戯曲『混沌遊戯』~空海がボケれば最澄がツッコむ~

木下望太郎

混沌遊戯


 (寺の広い板敷の間に、僧がただ二人、向かい合って座している)

 (真言しんごん宗の空海くうかい、天台宗の最澄さいちょう

 (かつて共に遣唐使けんとうしとして、真の仏法を求める命がけの旅をした二人。帰国後はそれぞれの道に分かれ、仏道に邁進まいしんしていたが)

 (あるとき、空海の管理する乙訓寺おとくにでらに最澄が訪れる)



 (座した二人の僧、互いに深々と礼をする)

「空海和尚、お久し振りでございます」

「こちらこそお久し振りでございます、最澄和尚もつつがないご様子で何より。この空海も変わりなく過ごしております」


 (最澄、傍らの包みを取る)

「さて、先頃は貴重な経典をお貸しいただきありがとうございました。お礼と申しましましてはなんですが、唐より持ち帰ったこちらの品を、どうかお納めください」

(包みを解いた中には。植物の葉を潰し、円く蒸し固めたもの。そして種らしきものが、それぞれいくつか)


 (空海、それを目にして言う)

「茶、ですか。これはこれは貴重なものを……同量の金粉ほどにも高価なものと聞いております」

「ええ。ですが、わたくしは茶の木の種も持ち帰りました。これが本邦ほんぽうに広まれば、その薬効は多くの人の助けとなるでしょう」


「さすがは最澄和尚、善いものを持ち帰られました。――ではこちらも、唐より持ち帰った珍しいものをお目にかけましょう」

「ほう、それはいったい?」


混沌こんとん

「……え?」


混沌こんとん

「いや……え?」


混沌こんとん――物事の区別がはっきりしないさま。無秩序で入り乱れている状態。天地あめつちが未だ分かれていない、天地万物が形成される前の原初の状態」

「いや、言葉の意味を聞いたわけではないのですが。つまり……何を持ち帰られたのです?」

「これ」


 (空海がたもとから取り出したのは)

 (白とも黒ともつかず)

 (海のものとも山のものともつかず)

 (液体とも固体ともつかない)

 (何か、であった)


 (口を開ける最澄、しばらく言葉を失った後に)

「……確かに……混沌としていますが……何なんですかこれ」

「だから混沌だよ、西方の言葉で言えば、かおす、だったか」


「はあ……」

「で、そのCHAOSケイオスなんだが」

「なんでカッコよく言ったんですか」

「そう、そのCHAOSケイオスなんだがYO

「なんでもっとカッコよく言ったんですか」


「細かいことはいいだろう、だがオレもこれについて詳しくは知らんのだ」

「結構口調砕けてきましたね」


「それはいいが、確か説明書があったはず……探すからちょっとこれ持っててくれ」

 (混沌を突き出してくる空海)


「これを……いや、いいですけどこれ、そもそもどう持つんですか」

「コツとしては、耳を持つ」


「そう、耳を……耳あんのこれ!?」

「そう、耳を持つといいんだ、すごくいい――」


 (突き出されるままに手に取ろうとする最澄)

 (空海がボソッとつぶやく)

「――傍目はためには」

「おおぉい!? それ駄目なやつでしょ、傍目はためには良くても持ってる私がマズいんじゃ!?」


 (空海、深々と頭を下げる)

「さすがは最澄和尚。素晴らしい洞察力……感服いたしました」

「初めてですよ誉められてこんなに嬉しくないのは。それより説明書はどうしたんです」

「そうそう、確かここに……これか」


 (空海、混沌を片手に持ちつつ懐を探る)

(取り出した紙を見るも、首を横に振る)

「違った……保証書だったか」

「誰がどう保証してくれるもんなんですかこれ」

「まったくだ、何かあってもどこにどう問い合わせればいいんだ……電話なんてまだ発明されてないぞ」

「よく分かりませんがまだ存在しないものの概念を語らないで下さい」


「まあいいさ、だいたいの扱い方は聞いている。まずはこれを適当な布に包んで、踏む」

「踏む? ……大丈夫、なんですか」


 (目をそらす空海)

「……………」

「……………大丈夫、なんですよね」


 (目をそらしていた空海、不意にいい笑顔で)

「…………………うん!」

「不安! 不安極まりない返答!」


「まあなんだ、最澄和尚にやらせるのも気が引ける。オレが踏もう」

「いえ、私がやります。私は空海和尚を信頼しております」


(布でくるんだ混沌の上に乗り、足で踏む最澄)

「なんだか……ちょっと楽しいですね、弾力があって」

「おお、さすが最澄和尚。いい感じだ。――傍目はためには」


「ちょっと!?」

「今のは冗談だ」

「逆に今までのどれが真面目な発言だったんですか」

「さて、次の工程だが――」

「いや聞けよ」


 (空海、無視して包丁とまな板を持ってくる)

「次はこれを切る」

「切る……大丈夫なんですよね」

「ああ、できるだけ細く頼む」

「私がやる流れ……? いいですよやりますよ、どれ――」


 (最澄が混沌をまな板に載せ、包丁を当てる)

 (切ろうとした瞬間、空海がうめくような声を上げる)

「ギエエエエエエエ~~」

「ちょっと!? ……やりにくいでしょう、混沌これが断末魔の叫びでもあげたのかと思いましたよ。……さて、気を取り直して――」

「ウギャアアアアアア」

「やめろっつってんだろ!」


 (とにかく切ったそれを)

 (屋外で、湯を沸かした鍋の前に持ってくる)

「さて、あとはこれを湯がくだけだ」

「そもそも何やってるんですか我々は」


 (空海、細く切られた混沌をつかんで鍋の上に持ち上げる)

「さて、行くぞ――」

「大丈夫なんですかこれ。混沌ここから新たな天地あめつちが生まれたりしませんよね――」


 (そのとき)

 (差し上げた空海の袖口から、一枚の紙がこぼれ落ちた)

 (紙はそのまま鍋の下、燃え盛る火へ向かって舞い落ちようとする)


「あっ……しまった、説明書か!」

 (空海は思わずそちらへ手を伸ばし)

 (体勢を崩し)

 (混沌を全てこぼし)

 (鍋までひっくり返してしまった……!)


 (白く立ち込める湯気の中、最澄が声を上げる)

「空海、空海和尚! 大丈夫ですか!」

「ああ、最澄和尚。オレは無事だ、が――」


 (説明書も混沌も)

 (湯と泥にまみれ、もはや完全に――混沌としていた)


「すまない、最澄和尚……あなたに、出来立ての混沌をぜひとも差し上げたかったのだが」

「いえ、わたくしのことはお気になさらず。空海和尚がご無事で何よりですよ」


「まあこんなこともあろうかと、あらかじめ弟子に作らせておいた混沌がこちらに」


 (口を開け、しばし言葉を失う最澄)

「……今までの、苦労は……?」



 (空海が持ってきたざるの中には)

 (白くつややかな、太めの麺類が入っていた)

「さあ最澄和尚、出来立てではないがどうぞ。醤油はまだ発明されてないので、こちらの溜まりびしおを薄めたものをかけて下さい。オレもいただきます」

「だからまだ存在しない概念を持ち出さないで下さい。それはそうと、食べ物だったんですかこれ……どれ」


 (二人が口にした、その麺は柔らかく滋味豊かで)

 (かと思えば歯の上で跳ね返るかのような独特の弾力があった)

「これは……美味い! 美味いですよ空海和尚!」

「ああ、美味いな……! あれがこんな美味いものだったとは!」


 (そのとき、空海の弟子が声をかけてきた)

「最澄和尚、空海和尚。いかがですか、空海和尚が持ち帰った製法どおりの『検飩けんとん』のお味は」


「……え?」

けん……とん、だと……?」


 (目を見合わせる最澄と空海)

 (やがて空海がつぶやく)

「してみるとあれは……混沌は、麺料理じゃないな」


 (目を瞬かせ、最澄を見て言う)

「オレは、いったい何を持ち帰ったんだ?」

「こっちが聞きたいですよ!? もうええわ!」




 ――空海が唐より持ち帰った、混沌こんとんと呼ばれる麺料理。

 ――それが検飩けんとん温飩おんとんと変化し、やがて饂飩うどんとして故郷・讃岐さぬきの地に根付いたという伝承が、今もかの地には残っている。



(おしまい)



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

戯曲『混沌遊戯』~空海がボケれば最澄がツッコむ~ 木下望太郎 @bt-k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ