思い出の桜アンパン

真朱マロ

第1話 思い出の桜アンパン

 私の祖母は、大正生まれのハイカラな人だった。

 裕福な商家の生まれだったことも手伝って、ボブカットに釣り鐘型のクロッシェ帽子、ミディアム丈のアッパッパ・ワンピースといった流行の最先端をまとった写真がたくさんある。

 和装よりも洋装を好み、クッキリした紅を引いて、まるで女優のように微笑んでいる姿を懐かしみながら、ふふふ、と少女みたいに微笑んでいた。


「今ではすっかりおばあちゃんだけど、これでも引く手あまたのモガだったのよ」


 ねだればそんな風に当時のことを、ちょっぴり自慢げに語ってくれた。

 祖母がモテまくったというのも写真を見れば、眩しいほどのモダンガールで当然だな、なんて思うのだけど。

 そんな美人でハイカラな祖母が選んだのは、信楽焼の狸そっくりな祖父だった。

 顔だけ見れば、とんだ格差婚である。


 家の格を気にする時代だったので、そういう事情で縁があったとあけすけに言いながらも、愛嬌しかない顔でニコニコニコニコ笑う祖父を、祖母はたいそう愛していた。

 祖父の好物をわざわざ作って、べつにあなたのためじゃなくて私が好きだからよ、みたいに素直じゃないことを言いながら、縁側に座る祖父の元にいそいそと赴いて陣取っていたので間違いない。

 まぁ、大正生まれの人が赤裸々な愛情表現などできる訳がないから、当然と言えば当然だ。

 このツンデレさんめって感じだけれど、とても優しい表情でお互いを見つめ合っている二人の姿は、見ているこっちのほうが恥ずかしかった。


 祖母はいつだって祖父の好物を大量に作っていたし、その中で上出来な物だけを祖父に貢いでいた。

 そして自然に今一つの出来の悪い物は、孫の私たちのおやつに流れてきた。

 草餅や柏餅のように日本らしい季節のものも多かったし、カステラやキャラメルやカスタードプリンといったハイカラ好みのものも多かった。


 要は祖父が甘味好きなんだなって、一目でわかるラインナップだ。

 甘いものに目がない祖父だが、目の色が変わるぐらい好きなものがあった。


 桜アンパン。

 もちろん、お店で売っているような、普通の桜アンパンではない。


 芥子粒のまぶされたアンパンがヤンチャ坊主なら、桜アンパンは品の良い良家のお嬢様だ。

 手のひらにのる慎ましやかな大きさなのに、みっちり詰まった餡の存在感は隠しようもなく、味にも華やかな品がある。

 パンを口に含むとふんわりと米麴の風味が広がり、ヘソのようにちょこんと乗った桜の花の塩漬けが愛らしくて、くるんと巻いた桜の葉っぱの香りが春を告げてくるのだ。


 香ばしい小麦の香りと、あまじょっぱい餡子と、桜の葉で包まれたちょっと小ぶりの可愛いフォルムがそろっていないと、祖父の好きな正しい桜アンパンにはならない。

 祖母が入院している時期に、お店で買っているアンパンに桜の葉の塩漬けをちょいとのっけて出したら、適当なことをするなと祖父にはものすごく怒られた。

 こだわりがすごい。とその時は思ってしまったけれど、祖母の作る桜アンパンは絶品なので偽物のひどさと並べると、祖父の言い分はもっともだと納得するしかない。


 桜の花見にふさわしいのは桜アンパンだね。なんてよくわからない祖父のこだわりに付き合って、アンパンと緑茶でお花見を毎年のようにした弊害だろう。

 桜を見ると、私は桜アンパンを思い出す。


 桜の花が咲いてからならまだしも、かたい桜のつぼみが膨らむ過程に、捏ねたパン生地の膨らみ具合に重ねてしまうのだから、病気みたいなものだ。

 今年の桜も、そろそろ満開になる。


 桜の花が咲いたら、桜アンパンを焼かねばならない。

 妙な使命感に駆られて米麹の甘酒が香る生地をせっせと捏ねていたら、保育園から帰ってきた小さな頭がちょこんと台の上を覗いてきた。

 今の私はあの日々の祖母と同じくすっかりお祖母ちゃんで、孫の愛らしい行動に微笑ましさを覚えてしまう。

 そういえば私もこうやってよく祖母の手元を覗いていたなぁと、妙な血のつながりを感じてしまった。


「おばあちゃま、それなぁに?」

「桜アンパンよ」

「桜アンパン? お花を見る時は、御団子や桜餅じゃないの?」

「おばあちゃんのおばあちゃんやおじいちゃんは、桜アンパンがお気に入りだったのよ」


 ふぅんと間延びした返事をしながら、大人の真似だとわかるポーズで相槌をうちながら「レトロだねぇ」などと孫が訳知り顔でいうので、我慢しきれずに吹き出してしまった。

 孫は傷ついたような顔をするので、ごめんごめんと謝った。


 まさかの、レトロがくるとは思わなかった。

 どこで覚えたのやら……三歳児がどこまで意味を理解しているかは謎だけど、意外と言語の幅が広い。


 令和生まれの孫にはレトロ。

 昭和生まれの私には思い出。

 大正生まれの祖父母にはハイカラな存在だった、桜アンパン。


 代々受け継いだというには、短い歴史の我が家の定番だけど。

 ずっと、ずっとこの先も、桜の花と同じく愛されながらつながるといい。

 そんな夢を持つなんて、贅沢すぎるだろうか?


 焼き上がるパンの香りは、幸せそのものの香り。

 明日の桜も、きっと綺麗だろう。

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