祖父の残した日記

小烏 つむぎ

祖父の残した日記

 施設に入っていた祖父が死んだ。スタッフに見守られての大往生だった。若い頃は徒競走の選手だったらしく体は丈夫、年を取っても見た目七十というのが自慢だった。


 祖父と祖父の荷物が祖父の家に戻って来た。父の転勤で他県に行くまで、僕もここで大きくなった懐かしい家だ。今は管理のために父がたまに戻るくらいで、空き家になっていた。久しぶりの人の気配。家も喜んでいるだろうか。


 祖父の荷物のなかに古い大学ノートが10冊ほどあって、その角の擦れた表紙には「日記」と書かれていた。両親が葬儀のあれやこれやで忙しくしているなか、僕はその「日記」が気になって昔使っていた僕の部屋にそっと持ち帰った。


 「日記」には「壱」「弐」「参」と番号があったので、まずは「壱」からパラパラとページを繰った。


 万年筆で書かれた癖の強い字は読みにくい。その上旧字体なので、字によっては潰れてただの青黒いシミのように見える。しかし、この文字を書いたのはいつもにこにこ笑っていたあの祖父なのだと思うと愛おしい気持ちになった。


 月日しか書かれていないが、「壱」は内容から祖母と結婚してしばらく後だろうなと当たりをつける。祖母の名前、伯父の名前、伯母の名前が何度も出てきた。一番たくさん書かれていたのは長男の父の名前だった。戦時中は中国本土に行っていたと聞いたことがあるが、その頃のことについての記述はなかった。ごっそり抜けているので、書かなかったのか破棄したのかもしれない。


 数冊後には母のや僕の名前も出てきて、読んでいてむず痒い。僕は子どもの頃牛乳が苦手で一気に飲むと必ずお腹を壊していた。それで母にも心配をかけたのだが、祖父も心配してくれているようでいろいろ調べてくれていたことが日記から見て取れた。小学校二年生の時だったか、パン食だった朝ごはんに牛乳の代わりにチーズが出るようになったのだが、それも祖父の提案だったらしい。あれから毎日銀紙に包まれた三角のチーズを食べていたことを思い出した。三角のチーズは父の転勤で実家を離れ他県に行くまで続いた。



 さてここからが本題なのだが、9冊目の「日記」の最後に不思議な記述があったのだ。


 大学時代、陸上部の合宿で琵琶湖のほとりの研修所での出来事を思い出して書いているらしい。


  ◇ ◇ ◇


 『昔のことであるが、忘れぬうちに記しておきたいと思う。


 夏休みに一週間、大学の部の合宿が琵琶湖近くにある研修所であった。その三日目になんとも説明のつかない体験をした。


 その朝練習のために砂利道を大野君、戸倉君と走っていた時だ。にわかに出てきた霧で視界が悪くなった。戸倉君は足が速かったのでもう先に行っており、僕と大野君はその霧に閉ざされて道が見えなくなってしまった。立ち止まってあちこち見ているうちに方向すら見失って、どちらから来たかもわからなった。


 その時後ろからガチャガチャという妙な音が近づいてきた。振りかえると青白い明かりが揺れている。誰か来たのかとほっとした瞬間、それが狐火に先導された武者たちだとわかった。


 無数の武者たちはガチャガチャと甲冑の音をたてながら行列を作って道を進んで来た。青いような炎に照らされた無言で恐ろし形相の男たちの行進で、なんとも背筋が凍るようだった。


 大野くんと僕は、道のわきの背の高い草の陰で小さくなって隠れて震えていた。武者の行列の中ほどには騎馬の侍が数名がいて、大野君はその武者のひとりと目が合ったという。その武士は槍を振り上げて大野君めがけて突き刺したのだそうだ。幻だったのかその槍は大野君の体を素通りしたが、あれで絶対に寿命が縮んだと言っていた。


 それが一分ほどのことだったのか、もっと長い時間だったのかわからない。気がつくと霧は晴れて、左手に琵琶湖の水面がキラキラしていた。霧が晴れてももう走る気分にもなれず、早々に宿に戻った。


 戸倉君はあとから帰ってきたが、霧も出なかったし妙な武者行列にも出会わなかったと言っていた。残り四日は恐ろしくてその道を走れず、大野君と二人研修所の周りで練習した。


 ほかの仲間はその後も何度も琵琶湖の見えるその道を走ったが、そんな恐ろしい行進には出くわさなかったという。結局のところ大野君と僕だけが怖ろしくも不思議な体験をしたらしい。』


  ◇ ◇ ◇


 僕はこれを読んで、その亡霊の行進に興味を持った。


 祖父はどこでこんな体験をしたのだろう。

先ず、心霊スポットとして有名な「賤ヶ岳古戦場」のことかと思って地図で調べてみた。

しかしそこは思ったより琵琶湖から離れていた。祖父が亡霊と思しきものに遭遇したのは、湖面が見える場所だと書かれている。

それとも「賤ヶ岳古戦場」からは琵琶湖が見えるのだろうか?


 大学の研修施設かとメールを出してみたが、大学はそこには施設を持っていないという返答が届いた。ならば公共の研修施設だったのだろうか?


 その後葬儀やら何やらで忙しく祖父の恐怖体験のことはすっかり忘れていた。思い出したのは、祖父の七回忌が終わった頃のことだ。仕事で長浜に泊まる用事が出来たのだ。


 そう、僕は今日長浜に来ている。


 宿の人からも、時間があるなら「賤ヶ岳古戦場」に行ってみませんかと声をかけてもらった。


 僕は行ってみるべきなんだろうか?


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