第9話 目撃
翌日、学校からの帰り道で久々に来海の姿を見かけた。
場所はやはり例の公園で、不意の遭遇で嬉しくなった曜は即座に駆け寄ろうとしたが、やがて異変に気付かされた。
「――やだよママ、そんなのイヤ!」
来海の叫び声が耳に深く突き刺さる。同じところに来海の母もいて、何か分からないがふたりは激しく口論を繰り広げていた。曜は思わず近くの茂みに身を隠した。
「わたし、曜くんにそんなこと……」
「ママは来海と曜くんのために言ってるのよ!」
来海の母は、自分の娘に詰め寄るように何かを訴えていた。ぼく? ぼくが一体、何の関係があるというんだ? 曜はつい反射的に耳をそばだててしまっていた。
「チャンスはもう今しかないの。今決意しないと、来海たちは永久に離れ離れになって、二度と巡り合うことは出来なくなってしまうの。それでもいいの?」
「だからって……」
「初めてが不安なのは分かるわ、ママだってそうだったもの」
来海の母は少し屈み込むようにして、娘の目を覗き込んだ。
「けどだからこそ、相手は自分自身で選んだ子が良いじゃない。身も心もひとつになって未来永劫共に生きていくの。来るべき日に向けた種の保存、これは崇高な営みなの!」
「ママはおかしいよっ!」
来海が再び叫んだ。その声には明らかに涙が混じっていた。
「仲良くなった人、みんなそういう目で見なきゃダメなの? わたし、そんなつもりじゃなかった……もうママひとりでやってよ! わたしとか曜くんを巻き込まないでよ!」
「なに良い子ぶってるの、素直になりなさい!」
母親の更なる叫びに、来海の叫びが遂にかき消される。何故か絶望的な顔をする来海に対し、彼女の母は異様に歪んだ笑みを浮かべていて、曜は背筋が凍った。笑顔がどうしてああも恐ろしいのか。曜の姉が鬼なら、来海の母は悪魔みたいだと思った。
「ママが気付いてないとでも思ってるの? 曜くんの傍にいて、彼の柔らかさを想像するでしょ? お腹の奥の方がキュッてなるでしょ? 来海はママの子なのよ?」
来海は声を殺すようにその場に泣き崩れた。来海の母は疲れ果てたように空を仰ぐと、「先に帰ってるわね」と言い残しさっさと公園を出ていった。
曜はもう何が何だか分からなくて、ひとまず母親の方が完全に去ったのを確かめると、大急ぎで来海のもとに走った。もうとにかく、何を置いても彼女が心配だった。
「来海姉ちゃん」
「曜…………くん…………?」
見るからに来海は怯えていた。優しくてきれいな顔が、涙でボロボロだった。見ているだけで辛かった。いつかこの場所で彼女がしてくれたように、まずはその背中をさすって気持ちを落ち着かせてあげないと。そう思ったのだが、
「――来ないで!」
咄嗟に手を払いのけられた上に悲鳴を上げられ、曜は少なからぬ動揺を覚えた。来海は我が身を庇うように立ち上がると、徐々に後ずさっていった。
「聞いてたんでしょ、さっきの話」
「うん……だからぼく、来海姉ちゃんが心配で」
「だったらもう、わたしに近づかないで……!」
曜は頭の中が真っ白になる。
初めて姉から罵声を浴びた時と同じ、いやそれ以上のショックだったかもしれない。
「…………なんで」
「曜くんが悪いんじゃないの……全部わたしの所為。だけど、ここへは二度と来ないで。曜くんと会ってると、わたし…………わたし…………」
来海はそれ以上は言ってくれなかった。身を翻して、何処かへと逃げ出していく少女の小さな背中を、曜は何も出来ずに見送るしかなかった。
それからの時間は永遠にも感じられた。立ち尽くしているうちに日が暮れて、それでも起きたことが整理出来ず、あの屋根付きベンチの下で未練がましく何時間も過ごしたが、来海は戻ってこなかった。
真っ暗になってから帰宅すると、姉がいつも同様に風呂に入るなとか何とか勝手なことばかり言ってきたが、曜はずっと上の空だった。上の空なあまり、食卓のニュース番組に映った行方不明とされる人物の写真が、雨宮家の前で目撃したあの軽薄そうなパーマの男だという事実にさえ、曜は一向に気付くことはなかった。
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