。鬼であることからは逃れられない。それは純粋に医学的な宿命ともいえる。

 ある日、忘れ去られていた記憶が突如としてよみがえる。生きたまま生皮を剥がし、さらに臓物を引きずり出して喰らう地獄の光景を目撃してしまうのだ。ビデオテープを再生するが如く、呪われたフッテージが脳内に展開される。病んだ遺伝子がむくむくと鎌首をもたげ、驚愕の事実を見せつける。自分のおぞましき宿命に戦慄し、鬼であったことに絶望し、自ら死を選択する。活性化したプリオンが脳のみならず精神をも溶解させるのだ。



「亜沙美、亜沙美」

 亜沙美がいないことに気づいた。どこに行ったのだろうか。店番をしているとは思えない。リサイクルショップは昨年末に閉店した。もう商売はやっていない。

「亜沙美、亜沙美」と叫んで、わたしが亜沙美であることを思い出した。

 誰かを食べている最中で、たぶんそれは店の閉店を知らないでたまたま入ってきた見知らぬ中年男だ。廃墟探検の動画を撮っていて、古いビデオテープを持ち帰ったので再生したいとデッキを買いにきていた。

 すぐに殺して食べた。

 すごく久しぶりだったので、あんがいとノドにつっかえるのではと思ったが、おいしくてスルスルとお腹の底に落ちていった。とくに脳は柔らかくとろけていて、魚の白子よりも濃厚な風味がたまらないのよ。すごく舌触りがいい。ぷるんぷるん、ぷるんぷるん、なんだって。半世紀ぶりの味わいに、もう味覚のすべてが虜になっちゃった。

 お腹がいっぱいになったから眠りたいんだけど眠れない。三橋という中年男を食べたせいで、そいつの記憶とわたしのがごちゃ混ぜになっている気がする。

 あの廃墟集落の血筋を引く者たちが事実を知り、次々と落ちていた。地面に叩きつける衝撃がすごくて、まるで砲弾が炸裂しているようだ。パーンパーンと音が鳴るたびに、砕け散った血肉の匂いが部屋の中まで漂ってくる。ただし不快ではなく、どちらかというと食欲がそそられてしまう。

 ビデオの再生が終わろうとしている。わたしは、自分が鬼の集落出身であることを知った。これからすべきことはただ一つであり、それをすることに躊躇いはない。ただし、飛び降り自殺はイヤだな。人喰いの鬼らしく、最期は人肉を味わいながら死にたいんだ。

 そういうわけで、わたしのノドを掻き切って最初にしたのは、溢れ出る血液を飲むことだった。深く半円状に切ると、とどめなく血が溢れ出てきた。出血多量だが、わたしは狂った血筋なのかしぶとくて、すぐには絶命しない。痛みは強烈だが意識はなかなか遠のかなかった。

 ああ、なるほど。

 だから皆は高いところから落ちていたんだ。地面に叩きつけられたら体中の骨が折れるし、内臓の損傷も致命的だろう。楽に死ねることを知っていたんだな。逆に首を吊った者は死ぬまで苦労したはずだ。どれほど長く苦しんだのだろうか。

 そんなことを考えながら、手のひらで受けた流血をゴクゴクと飲んだ。

 飲んでは血を流し、またそれを飲んでは血を流すことを繰り返して、我ながら節操がないと思う。あんな気味の悪い廃墟を探索しなければよかったと後悔するが、ビデオテープを見つけられたのは幸いだった。自分を知って死ねるのだから。




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