第3話 秘密のカンケイ

「……雨、やまないね」

 闇夜にしとしと響く雨音の中、少女は聞こえるかどうか程度の小さな声で呟いた。


 彼女はあれから、ずっと曜の隣に寄り添っていた。一体何分泣いたかも分からないが、お陰で曜はやっとのことで、気持ちが落ち着いてきたところだった。


「君さ、お家どこにあるの? 多分、このままここにいたら風邪引いちゃうしさ、今日は一旦お家帰ろ。わたしも一緒に送ってくから」

「お姉さんは……大丈夫なんですか」

「え、わたし?」


「お姉さんだって、ずっといたら、風邪引きますよ。帰らなくて、いいんですか……」

「ほら、わたしはさっきも言ったけど、寒いの平気だから……」

「平気なわけ、ないです」

 曜は少しだけ、声を震わせながら言った。


 今、外の気温が何度かは知らないが、もうずっとその場にいたことで、ふたりの身体は相当冷え切っていた。その証拠に曜のみならず、少女さえも吐息が白く凍り付いて目視で確認できるぐらいになっていた。


「お姉さんだけ残して、帰りたくないです」

「でもほら、わたし傘持ってないし……」

「途中まで、ぼくのに入ればいいです。送ってくれるんだったら」

「そうかもしれないけど……正直言うとね、わたし今ちょっと、家に帰りづらくて」


「お姉さんも、お母さんと喧嘩、したんですか」

「そういう訳じゃないけど……」

 少女の言葉は、なぜか一転して歯切れの悪いものになっていた。曜の譲らなさに少女はいささか戸惑った様子だったが、やがて観念したみたいに小さくため息をついた。


「ま、いっか……どうせ今頃もう、終わってるよね……」

「えっ?」

「……ううん、何でもない」


 少女の一瞬もらした呟きが気になったが、彼女はすぐさまそれを打ち消すと立ち上がり「行こっか」と促すように、自ら曜の手を優しく握ってくれた。曜は黙って頷き、それに従った。少女の手は本人の言葉とは裏腹に、まるで氷のように冷たかった。


 曜の持ってきた傘を少女が手にするかたちで、ふたりはぎこちなく歩調を合わせながらお互いに色んな話をした。少女の名前は、雨宮来海といった。最近、母親と一緒に近所のアパートに引っ越してきたばかりだという。


 思った通り、来海は姉と同じ中学に通っていた。しかもそのうえ同学年、更にはクラスまでもが一緒だという。日村曜という名前を聞いて、来海はすぐさまピンときたらしい。サッカー部に所属し活動的な姉は、学校ではそれなりに人気者らしく、曜は嬉しいような切ないような、何とも言えない気分になった。


 そうこうするうち、ふたりは日村家の玄関前にたどり着いた。互いの熱でちょっとだけ暖かくなった手を離すのを名残惜しく感じながら、曜はふと思いつき来海に言った。


「来海姉ちゃんさ、この傘借りていって良いよ」

「えっ、でも悪いよ。わたしん家すぐそこだし、また雨降ったら曜くんが困るし」

「来海姉ちゃんが濡れて、風邪とか引いちゃう方がイヤだよ。何だったら今度また公園に持ってきてくれたらいいからさ」

「でも」


 来海は再びの曜の申し出に困惑していたが、先程もそうだったように少年が中々意見を譲らないのを見ると早々に諦め、代わりにそっと身をかがめるように言ってきた。


「わかった、じゃあ曜くんに甘えてこの傘、しばらく借りてくね」

「うんっ!」

「ただね、出来ればこのこと……曜くんのお姉さんには、ナイショにしといてほしいの」

「え、どうして?」


「お姉さんしっかりした人だから。多分わたしと曜くんのこと聞いたら、お礼とか言いに来ちゃうかもしれないでしょ。だけど……」

 まただ、と曜は思った。来海は時々、妙に言葉を詰まらせることがある。


「その……わたしのお母さんね、ちょっと変わった人なんだ。悪い人じゃないんだけど、いきなり会ったらビックリさせちゃうかもしれないから。だから、」

「……わかった。うちの姉ちゃんにはナイショにする」

「ん、ありがと。はい、指切りげんまん」

「そんなに子どもじゃないよっ」


 曜の反論が可笑しかったのか、来海は思わず小さく笑ってしまい、やがて曜もつられて笑いだした。結局最後はふたりとも小指を絡ませあって約束を交わし、その日はふたりは別れるに至った。貸した傘を差し去っていく来海の背中を、曜は玄関前にいていつまでもいつまでも見送り続けていた。

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